使役者
ラリーサ・デ・ピレシュは、(それ)が藁で作ったような帽子を取った瞬間を見ていた。
遠目ではあったが、黒い髪に、焼けた浅黒い肌、そして背は低いがガッシリとした体つき。
他家で使役していた、東洋人の奴隷の姿が頭を過る。
ろくに言葉も話せない下賤の民、黒人奴隷の下の奴隷として、黒人に奉仕する奴隷も東洋人であり、奴隷としては最低な地位にいる者達だった記憶がある。
そんな、奴隷が何故一人でここにいるのか。
汚らわしい・・・、しかも貴族の揉め事に奴隷が介入してくるなど・・
自分の置かれている立場を忘れる程の感情が心と体を支配していた。
貴族と言う血とプライドがそうさせるのだろうか。
しかし、次の瞬間にはマルセロの護衛2人が切り倒されていた。
叩きつける雨の中、地面に赤い血が広がっていくのが見えて、奴隷に切りつけようとしたマルセロが宙に飛び、頭から地面に落ちるさまを何かの冗談のように見ていた。
何が起きたのか理解が追いつかなかった。
奴隷が切られたのなら理解ができる、でも逆は理解できない、いかなる理由があろうとも奴隷が使役する側に勝つなどあり得ない事だし、有ってはいけない事だと・・・。
ラリーサは先程まで追われ、蹂躙されるかもしれない恐怖と、奴隷が貴族を切ると言うあり得ない憤りがごちゃ混ぜになった感情を制御出来ずにいる。
自分自身の体を両手で抱きしめるようにして目を見張り、震えながらその奴隷から目を離すことが出来なかった。
その奴隷は、落ちていた剣を拾うと、マルセロめがけて剣を突き刺そうとしている。
ラリーサをその光景をみて咄嗟に泥濘の中足を踏み出した、別にマルセロを助けようしたわけではない、躓き膝を泥濘に着く。
「それ以上は、おやめなさい!ど・・奴隷が貴族に手を出すなど!」
ラリーサの声が響いた。
その言葉は助けてもらった者が発する言葉では無かった。
巌長は雨の中その女に視線を向けた、返り血を浴びた顔からどす黒い血が洗い流れるのを袖で拭い、何を言っているのか理解できないといった表情を浮かべた。
深紅のドレスが泥濘に血の様に広がり、ラリーサが震えながら巌長を睨みつけている。
「ちっ、頭の可笑しい女に関わっていられるか。」
そして何の躊躇いもなく、女の顔を見つめたままマルセロの顔にその剣を突き立てた。
「ひぃっ!」
その瞬間、ラリーサは両手で口を押さえた。
巌長は腕を伝って流れる雨が、突き立てたロングソードに流れて行くの見つめていた。
その剣はマルセロの真横の地面を突き刺していた。
巌長は地面に突き刺した剣から手を放し、ゆっくりと蹲る少年に歩み寄ると声を掛けた。
「傷を見せろ。」
「・・・・・・・あっ・・は・・い。」
少年は顔を上げ、巌長の顔を見つめながら、言われるままに右腕を伸ばした。
巌長はその右腕を掴むと、傷口を覗き込むようにして片膝になると、背中に背負った打飼袋を下ろし、中から何かを取り出した。
「この国にも紫根があって良かったな。」
日本語で呟くと、その何かを傷口に塗り付けた。
「痛っ!」
「お前、名前は?」
少年が叫ぶのに構わず少年のシャツの袖を切り裂き、その傷口に巻き付けた。
「ジョアン・デ・ピレシュ・・」
男は、傷口から目線をジョアンに向けた。
「そうか、ジョアンか・・」
「いいかジョアン、金創(刀傷の事)は熱が出る場合が多い・・それと、傷口の腫れが引くまでは無理をしないことだ。」
巌長は手当を追えると立ち上がり、少年に背を向けて歩き出した、そして落とした菅笠を拾うと街道をゆっくりと歩き始めた。
「ジョアン!」
姉のラリーサが泥水を跳ねながら駆け寄り、ジョアンに抱きついた。
「ごめんなさい、ジョアン、怖くて・・足が動かなくて・・あれに、あれに何もされなかった。」
姉のラリーサが泣きながら、弟を両手で抱きしめた。
「大丈夫です・・姉様、怪我の手当をしてくれただけですから・・」
ジョアンはそう呟やくと、姉の腕の中でぐったりと力を失った。
ラリーサは、雨の中に消えて行く男の後ろ姿を、見えなくなるまで追っていた。
壊れた馬車の中で、雨が止むのを待った。
先程の叩きつけるような雨が今は小雨に変わっている。
姉のラリーサが、弟ジョアンの血のにじむ右腕をそっと支えている。
馬車が壊れた時に、一緒に乗っていた乳母のミシェルを森に逃がしたが、状況が落ち着いたのを見て、ラリーサとジョアンの下に戻って来ていた。
乳母は小雨になった街道に出て、馬車の屋根から飛ばされた荷物から、使える物がないか探している。
御者は車軸が折れた時に、馬車がバランスを失い、放り出されて亡くなっていた。
そして何時逃げ出したのか、気絶していたマルセロも従者の遺体を残し消えていた。
西の空が明るくなって来ているのを見つめていた。
ラリーサとジョアンは不安に駆られながらも、雨が過ぎ去るのを待っていた。。
この小説の更新はゆっくりと行っていきます。
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