Epilogue. 祭りのあと1
2020年:東京オリンピック・オブ・ザ・デッドは、栄世二年八月四日に行われた、人類と〈喰人〉による最初で最後の競技大会である。
代表者は人類チームを率いる森守優と、〈喰人〉チームを率いる〈クラウド・クイーン〉。種目は知能対決、E‐スポーツ対決(鳥獣王者トリキング)、スポーツ対決(スタディオン走)の三つが採択され、驚くべきことに勝ち点の多いチームの勝利という、オリンピック史上初の紅白戦となった。
午前十時に開会式が行われ、実に五時間半に及ぶ激闘の末に、人類チームが勝利したと記録に残されている。
《二〇二〇年は節目の年だ。東京オリンピック後の日本が一体どうなるのか、終末以前は経済学者たちがそんなことばかりを考えていたらしい。……だけど、既に色々な枠組みが崩壊してしまった今となっては、もう関係のない話だ。
東京オリンピックは、終末以前に何かと『犠牲』の多いイベントだったようだけど……ともあれ、人類は何とか〈喰人〉に勝利することができた。
〈クイーン〉は宣言通り、〈喰人〉が再び人間を襲わないように、全ての個体を東京から追い出してくれた。……今後、〈喰人〉は県境に近づかず、東京都の領域内には立ち入りができなくなるのだとか。
〈クイーン〉が言うには自然保護区のようなものらしい。有史以来、数多の動植物を絶滅に追いやってきた人類が、たったの三か月で絶滅危惧種になるというのは、何とも皮肉な話だと博士が言っていた。確かにそうだと僕も思う。
追い出しには実に三日三晩かかった。僕が住んでいるホテルの屋上から、県外に向けてぞろぞろと歩いていく〈喰人〉の群れが見えた。まだマンションやアパートの部屋に閉じこもっている〈喰人〉がいるので、その処理はこれからだ。
それに、〈壁〉の問題もある。終末からの復興にはまだ程遠いけど、それでも人類――特に災害大国に住んでいる僕たちは、ことあるごとに何度も立ち直ってきたので、今回もきっと大丈夫だと思いたい。
外国がどうなっているかの情報は依然として入ってこないけど、人類は意外としぶといので、案外、何とかなっているのかもしれない。
……それはそうとして、今まで生き残るのに必死で気づかなかったけど、終末になって変わったものがある。
一番顕著なのは、東京に緑が生えていることだ。終末から半年ぐらいしか経っていないはずなのに、既に雑草が地面を覆うアスファルトを突き破り始めている。駅前の花壇などは、もうちょっとした植物園のような有様だ。
自然の復元力というのか、植物の生命力は本当に偉大だと思う。
僕は最近、〈喰人〉がいなくなったのでよくホテルから散歩に出るのだが、無人の都市の中心で野生の動物を見かけることが多くなった。野鳥や野生のタヌキだけに留まらず、野犬やシカの群れなど、大型の動物も戻ってきているようだ。
矢口さんなんか、公園に野生のクマが出現したと聞いて、近い内に狩猟用のライフルを整備して狩りに繰り出すと言っていた。
村長や村の人たちも、公園を畑にして作物を育てようと計画している。捕食者がいた頃には、考えられなかった生活だ。
これから、また新しい毎日が始まる。多分、僕がこれまでに体験したことのない日々だ。
そうだ。そういえば、終末を過ごす中で一番変わったものがある。それは―― 》
「悟倫くん、そろそろ出発するってよ」
「あ、はい!」
反対の部屋からかかった声に、悟倫は書き物の手を止めて顔を上げた。振り返ると既に江音は隣におり、不思議そうにノートを覗き込んでいる。
「何書いてるの?」
「いやー、その、日記を」
「日記?」
「はい。えと、森守さんの宿題なんです。いつか必ず役に立つから毎日の生活を記録しとけって。……それに、その、これから新しい生活が始まるわけですし、丁度いいかなって」
「ふーん……」
江音は何の気なしの返事をして、悟倫の手を取って踵を返した。
「それより、早く見送りに行きましょ!」
「あ、そうですね」
二人はそのまま部屋を出て階段で一階まで降りた。
