奴隷
ギシギシと木材が歪み擦れ合う音が、波の音に合わせるように聞こえて来る。
暗闇の中に幾つもの寝息や、小さな話声が聞こえる。
甲板の隙間から薄っすらと月明りが差し込み、この船の船底に詰め込まれた数十人の姿を浮かび上がらせていた。
何処からか、聞き慣れぬ言葉と嬌声が聞こえて来る。
自分の足に付けられた鉄の鎖をぼんやりと眺める。
嬌声の中から、聞き覚えのある言葉を叫ぶ女の悲鳴が聞こえ、暫くすると女の悲鳴が泣き声に変わり、何も聞こえなくなった。
日本の中世、それは戦の連続だった。どちらに付くかで自分の人生が変わる。
戦は自分の領地を広げ平穏無事な世の中を作る為に行わる、何処かの誰かが言ったらしいが、それは武士の言う事だ。
天下統一、そんなのは俺たち雑兵には関係の無い事だった。
武士と言われる者でさえ、現実には農に関わらなければ食べて行けないのが現実だ。
俺たち雑兵(侍、中間、小者)には戦場は生きて行くために必要な場所だった。
敵の首級を挙げるのが目的じゃない、濫妨狼藉、他を犯し、掠奪する事で生きる糧としたのだ。
城攻めよりも、その領内の村を襲い、金品を奪い、食べ物を搾取し、男女子供区別なく奴隷や人取りとして奪う。
掠奪した物を持ち帰り、村で分け与え、奴隷は労働力として、身代金を取れる人取りは商人達と交渉する。
生きるための戦、それが俺達雑兵の目的だった。
黒羽巌長一応は苗字持ちの士分の家に三男として生まれた。
士分とは言っても農家の三男であり家を継げるわけでもなく、農家の労働力の一人として生きて来た。
戦となれば、腕に多少の覚えのある者が自ら出兵するのが習わしとなっていて、村からは数名規模で戦場へ赴く。
巌長も、近隣の村に住みついた兵法者が剣術を教授している道場へ通っていたのもあり、当然のように出兵していた。
その日も、巌長達は村を襲い、掠奪行為を行うことに集中していた・・逃げ惑う女子供を追いかけ回していた。
何時もの様に順調に稼ぎ、夕方には稼ぎを数えている予定だった。
ダン!何か爆ぜる音がした、右腕に激痛が走り、体が何かに躓いたように前のめりになる。
自分の視界に地面が近づいて来るのが見えた。
遠くでいくつもバン!バン!と爆ぜる音が響き、叫び声が聞こえる。
俺は顔を地面にしたたかに打ち付けた・・そして、後を追うように後頭部に激痛が走り、視界から光が消えて行くのが分かった。
何日歩かされただろう、縄で腹の辺りを縛られた男や女子供が数珠繋がりに歩かされている。
具足と武具は取り上げられ、野良着姿で歩かされている。
同じように歩かされている者に話しかければ、咎められる為無言で歩く。
皆一様に俯きながら体を引きずるように歩く、体力が無く倒れる者や、怪我が悪化し歩けなくなった者は縄を解いた後に槍で突かれるか、刀で切られるかして捨てられる。
あの日、掠奪の最中に敵襲に会いこの様だ。
火縄で撃たれた傷も運よく貫通したせいか、傷口が化膿する事も無く治り掛けている。
もう、村に帰る事もかなわないだろう。奴隷として働かされるか、売られるかどちらかであろう。自分には身代金を払ってくれる親族などいないのは自分で分かっている。
この先に何が起ころうとも、自分もしてきたことなのだからと諦めていた。
ガタン!と音が船底に響く、自分達の頭上の一部にポッカリと長方形の穴が開き、外の光が入り込む。
そして空いた穴から梯子が降りてきた。
何か聞き慣れない言葉が聞こえる、伴天連語だと理解はするが何を話しているかは分からない。
階段の上から、足が見え誰かが降りて来る。
乱れた着物を両手で合わせながら女が降りてきた。
伴天連の男達の慰みものにされた女が、表情を硬くして降りて来る。
女の足が階段から離れると、上から下卑た男達の笑い声が響き船底が暗闇に飲まれる。
この船に乗せられてから、どれくらい経つのだろう。
いつの間にか空気が変わっていた。
出航した時は息が白かった。それが今は妙に蒸暑い。
日を追うごとに気温が上がっているのが分かる。
ある日、伴天連達に表に出るように仕草で命令された。
船底に居た数十人が、一人づつ甲板に上がっていく。
船底の暗闇と淀んだ空気に慣れた体が、強烈な日差しと潮の香に晒された。
「どこだ・・ここは。」
甲板に立った巌長の目に、見たことの無い港の風景と街並みが飛び込んでくる。
呆然と立ち尽くす巌長を、銃を持った伴天連が動くように小突く。
甲板に目を向けると、男と女子供の集団と、足枷を付けられた男だけの集団とに分けて纏められていた。
巌長は足枷がある集団に行くように促される。
この船に乗せられた時に、足枷をされている者と、足枷の無い者の差が分からなかった。
改めて甲板で分けられて、その差が何となく見て取れた。
女子供、そして男でも戦働きをしていた者と、そうで無い者を分けていたのだ。
その港で積荷の積み降ろしを一週間掛けて行い、その間に女子供と、そうで無い者、を船から降ろしていた。
そして船はまた海へ出た。
今度は多少ではあるが、待遇が違ってた。
今までは船底に閉じ込められていたが、今度は船の運航作業の手伝いをさせられた。
日中は甲板掃除や、船長や船員の寝所の清掃、そして調理場の手伝い。
そして大きく違うのが、伴天連達と会話をする事が許されたのだ。
理由は分からないが、カルネイロと言う名の伴天連が、日本語の通訳をしてくれた。
物の名前や、動作を表す言葉、そしてポルトガルの地名や世界の事まで話してくれた。
何度か港に停泊しながら航海を続ける。
数か月が経ち、巌長は不充無く会話が出来るようになっていた。
この船の船員はポルトガル人である事。
そして、この船はポルトガル商船である事。
そして俺達奴隷の仕事は何かを聞いた。何故なら、途中で分けられた奴隷と、俺達とは扱いが違っていたからだ。
これから必要だからであろうから、仕事を与え言葉を覚えさせられ、食事も船員と同じ物が供され栄養失調状態にはなっていない。奴隷なのに好待遇すぎるのである。
当然違和感を覚え、カルネイロに聞いた。
「mercenário」
カルネイロは蝋板にこの言葉を書いた。
「日本の言葉、この言葉の意味わからない。でも依頼主、期待してる。」
そう言って笑っていた。
今回の資料として、「雑兵たちの戦場」著者 藤木久志を資料として参考に致しました。