10. 微睡みの中で2
「……くん」
「う、うっ……」
「悟倫くん、大丈夫?」
目を覚ますと隣に心配そうに覗き込む江音が座っていた。辺りは闇に包まれていて、窓から差し込む月明りが部屋をぼんやりと照らしている。
どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。今は何時ぐらいだろうか。
「江音さん? どうして……」
「夕食にも顔を出さなかったから……心配で見に来たの」
「そうですか……」
「これ、水とおにぎり」
「あ、ありがとうございます」
悟倫は身体を起こして江音が差し出すペットボトルを取った。水を一気に半分ほど飲み干して、ラップに包まれたおにぎりを頬張る。
少し冷めた米とシンプルな塩の味。……そういえば狩りに出る前に食べたおにぎりもこんな味だった。意識がはっきりとしてくると、同時にやるせない気持ちが腹の底から湧き上がってくる。
おにぎりを噛み締めながら、悟倫は段々と目頭が熱くなるのを感じた。
「江音さん……僕……」
「…………」
「江音さん……。僕、世界がこうなる前は落ちこぼれだったんです。競争を避けて、色々なものから逃げて、そうなった結果が……今の僕なんです」
言いながら、涙が溢れた。
「ひぐっ、僕は……弱いんです。ぼ、僕が初めてこの村に来た日……ひぐっ、あの時も、森守さんが助けてくれなければ死んでいました。今日だって、スーさんが……」
「…………」
「だから、そんな足手まといの僕がいても、む、むしろ……」
「もういいの。悟倫くん」
江音は小さく首を振って、その手をぎゅっと握り締めた。
「あなたのせいじゃない……とは言わないわ。流石にあの状況じゃね」
「…………」
「あなたのミスが仲間を殺した。……だけど、もう全ては終わったことなの。スーさんも自分を責めるなって言ってたじゃない。全ては過去。もう既に終わったことなの。だから……」
言ってから、江音は微笑んで悟倫の涙を拭う。
「今度は、ちゃんと引き金を引いてね。失わないように」
「ありがとう……ご、ございます、江音さん……」
「悟倫くん、あなたは優しいわ。多分、この村の誰よりも」
月明りに照らされたその顔は魅力的だった。母性に溢れた天使のようにも、蠱惑的な魔女のようにも見える。
「……だから好きなのかもね」
「えっ?」
「――来て、慰めてあげる」
江音は囁いて悟倫の顔をぎゅっと抱き締めた。布越しに柔らかく安心できる温もりを感じて、そのまま力を抜いた。そっと目を閉じると、今までの出来事が鮮明に思い出される。
辛かった記憶だけではない。確かに嫌になることは多かったが、こんな世界でも楽しかったことや嬉しかったことはあった。
「……ひぐっ、江音さん」
「よしよし」
何だか我慢ができなくなって、悟倫は江音の胸の中で泣いた。
心の中にあるもやもやが嗚咽になって吐き出される。縋りつく悟倫の背中を江音は優しく撫でてくれた。
「……え、江音さんは……何で……。ぐすっ、ぼ、僕のことを……気にかけてくれるんですか?」
「――お姉さんだから」
江音は即答して、それから笑って頭をわしゃわしゃと撫でた。
「え、江音さん……の、弟さんって……ぐすっ、どんな人、でした?」
「可愛かったわよ。生きていたら……って言っても、あの日からはそう何年も経っていないわね」
「寂し、い……ですか?」
「んー? そうね……」
江音は考えるように黙って、ポツリと呟くように言う。
「慣れちゃった、かな?」
「そう……ですか」
「慣れないと余計寂しいからね」
「…………」
自分は弱い。未だに生きていることが不思議なぐらいに。今日だって倉庫で江音に助けられなかったら、スーの次に襲われて死んでいた。
森守に江音、萌花、矢口、そしてスー……いつも、誰かに助けられてきた。
これまではただひたすらに逃げてきた。〈喰人〉だけではない。陸上にしたって人間関係にしたって同じだ。とにかく拒絶して、嫌なことから逃げ続けてきた。
今まではそうしていても生きられる世界だった。……しかし、もはや世界は変わった。ただ逃げるだけではダメなのだ。
この村に迎え入れてくれた森守班のためにも、そして自分を庇ってくれたスーのためにも、ただ逃げ足が早いだけの臆病な自分ではダメなのだ。みんなを助けられる力が、蛮勇ではなく、スーが言っていたような、本当の勇気がいる。
「……僕、強くなります。森守さんみたいに、みんなを助けられるように」
「そう……」
「あの、僕……」
「いいから」
「…………」
その決意を、どう聞いただろうか。江音はそれ以上何も言わず、ただ身体をぎゅっと抱き締めてくれた。
しばらくすると泣き疲れて、今度は泥のような柔らかな眠りに誘われた。目が覚めると、また明日だ。生き続ける限り、逃れられない明日が来てしまう。
第七十六番村の日々は、常に失うことと隣り合わせだ。
……だけど、それでも。