迷子じゃないのに手を繋ぐのは未だに慣れない。しかし、最近はそれも嫌いじゃないな、と悟倫は思った。
「そうだ、矢口。昨日いいアイディアを思いついたぞ! 装甲列車つくばエクスプレスに履帯を付けて、オフロード用に改造するんだ。名付けて、『無限軌道つくばエクスプレス』!」
「無限軌道って、それもうつくばエクスプレスじゃねぇよ……」
「へぇ、小説を……。意外ですね。森守さんって文科系だったんですか」
「よく言われる。まあ、人は見かけには寄らないもんだ」
「何じゃこれは。きったない字じゃの~」
「ホントっすよね! 人が読めるものじゃないっす」
「……おい」
ホテルの前には荷物を満載した一台の軽トラが停まっていて、既に何人かがその隣で談笑していた。
森守班のメンバーだけでなく、博士も村長もいる。
今日は森守の出発の日だ。同行する萌花は、嬉しそうにハネムーンだと公言しているが、そうではなく、〈喰人〉になってしまった元彼女を探すためだ。
〈喰人〉の一体として、今もどこかを彷徨い続けている彼女を探し、葬るための旅。
これには村長や他のみんなも反対したが、元より行くつもりだった森守の意志は固く、結局、止めることはできなかった。
過去との決別が着いたらまた戻ってくると言うが、その保証はない。〈クイーン〉も同行するから〈喰人〉に襲われる危険はないものの、この世界での別れは特別だ。
森守たちとはもう会えないかもしれない……けれど、悟倫は不思議と悲しくなかった。何故かは知らないが、またすぐにでもいつもの森守班が復活するような、悟倫にはそんな気がしていたのだ。
「……さて、そろそろ行くか」
森守は軽トラの運転席に乗り込んだ。萌花が助手席に、そして〈クイーン〉がその膝の上に納まる。
その姿は、さながら映画の中で引っ越しをする一家のようだ。
「森守さん、お元気で!」
「じゃあな、森守」
「またね、萌花ちゃん!」
「森守さん。あなたとは色々ありましたが……その、ありがとうございました。人類を救ってくれて」
「救ったのは俺じゃない。悟倫だ」
村長の手を握って、森守は冗談を言う時のように口元を緩ませる。
「あ、あの森守さん!」
「何だ?」
「あの、ずっと気になってたんですけど……あの時、僕はどうして勝てたんでしょうか? 今までずっと考えていて、もし相手が転ばなかったら僕は絶対に……」
軽トラに駆け寄る悟倫に、森守はシートとミラーの調節をしながら答える。
「自信を持て。あれはお前の実力だ」
「えっ、でも……」
「運も実力の……とか、何だかんだ言うつもりはない。だけど、最高タイムだったんだろ?」
「は、はい……」
あの時、悟倫のフィニッシュ・タイムは二十五秒を切っていた。あの〈喰人〉の全力には遠く及ばないが、それでも最高タイムだった。
火事場の馬鹿力というのか、にわかには信じられない話だ。もしかしたら、人類の命運を背負うと人間は物凄いパワーを発揮するようにできているのかもしれない。……何だか、アメコミのヒーローが強い理由が分かった気がする。
「大丈夫だ。お前は強い。いや、強くなったんだな。――村と森守班のみんなを頼むぞ。それと、宿題を忘れるな」
「は、はい!」
頷く悟倫を見て、森守は笑った。頭に手を乗せて、その髪の毛をわしゃわしゃやって、軽トラのエンジンをかける。
「それじゃ、またな」
森守は運転席から軽く手を振って軽トラを発進させた。無人の道路を真っ直ぐに行って、やがて新宿四丁目方面に消える。
手を振っていた一行はそれを見届けると、それぞれの仕事場に戻っていった。辺りが急に静まり返り、二人だけが残される。
「静かですね……」
「ええ」
「いずれ東京から全ての人がいなくなって……このホテルも新国立競技場も朽ち果てて、森の中に還るのでしょうか?」
「そうかもね。人間の建造物なんて脆いものよ」
「あの、江音さん……」
「なに?」
「僕はその……やっぱり、何でもないです」
「ふふっ、なによ。気になるじゃない」
悟倫は無人のビル街をぼんやりと見つめたまま、その手をぎゅっと握り返した。






