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04. 朝のシゴト




     4




 村の朝は早い。気温が上がる前に片付けなければならない仕事があるからだ。

 狩りの翌日、悟倫は部屋に立ち込めるむわっとした熱気で目覚めた。寝床から抜け出して、中庭の洗い場で顔を洗う。一人に割り当てられる水の量は洗面器一杯だけなので、悟倫は口をすすいで残りを頭から被った。

 一日の始まりだ。まだ辺りは薄暗いが、既に東の空が明るくなり始めている。これから気温もどんどん上がっていくので、今の季節はこの時間帯が一番過ごしやすい。


「ふぅ……」


 悟倫は頭を振って水を飛ばすと、村の正門に向かった。

 正門にはステンレス製の大きなゲート・オブジェがあり、閉ざされた門とオブジェの間に横付けする形で大学のスクールバスがぴったりと塞いでいた。机や椅子で組んだバリケードはその隙間を補強するように設置されていて、バスの上には常に村の外と中庭を監視するための見張りが立っている。

 中庭には障害物がないので、村の中で異変が起こればすぐに分かる。


「おはようございます。矢口さん、スーさん」

「おう」

「おはよう、悟倫くん」


 梯子でバスの屋根に上がると、矢口とスーが話をしていた。上には他にも朝組の村人がいて、各々で談笑している。


『アアアアア……ッ!』

『ア、アアア……ッ』

『ア……アア……』


 正門の向こう側には、腹を空かせた亡者の群れが集まっている。

 バスの上の村人が見えているのかいないのか、人間の呻き声にも似た音を上げながら、ふらふらと道路の上を歩き回っている。


「見ろよ、悟倫。夜の内にまた集まって来やがった」

「今日は多いですね」

「ああ。なるべく朝食までには終わらせたいけどな……」


 バリケードの周りに集まった〈喰人クラウド〉の処理。これが、悟倫たちが朝一番に行わなければならない仕事だ。

 〈喰人クラウド〉は群れを形成する他にも、人がいる場所を察知して集まる習性があるらしく、建物に隠れていてもすぐに取り囲まれてしまう。

 数体なら問題なく対処できても、大群となれば脅威になるので、一体でも見かけたらすぐに始末するというのが、村の絶対的なルールになっているのだ。


「この数だったら、もしかするとランニングしないといけないかもな」

「そうだね」

「ランニングって何ですか?」

「ああ、悟倫くんは今日が初めてか」


 スーは頷いて、水筒を飲みながら言う。


「数が多いと処理が大変だから村から引き離すんだよ。簡単に言えば、囮ってやつだね」

「囮ですか……」

「まー、そんなに危険でもないよ。駅には避難用の家屋もあるし、村から離したらその場で撒いて逃げればいいから」

「ま、村に帰ってこなかった奴もいるけどな。三分の一ぐらい」

「さ、三分の一って……」


 エア・ライフルのガスボンベをいじりながら笑う矢口に、悟倫は顔を引きつらせた。


「それより、悟倫。自衛隊の大攻勢はどうなったと思う?」

「さあ、どうでしょうね……。やっぱり失敗したんじゃないですか?」


 悟倫が村に来た時にはもう既に引き上げていたが、初めの内は治安維持の名目でそれぞれの村に自衛隊が派遣されていた。

 森守が持っている小銃や村人の武器も、大半が彼らから平和的に譲り受けたものだ。

 噂では自衛隊の組織的壊滅の後、「日本を、取り戻す。」をスローガンにして各地に散っていた残存勢力が霞ヶ浦の駐屯地に集結、六月の半ばに『大攻勢』なる大規模な作戦が展開されたらしい。

