それ。
少年は、痛む右手を押さえながら声を掛けてきた(それ)を見ていた。
マルセロ以外の二人が剣を構えて(それ)を囲むように間合いを詰める。
「これを返すつもりだったんだが・・・」
(それ)は呟くと、右手で差し出していたロングソードを手元で軽く上に投げ半回転させた。
パシッと剣の柄を握り、剣先が相手に向く。
「きっ・・きさま、抵抗するか。」
プレートアーマーの二人が、切っ先を向けられて体を固くする。
「抵抗するも何も、剣を向けたのはお前らだろ・・」
(それ)は対峙する二人に剣先を向けたまま、左手でゆっくりと、顎の下で留めていた紐を緩めた。
紐が耳の両側辺りに垂れさがる。そのまま左手で帽子のような物を掴み、ゆっくりと手を下し、その場に落とした。
相手の表情が露になった。
黒髪に日に焼けた浅黒い肌。
その黒髪は無造作に後頭部で纏められていた。
黒く太い眉毛、少し垂れたような一重の目。真っ黒な瞳。
低い団子鼻に、薄い唇。
その場に居た全員が、その姿を目にしたとたんに即座に眉を歪めた。
剣を構えた二人が罵る様に声を荒げた。
「ど、奴隷か!?」
「この薄汚い奴隷が!」
その特徴から、その場に居た全員が(それ)を奴隷と思いこんだ。
天正15年頃の日本では、秀吉が全九州を手にしようとしていた島津氏を降し、自らの平和の下においていた。
当然、外国との交易が盛んだった九州では外国人との問題も多かったであろう。
その年、秀吉はポルトガル王国イエズス会の宣教師を責めたと言う。
「ポルトガル人が多数の日本人を買い、これを奴隷として、その国に連れて行くのは、何故であるかと。」
1500年代のポルトガルでは、奴隷貿易が当たり前のように行われており、取引された日本人の数は数百人規模と言われている。
何故、数百人規模と少ないのか、航路の関係で、日本人の奴隷は連れて来るだけでも、水・食料等の経費が掛かり、希少とされていたようだ。
また、ポルトガル王国では、布教の妨げになると、しばしば日本人奴隷取引禁止令を出していた。それは「ポルトガル人たる者は何人も、日本人を買い、もしくは捕うべからず。」というもので、あわせて、すでに買い取った者の解放を命じ、もし禁を犯せば全財産没収する、と警告していた。
そうは言っても布教活動の張本人(イエズス会)たちが、奴隷を輸出する商人に公然と輸出許可を与えていたとも言う。
これはあくまでも、日本人奴隷の事であって他の東洋人の奴隷に当てはまる事では無いが、
この事を前提と考えも、ポルトガル王国国内にいる東洋系の人間は少なく、奴隷として存在しているのが普通なのだと想像に容易い。
声を荒げながらプレートアーマーの二人が奴隷に向かって剣を振りかぶった。
剣を振りかぶった一人に向かって、奴隷が前に出た。
剣が振り下ろされる前に、奴隷は相手の目の前に立っていた。
奴隷は両手でロングソードを握り直すと、下から剣を相手の顔に向かって突き出した。
プレートアーマーの男は、「無駄な事を。」そう思った。
自分が剣を振り下ろすより早く、相手が間合いを詰めて来たのには驚いた。
そして、剣を下から突き出して来るのも見えていた。
全身を覆うプレートアーマーを絡う自分に剣が届くはずは無い。
勝機と思い、叩き潰すように剣を振り下ろした。
奴隷が切られたと少年は思った。
しかし、崩れ落ちたのはプレートアーマーの男の方だった。
バイザーの隙間にロングソードが差し込まれていた。
鈍い金属音を響かせ、泥濘に倒れた。
もう一人の男は剣を振り下ろした瞬間に手応えが無いのに慌てた。
味方を振り返る。
味方のバイザーにロングソードが差し込まれ、崩れ落ちる瞬間が目に入った。
奴隷が剣を引き抜きながらこちらを見ている。
慌てて体制を整えると、瞬時に真横に剣を振り回した。
「打ち取った!」
そう、思わず口をついた。
しかし、振りまわした剣には何も触れなかった。
その瞬間だった、剣を振りまわした事により脇が開いた。
奴隷は、薙ぐように真横に振られた剣を、頭を下げてやり過ごした。
通り過ぎた剣を追うように、プレートアーマーが覆っていない、脇の下に剣を差し込んだ。
鎖帷子を着込んでいたようだが、滑り混むようにロングソードの半分を体が飲み込んだ。
奴隷は、ロングソードの柄から手を離した。
金属音を立て、ロングソードと一緒に、もう一人のプレートアーマーが崩れ落ちた。
雨が倒れた二人の血を地面に広げ始めた。
少年は信じられないものを見た。
少年に剣を突き付けていた、マルセロも奴隷を見つめていた。
奴隷はゆっくりと、武器も持たずに、マルセロに近づいて来た。
そして、マルセロが持つロングソードの、間合いの外で立ち止まる。
「お前らが、先に手を出した・・・・・」
少し訛りのある、言葉が耳に入った。
「貴様ぁ・・」
マルセロは、切っ先を少年から奴隷に向けた。
「おい、まだやるのかよ。」
「この奴隷風情が・・身の程を教えてやる。」
「生憎と、俺は奴隷として生きる気は無い。」
奴隷は、薄笑いを浮かべながらマルセロを見た。
「その体に、焼印を押してやる!!」
マルセロはロングソードを脇に構え、体をぶつけるように飛び込んできた。
ロングソードが奴隷に向かって突き出される。
奴隷は剣に向かって前に出る。
自分の体があった場所を剣が通り過ぎる。
剣を握っている相手の右手首を左手で掴み、相手を背負うように入り身する。
相手の右腕を引き込み両手で引きながら、腰を跳ね上げた。
背負う様にされたマルセロは奴隷の体を中心に弧を描き、足が真上に跳ね上げられた。
まるで、一本の丸太が天に向かって真っすぐに立っているように見えた。
次の瞬間、マルセロは頭から地面に落とされた。
一瞬だった。ガシャンとかグシャと言う音が泥濘に響いた。
マルセロはピクリとも動かない。
奴隷は、落ちていたロングソードを拾い上げ、倒れたマルセロの横に立った。
剣先を下に向けたロングソードの柄を両手で握ると、倒れているマルセロを見つめた。
バイザーを上げた状態でマルセロの顔を守る物が無い。その顔に剣先を向けたまま、ゆっくりと剣を高く持ち上げた。