30. 開会式:東京オリンピック・オブ・ザ・デッド1
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『……さー、ついにこの日がやってきました。現人類と新人類による、最初で最後のスポーツの祭典――2020:東京オリンピック・オブ・ザ・デッド!! 会場は応援に駆けつけた群衆で超満員です! 実況&進行役はこの私、本社の収録室にずっと引きこもっていて助かった大日本放送協会(DHK)の新人アナウンサー、山田です。アナウンス席にはなんと、〈喰人〉の生みの親である筑波源次郎博士を解説役としてお呼びしております。博士、今日はよろしくお願いします』
『解説役の筑波源次郎です。よろしくお願いします。……ところで、お前誰?』
『まもなく、入場式でーす!!』
真夏の太陽に照らされた無人のフィールドに場内アナウンスが響く。
アリーナには六万人を超える〈喰人〉の大群衆が詰め込まれ、ブブゼラやらメガホンやらスティック・バルーンやらを持って、「アー」とか「ウー」とか言いながら、会場を盛り上げようと一様に音を鳴らしていた。
普段は呻き声しか上げられない彼らだが、流石にこの規模になるとざわざわと騒がしい。
うるさ過ぎて人間の声援と聞き分けがつかないほどだが、一体一体の声質が低いために、むしろブーイングしているようにも聞こえる。
フィールドの真ん中には白いシートで覆われた、競技に使うらしい二つの特設ステージが置かれており、百メートル・トラックの手前には両チームのリーダーが座るための代表者席が設けられている。
森守が座るパイプ椅子の隣に〈クイーン〉が座るための豪華な玉座が置かれている形で、壇上には既に〈喰人〉になっている首相や都知事、その他日本の政治経済を裏で引っ張っていた大物や、IOCの腐敗した(・・・・)職員やスポンサーたちが、まるで生気のない顔で「アー」とか「ウー」とか言いながら座っていた。
『人類チーム、入場!!』
しばらくして会場が静まり返ると、スピーカーから管楽器の重厚な音色が流れ始めた。
CDから流れる『君が代』の歌詞と共に、舞台袖の入口から人類チームが現れた。先頭に国旗を持った森守がいて、それに三列で続くようにぞろぞろと行進してくる。
「さーさーれー、いーしーやー!!」
「『さざれ石の』だ、馬鹿! もっとしっかり歌え!」
「むぅ、歌詞覚えてないっすよ……。あっ、こーけーのー、むーすーまーでー!!」
第七十六番村の面々は先頭に続いて、そのまま檀上の前に整列した。
そこで曲が止まり、会場が再び静寂に包まれる。
『……では続きまして、新人類チームの入場です!!』
アナウンスの声が響くと、これもまたCDの音源で「ドンドンチャ! ドンドンチャ!」という三拍子の軽快なリズムが流れ始めた。その聞き慣れたリズムが流れた瞬間、会場の〈喰人〉たちが思わず足を踏み鳴らして、一同に手拍子を打つ。
六万人の大群衆が発する、割れんばかりの拍手と足音。そのあまりの衝撃に、会場が大きく揺れる。
「Buddy you're a boy make a big noise!! Playin' in the street gonna be a big man some day!! ……You got mud on yo' face!! You big disgrace!! Kickin' your can all over the place!! ……Singin'!!」
『『『アーアー、アーアー、アアッ!! ……アーアー、アーアー、アアッ!!』』』
つくば市の市章が描かれた旗を掲げる〈喰人〉に続いて、マイクを持った〈クラウド・クイーン〉と、そのチームの〈喰人〉が入場してくる。それもただの行進ではなく、一歩ずつリズムを取ってのノリノリの集団行動。
〈クイーン〉の掛け声の直後に、アリーナ席の〈喰人〉たちから辛うじて歌詞と思われる音声が発せられる。
「こ、これは……」
〈喰人〉と〈クイーン〉によるパフォーマンスにやや圧倒される森守だが、よく見ればそれはかなりシュールな光景だった。
普段は恐怖の象徴に他ならない〈喰人〉が、一つの応援団となって会場を盛り上げている。
しかし冷静に考えてみれば、この会場に逃げ場はない。自分たちはこの大群衆にいつ襲われてもおかしくない状況に置かれているのだ。
