参
「……あんた、何しに来たのよ」
不機嫌さを醸し出して、平服をすれば義龍は無言でずかずかと雪苑の自室に入り込み、どっかりと寝台に腰を下ろした。不敬とも取れる雪苑の態度に、女官たちは慌てふためく。落ち着いているのは当事者である雪苑と義龍、そして二人の親密さを理解している若青の3人だ。
「良い、全員下がれ」
「しかし……雪苑様の御身に何か御座いましたら……」
真面目で責任感の強い燐が食い下がる。雪苑の身を案じているのだ。燐の優しさに触れ、雪苑は素直に嬉しくなる。
「いいわ。全員下がって頂戴」
丁度いい。こいつには文句を言おうと思っていたのだ。お他人様の目に触れてはいけないような惨劇が予想されるため、彼女達には下がっていて貰おう。
雪苑に諭され、若青以外全員渋々といった様子で退出する。
「俺の人選は正解だったな」
二人きりになって早々、義龍が口を開く。不遜な物言いに、むっとして口をゆがめる。そんな雪苑の頭をなでる義龍の姿は板についていた。
「背が伸びたな」
「最後に会ったのは6年前だもの」
雪苑の腕が義龍の腰に回る。
義龍も、雪苑をそっと抱きしめ返した。
「ねぇ、義龍。私に何か言うことは?」
「……すまなかったな」
「えぇ」
この男は私が謝罪を求めた意味を分かっているのだろうか。と思うものの寛大に彼の気持ちを受け入れた。雪苑は怒っていた。それも、かなり。それは先刻の、あの呼び捨ての件である。
「でもお前は了承してくれただろ。俺の寵妃を演じること」
「えぇ。でもまさか公衆面前で呼び捨てにされるとは思ってもいなかったわ。お母様も驚いていたのよ」
母、馮王太妃は先ほど名残惜し気に去っていった。王の妻としての公務が山のようにある為、あまり長くいることは出来なかったのだ。
「ねぇ、久しぶり」
「あぁ」
なんだかんだ言って、お互い好き合っているのである。まぁ、義龍はともかく雪苑は完全に恋だとか愛では無いのだが。抱き合ってこそすれ、2人の関係は兄妹のようなものだ……と雪苑は思っている。
「彼女、可哀想だったわよ。あんたの唯一の皇子の母なのに」
確かに彼女の態度は決して許されるような甘いものでは無かったが、それにしてもわざわざ断罪の如くあそこまで言う必要は無かった。
「……あいつは馬鹿だ。頭が弱すぎる」
義龍が吐き捨てる様に言う。
「ねぇ、義龍。私ね、馬鹿なんて言葉、自分が1000年に1人とかの天才じゃない限り使っちゃいけないと思うのよ」
「そもそも俺はあいつのことが嫌いだからな」
「……嘘つけ」
ゆっくりと体を話し、雪苑は寝台に仰向けになった。義龍はそんな雪苑を一瞥すると、寝台の端……雪苑の頭がある方に腰掛けた。
「どちらにせよ、余りにも不憫だわ。少しは態度を軟化させるべきよ」
「それは淑妃に対してか?」
「えぇ。そして徳妃も……いえ、後宮にいる全ての女性に対してよ」
彼は淑妃との間に一男一女、徳妃との間に一女をもうけている。淑妃の生んだ長男と徳妃の生んだ長女はそれぞれ六歳となる。淑妃の生んだ皇帝の次女は今年で四歳となる。
「あんたのあの態度じゃいつか私が殺されそう」
「寵妃たるお前が居なくなれば俺が他の女の宮に通うことになるかもしれないからな」
「全ての人に、とは言わないわ。ただ影響力のある淑妃とか徳妃には優しくしときなさいよ」
まるで、母親が愚図る子を諭すような口調で義龍に語りかける。後宮には主に二つの派閥がある。淑妃派と、徳妃派。そして極少数だが、目立たないように、淑妃、徳妃両者にペコペコしながら質素に暮らしている女性も存在する。
「俺はそういう女同士の争いが本当に嫌いなんだ。醜くて見てられない」
「他人事ね……あんたを巡って争ってるんだと思うけど」
だが、この現状ではいけないのは確かだ。黒幕ははっきりしておらず、公にはされていないが、昨年皇帝の寵姫、鄭賢妃の毒殺未遂事件があったらしい。このまま放っておけば死人が出るかもしれない。
「一番手っ取り早いのはとっとと皇后を決めて後宮を解散する事ね」
「それは嫌だ」
「あら、どうして?」
「良い女が居ない」
何が良い女が居ない、だ。その気になれば二百を超える女全員と関係を持つことが出来る身分のくせに。
「それは……あんた、ここは淑妃を皇后にするべきだと思うけど」
なんて言ったって、彼女は皇帝の長男の生母なのだ。くどい様だが最も大事といってもいい点である。
「あぁ、あいつは俺の好みじゃないからな」
却下だ。
そう吐き捨てる義龍に、雪苑は軽く眦を上げる。
「好みじゃないならどうして子を生ませたのよ。それも二人」
「それは……宰相に言われて、仕方なく」
「はぁ?」
宰相とは、淑妃の父親の事である。
「淑妃はあぁ見えてこの国一二を争う貴族の娘だからな。周りもあいつに皇子を生ませたがって。あいつも身重になれば目立つような行動はしないだろうし、言ってしまえば子が出来たからと調子に乗ってボロを出す宰相が見たかった」
「あんたほんと最低ね」
雪苑はまだ16歳。結婚とかそういうのに憧れを持っていたのである。それを今、粉々に壊された気がした。
「世の中そんなもんだろ」
義龍はそう言って言葉を切ると、音もなしにするりと寝台に滑り込んできた。
「っ何?」
「寝る」
「はぁ!?あんた、自分の宮で寝なさいよ!」
慌ててベシベシと義龍の頭を叩く。だが、たかが女人の力では成人男性である皇帝の力に叶うはずが無かった。悔しそうに唇をきっと結べば、彼はふ、と笑った。
「仮にも夫婦となったんだ。一緒に寝るくらいいいだろうが」
「あんたは良くても私がダメなの!これから持ってきた家具とかの整理しようと思ってたのに……」
いやいや、と首をふりながら訴える。別に恥ずかしいわけではないが、心の準備というものが必要である。
「一緒に寝るのなんて何年ぶりかしら」
「五年だな。俺が元服してしまったから」
先帝の三男だった彼は、皇太子であった長兄、そして次兄が立て続けに不慮の事故で亡くなってから、いきなり元服をし、立太子した。急に手の届かぬほど遠くへ行ってしまった兄のような存在である義龍を、幼い雪苑は慕って泣いたものである。もうあれから五年が経つのか。時の流れははやいものだ。
「長旅で疲れただろう?」
だから、寝ろ。
強引ながらも優しい口調の義龍に、渋々ながらも目を閉じる雪苑だった。