ヒトになれたら、
止まり木に守られていたのに、その木が枯れるのを怖がって逃げてしまった人の話です。
彼を止まり木ではなく、拠り所にしたいと思ってしまった時に広辞苑で「人」を調べた。なんだか自分にも当てはまるところばかりで私はその時、とても自信をもってしまった。今の自分がとても人間らしく思えて、彼に手を伸ばしてしまってもその手を取ってしまってもいいかもしれないと、可能性を抱いてしまったのだ。
今は取りこぼしたように、ずっと向こうのコンクリートを見ている。
きっと、生まれたばかりのころは他と変わりない。きっと普通だったのだ。きっと、ずっと前はごまかしが効いていた。きっと、最初から壊れていたわけじゃない。
背中を押すような風が自分の存在を責めているようで、悲しくて辛くてフェンスに手を伸ばした。
懐かしい、昔は水面に潜るように一歩踏み出して救われる寸前で地獄に連れ戻されたのだった。
ずっと向こうのコンクリートの上を車が走った。
母も父も、私を人だとはきっと思っていなかっただろう。所詮、失敗品といったところだ。
空は青い。目が赤く染まっても、青く見えたなら少しはその最後が綺麗に見えるのかもしれない。
感嘆のない生活の中で、それでも簡単に傷ついてきた。前を向けないほどに首に荷物をぶら下げている。この心臓ごと一歩前に持って行ってくれそうな彼の耳や目に自分の存在が染みついていくと思うと、胃の中身がひっくり返った。
友達も家族も、普通だった。
普通のふりをして生きていくことに力尽きてしまったのは、いつだっただろう。思い出せないくらい昔のことだ。それはもう階段を上るよりずっと前のこと。
壊れた私は壊れた人を求めて、壊れた人と繋がりを得ようとした。壊れていても、落としていても、結局はそのかけらがその人を形作って何となくまだ保たれているそれを見て、口にするものすべてが恐ろしくなった。触れるすべてに聞こえるすべてに違和感を覚え、恐怖を感じて疑いの目を向けた。
その葉が酷い日差しから、酷い希望から守ってくれていたとして、今更それに気づいて縋れるものか。
彼は私の葬式で、泣くだろうか。コンクリートの向こうのその闇に、飲み込まれてしまっても私を私だと認識してくれるだろうか。
背中を押すような風に身を任せて一歩踏み出した。
私だったその破片で彼のことを少しでも傷つけて、少しでも守れたらいいと思いながら目を閉じた。酷い痛みも耐えられる。いつか、生まれ変わって人になれたら、彼と一緒に生きていく。
Twitter(https://twitter.com/Rui0123amamiya)にUPしたお話です。
こっちにも。
書きなぐり話ですが、わりかし気に入ってます。