……それなのに、そんな恐怖は、この会場の一体感と高揚感の中では実にナンセンスなものだった。
腐臭漂う死霊たちが歌い踊る、あまりに現実感のないスポーツの祭典――二〇二〇年:東京オリンピック・オブ・ザ・デッド。
森守は腕を組んだまま、まるで心地よい夢を見ているようだとぼんやり思った。
もしかしたらそれは長い悪夢なのかもしれないが、喜劇も、今までに感じてきた悲劇も、主観を排せば本質的に同じものなのかもしれない。
「どうじゃ、格好いいじゃろ!」
永遠とも思える二分間のパフォーマンスが過ぎて、〈喰人〉チームは人類チームと対峙する形で真横に並んだ。
「ちょ、なんで俺たちは君が代なのにお前らは『We Will Rock You』なんだよ!」
「そうっすよ! もっと他の曲も歌いたいっす! 『U.S.A.』とか!」
「いや、それは流石にダメだろ……てか、懐かしいなそれ!」
「ナショナリズムに浸れていいではないか。好きじゃろ、そんなの」
「いや、別にそこまでは……って、違う。そのことじゃない! ロンドン・オリンピックで散々流れてただろ!」
矢口の鋭い突っ込みに、〈クイーン〉は身を捩って言った。
「だって〈クイーン〉じゃもーん。……あ、もしかして『We Are the Champions』の方がよかったか?」
「何かもっと行進曲にあった……。いや、やっぱもういいや……うん、いいんじゃねーか。QUEENでも」
「賢明な判断だな、矢口」
急に面倒くさくなったように言う矢口に、森守は頷いて〈クイーン〉に向き直った。
〈クイーン〉は一通り周りを見回して、それから胸を張って言う。
「さて、それじゃ聖火を点すとするかの! ――聖火、点灯!」
〈クイーン〉がポーズを取って叫んだ瞬間、会場に『炎のランナー(Chariots of Fire)』のメインテーマが流れ始めた。
『アアアアア……ッ!』
トラック端から聖火の筒を持った一体の〈喰人〉がゆっくりと走ってきて、もう反対側からは香炉を両手で抱えるように持った〈喰人〉が入ってくる。
お椀状の香炉には墓参りに使うものよりも何倍か大きい線香が突き刺さっていた。
ランナーの手元が風に晒される度に、底に敷き詰められた灰が舞う。
『アアア……ッ』
『アアアアア……』
二体の〈喰人〉はすれ違ってそのままトラックを一周した後、両チームの前で合流した。屈みこんで天に香炉を掲げる〈喰人〉の線香に、もう一体が聖火で火を点ける。
『たった今、ランナーが手にする聖火鉢に火が点されたようです! 小さくてこちらからは見えませんが……しかし、それでも確かに点っている二〇二〇年の聖火!! どうですか、博士』
『線香って……日本式だな。もっと他にあっただろ』
「仕方ないじゃろう! トラブルで聖火台が使えなかったんじゃ!」
〈クイーン〉は周辺の音を拾っているアナウンス席のマイクに向かって叫んで、〈喰人〉から香炉を受け取った。
森守と共に壇上に上がり、王座とパイプ椅子の間にそれを置く。それから森守と共に両チームに振り返って、マイクの前で選手宣誓のポーズを取った。
「宣誓! 我々は、〈喰人〉チームと人類チームの代表として!」
「形骸したオリンピック憲章などには決して縛られず!」
「例えどんな手を使ってでも貪欲に勝利を目指すという、崇高な日大アメフト精神で!」
「東京オリンピック・オブ・ザ・デッドを戦い抜くことを……」
「「――ちかいまーす! ……栄世二年、八月四日!」」
『小学生の運動会か』
やけに間延びした二人の声に、解説役の博士は反射的に突っ込んだ。
「新人類チーム代表、〈クラウド・クイーン〉!」
「現人類チーム代表、森守優」
言い終わった瞬間、会場中に開幕を告げるファンファーレが鳴り響いた。アリーナ席の〈喰人〉が総立ちとなり、『アアアアア……ッ!』と声を上げる。
『さあ、開幕のファンファーレが鳴っていよいよ始まりました! 2020:東京オリンピック・オブ・ザ・デッド!! どうですか、博士?』
『絶対ふざけてるだろ、これ』
『確かに、関係者が聞いたら怒られそうな内容ですね』
『……というか、よく覚えてたな。もう二年も前の事件だぞ』
アリーナ席にいる〈喰人〉を見渡して、博士はやれやれとため息を吐いた。
『ま、今となってはそれも懐かしい話だな……』