 ……しかし、その後のことは誰にも分からない。作戦からもうすぐ一か月が経つというのに、当の自衛隊からは何の連絡も入っていないのだ。


「結局、大攻勢って何だったんだろうね……。駆除するって言っても、〈喰人クラウド〉はそこら中に湧いてるわけだし」

「さあ」

「一説には研究学園要塞都市の方に逃げ込んだって話だぜ。あそこならフェンスと市壁があるから、安全だってさ」

「えっ、そうなんですか? ツクバはアウトブレイクの中心だって前に聞きましたけど……」

「〈喰人クラウド〉なんて全部殺しちまえばいいじゃねえか。自衛隊なら簡単に始末できるだろ」

「なるほど……」


 確かに一理あると悟倫は思った。

 〈喰人クラウド〉は生者がいなければ殖えないので、後は少しずつでも減らしていくだけだ。もし自衛隊が要塞都市の奪還に成功すれば、ツクバはこの上ない拠点になるだろう。


「おはようございます!」

「あ、江音さん。おはようございます……」


 しばらくすると、江音がきた。梯子を上がって、一度〈喰人クラウド〉の集まり具合を確認してから、いつも通り身体をほぐすようにグッと伸びをする。

 悟倫は昨日のこともあって少し恥ずかしかったが、本人は別段気にしてないようだ。


「あれ、そう言えばリーダーは?」

「そういえば、まだ来てないみたいだね」

「どうせ萌花起こすのに手間取ってるんだろ。アイツ寝起き悪いから」



「――えっ、萌花さんって森守さんと一緒に寝てるんですか!?」



「ああ。……と言うかお前、あまり大きな声で言うなよ。村長派の奴らが聞いたら風紀が乱れるってグチグチ文句言われるぞ」

「そ、そうなんだ……」


 初耳だった。萌花が森守のことを好きなのは何となく――というか、誰が見ても明らかだが、そこまで進んだ関係だったとは思わなかった。

 スキャンダルには疎いが嫌いじゃない。悟倫は周りを見回して矢口に耳打ちした。


「……それってつまり、同棲ってことですか?」

「同棲と言うより、アレは単に萌花が誘惑してるだけと言うか……。まー、森守さんはあまりベタベタされるのが嫌らしいけどな」

「拒んでも絡んでくるから、森守さんは妹を世話する感覚に近いって言ってたよ」

「妹って……」


 それはつまり、二人の関係は全然進展していないということだ。

 いつもの明るく元気な萌花を見ていると、森守の言う「妹のような後輩に懐かれている」気持ちも、何となく分からないでもない。

 悟倫は一人っ子で兄弟はいないが、もしかしたらそれは恋愛をしている余裕はないという、リーダーとしての意思表示のようなものかもしれない。


「ねぇ、今度から私たちも一緒に寝ちゃう?」

「え、遠慮します……」


 いたずらっぽく笑って耳打ちする江音に、悟倫は視線を逸らして首を振った。

 からかわれているのが分かっていても、やはりどうしても少しドキドキしてしまう。


「やっほー、おはよーっす!!」

「…………」


 悟倫が何かを言おうともごもごしていると、件の二人がやってきた。

 朝から元気いっぱいの後輩が刀を抜いてブンブンと素振りする隣で、どこか疲れている様子の先輩は眼鏡拭きでレンズの汚れを落とす。


「森守さん……お、お疲れさまです」

「ああ。もう慣れた」


 何となく遠慮がちに声をかけると、森守はレンズを宙に透かしながらため息交じりに答える。


「先輩! 早く始めるっすよ!!」

「その前に刀をしまえ」


 森守は八十九式を肩に吊って、正門に集まっている〈喰人クラウド〉の位置を確かめた。


「横から回るにしても、これだと……」



「――おはようございます、皆さん」



 その時、バスの下から歯切れのいい声が聞こえてきた。

 バスの下を向くと、スラリと背の高い男が立っていた。ワックスで髪をオールバックに撫でつけていて、サラリーマンのような紺色のスーツを着ている。

 この村を取り仕切る『長』の到着だ。背後には小銃を吊った護衛の二人を伴っていて、口元には人当たりの良さそうな微笑が浮かんでいる。

 村内バリケードの構築・修復から外組の狩りで得た物資の分配に至るまで、第七十六番村の運営をほぼ一人で行っている切れ者。


「本来なら定刻通りに朝の清掃を始めてもらいますが……何でも、今日は数が多いという連絡を受けたので来ました。……では失礼して」


 柔らかい口調だが、言葉の節々にどこか神経質そうな響きを感じる。

 村長は梯子を上って正門に群がる〈喰人クラウド〉を見ると、ふむと腕を組んだ。


「これはランニングの必要がありますね。誰か走りに出てくれる人は……」


 言いながら、村長はゆっくりと周囲を見回した。その場の住民が視線を伏せる中、運悪く目が合ってしまう。


「…………」

「おや、確かあなたは新入りの……」


 慌てて視線を逸らしたが無駄だった。悟倫は観念して答える。


「か、柏木悟倫です」

「そうですか。……では、今日は新入りのあなたにやって貰いましょうか」

「えっ」

「まあ、これは新入りの儀式のようなものですよ。安心して下さい」

「…………」


 三人に一人が死ぬランニングなんて何も安心できない。

 村長は悟倫の肩をポンポンと叩いて、森守を見る。


「いいですかね、森守さん?」

「……本人次第だな」


 森守は言ってから真っすぐに悟倫を見る。レンズの奥の冷静な瞳。

 悟倫は直観的に思った。ここで断れば、もしかしたら僕は命懸けのランニングに行かなくてもいいのかもしれない、と。

 ……だが、そうなれば森守班から代わりが選ばれることになる。

 これは、そういう流れだ。そしてそうなれば、おそらくリーダーである森守が真っ先に手を挙げるだろう。

 森守は悟倫を村に引き入れてくれた恩人だ。恩返しとまではいかなくても、これ以上迷惑はかけられない。


「分かりました。僕が行きます」

「…………。……それはよかった」


 村長は頷いて、踵を返して周りの村人に言う。


「それでは、早速準備を……」

「――私も行くわ」


 その時、江音が手を挙げた。突然のことに村長も驚いているようだ。


「別にいいでしょ? 並走しても」

「構いませんが……急にどうしてですか?」

「気まぐれよ。ただ走りたいだけ」


 江音はろくに村長の方を見ずに、鉈でポンポンと肩を叩きながら言った。


「……おい」

「えっ?」


 振り向くと、森守が何かズシリと重たい物を押し付けてきた。


「9mm拳銃だ。持っていけ」

「えっ、でも……」

「いいから」


 撃ったことはおろか、持ったことすらない武器。悟倫が言われるままに何とかホルスターを脚に巻くと、森守は村長を横目にそっと耳打ちした。



「……『駅』に向かえ。後で俺たちも合流する」





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