木漏れ日
泥濘を進んでいくと、雨の魔女の言う通り、泉が現れた。
熱帯雨林の如く霧雨が降り続けているが、熱気は無く、涼し気な場所であり、泉は透明感があって水底まで不思議なくらい水色の美しい色である。
「ここの水で洗っていいの?」
晴生が雨の魔女である少女に訪ねると、彼女はコクリと頷いた。
すっかり泥塗れになった制服のズボンを脱ごうとしたが、彼女にじーっと物珍しそうに見られ、晴生は却って恥ずかしさが込み上がる。
「あの、ズボン脱ぐから見ないでくれると有り難いんだけど」
苦笑しながら晴生が言うと、少女は不思議そうにしながらも後ろを向いた。
ベルトをカチャカチャと緩め、ズボンを脱いでワイシャツにボクサーパンツ姿で泉で洗い始めた。
「ほんとは軽くぽんぽんするだけの方が良いんだろうけど、派手にやっちまったからなぁ」
ズボンの布を軽く擦り合わせるとあっという間に泥汚れは落ちていった。
「すっげー!!!」
晴生の感動の雄叫びに少女はビクッと肩が上がり、こっそりと振り返って見た。
「すんげぇ簡単に落ちる!色落ちはしてないし、別に手が荒れる感じもしないし、すげぇ! 流石異世界! これ、ミートソースとかも漂白剤無しで落とせるんじゃないの!? 上履きとかも真っ白になりそうだなぁ!」
ずぶ濡れだが汚れが完全に落ちたズボンを持ち上げて喜々としている晴生を見て、言っている内容はさっぱりだが少女は背後から洗濯を喜ぶ晴生をまたじーっと見ていた。
「よしっ! ワイシャツも洗おう!」
晴生はワイシャツも勢い良く脱ぐと、上半身裸となり、
「えっ、あっ」
背後から声がして振り向くと、顔を赤く染める少女と目が合ってしまった。
「ごめんなさい!」
少女は再び後ろを向き、晴生はそれを見て申し訳なくなり、
「俺の方こそごめん。すぐ洗うから。あ、でも乾かさないといけないのか」
手早くじゃぶじゃぶと洗ってバッバッとシャツを振って水を切った。すると、
「………ごめんなさい」
小さな謝罪の声が聞こえた。
「え?」
何故謝られたのかわからない晴生は、振り向いて少女を見た。
「私が居るから、この山は雨が降り続けているんです。洞窟で干し続けたら明日になったら漸く乾くと思います……」
彼女は目をうるうるっとさせると、
「いけないっ」
急いで涙を指で拭った。
「どうしたの?」
心配そうに晴生が近付くと
「泣くともっと強い雨が降ってしまうんです。泣かないように気を付けているのですが……」
少女は必死に指で何度も何度も目尻や目頭を拭った。
「服なら乾かせるよ」
「え……?」
まだ少し涙目の彼女が晴生を見ると、晴生は自信満々の笑みを浮かべる。
それから枝が低い位置にある木を見つけてワイシャツの袖を通し、ズボンも引っ掛けて、パンパンと叩いてシワを伸ばして干すと、
「晴れろ!」
天を見上げて声を届けた。
すると忽ち木々の間から木漏れ日が差し込み、直射日光が晴生の服に当たった。
「ねぇ、君も何か洗濯する? 一緒に干しておくよ」
晴生は着替えを洗濯してあげるという意味で言ったのだが、少女はガバっとボロボロの着ていたワンピースを脱ぎ出し、上下の下着姿になり、晴生がぎょっとしているのも気付かずに泉で夢中に洗うと、びちゃびちゃのまま服を枝に吊り下げようとした。
「待って待って、もうちょい絞って脱水した方がいいよ」
晴生は目のやり場に困りながら手を差し出すと、少女は恐る恐る洋服を晴生に渡した。
晴生は泉の前に立ち、ぎゅぅぅうっと彼女のワンピースを絞った。
「っ!?!?!?」
洗濯物を絞ったことのない少女は自身の洋服の安否に不安感を覚えてきた。
次に晴生は、バサッバサァッ!!! と音を立てながら大きく振った。
これもまた少女はわなわなと不安気になってきてしまった。
パラパラパラパラパラパラ……………。
「雨だ! 山の天気は変わりやすいもんな。晴れろ! 晴れろ! 晴〜れ〜ろぉおおおおおおおおっっっ!!!!」
まるで外出先で雨に降られて、自宅のベランダに干しっぱなしの洗濯物を再度洗って干したくないと心から願い雨を憎む主婦の如く、晴生の燃える想いは再び天に届き、先程よりも強い日差しが落ちてきた。
「よしっ! これで2時間ぐらいで乾くだろ!」
満足そうに木の枝に彼女のワンピースの袖も通して干すと、シワ1つ無い、美しい洋服の姿となった。
「……………これ、私の服?」
恐る恐る彼女が服に指を指し、
「えっ!? ごめん! 何か柄とか色まで落としちゃっ!? それとも襟元が何か変!?」
晴生は何かやらかしたのではないかとあたふた。
「…………綺麗」
木の葉から雨粒が水面に落ちるかのようにそっと呟く。
「とっても………綺麗」
美しく静かな心からの感嘆の声に、晴生は今まで家事を頑張ってきて良かったと報われるような想いと、心のどこかがくすぐったくなるような感覚が芽生えた。
木漏れ日は泉にも降り注ぎ、水面を輝かせた。いくつものいくつもの煌めきが揺らぎながら放たれる。
「綺麗………っ!……………すごい、泉に宝石が!」
少女は目を輝かせながら泉の周りを歩いていく。晴生はゆっくりと彼女の後を追い、
「陽の光に水が反射しているんだよ」
そっと彼女に話しかける。
「ハンシャ?」
「太陽の光に当たるとピカッと跳ね返ること、かな。鏡とかも日に当てると眩しくなるんだ」
「ハンシャ………綺麗、とっても綺麗………」
感動のあまりにまた少女は目が潤ってきそうになると、慌てて目をこすりだしている。
その純粋で健気で儚げな行為に、晴生は彼女のすぐ横に寄り、ぽんぽんと頭を撫でた。
「ダメです…っ、今優しくされたら、私、もっと泣いて……」
そっと頭を反対側に彼女は避けたが、晴生はそれでも彼女の頭を自身に抱き寄せ、ぽん、ぽん、とゆっくりと頭を撫でた。
水面を煌めかせながら雨粒を弾かせる泉を二人で見つめながら。