弐
雪苑が賜ったのは雪靉宮。元々は薛靉宮と綴っていたのだが、この度皇帝が宮の主となる雪苑の名になぞらえて改名をした。皇帝の住む、宮城に一番近く、格式が高い殿舎だ。初代皇帝、二代皇帝、三代皇帝、若干飛んで十八代皇帝の皇后、二十一代皇帝の貴妃が賜った宮も雪靉宮。由緒正しい宮なのである。因みに義龍は38代皇帝だ。
「雪苑様、よろしいでしょうか」
「いいわよ、若青」
控えめに雪苑の自室の扉を叩くのは侍女の若青だ。雪苑が実家から連れてきた乳母の娘で、雪苑に取っては乳姉妹にあたる。母である雪苑の乳母、秋麗に良く似た見目をしており色素の薄い茶髪が印象的だ。何も音を立てずに、若青が入ってくる。
「この度新しく雪苑様付きとなる女官、及び侍女が……」
「あら。どうぞ、お入り下さい」
「失礼します」
落ち着いた女性の声に続き、若い女が数人。合わせて3人が雪苑の部屋になだれ込んできた。旧知の仲である若青がいれば十分であるし、実家でも侍女は彼女だけだ。恐らく、後宮でもそうなるだろう、と思っていた雪苑は素直に驚いた。
「わたくしは雪苑様付きの女官長となりました、柳大花と申します」
「同じく女官となりました、愀月琴です」
「同じく女官となりました、薛燐と申します」
一番年上であろう……とはいえ、見た目からすると30代半ばの女性……大花が、女官長を務めるようだ。そして、侍女長は若青らしい。気心の知れた相手と知り、雪苑は安堵した。
すらりとした、恐らく平均より頭一つ高いであろう上背は、月琴。少しふくよかでどちらかと言えば幼い印象を受ける無邪気な笑みを浮かべているのが燐。
目の前で平伏をする女達の名を、必死で頭に叩き込んだ。
「面を上げて頂戴」
少女達が示し合わせた様に同時に頭を上げる。改めてその顔ぶれを見て、
___若い。
と思う。馮家に居た時にも、女官やら侍女は存在していたが、身の回りの世話が主な役目のため年配の落ち着いた女性というのが非常に多かった。若い侍女、女官といったらそれこそ若青くらいしか居なかったのだ。ずっと昔に、遊び相手として雇われた、しかしほんの1年足らずで居なくなってしまった、同い年の侍女が居たことはあったが。
そんな雪苑の気持ちを汲み取ってか、月琴が口を開く。
「陛下が慣れない後宮生活、話し相手にそなたらくらいの年齢の女の方があいつも気が楽だろう、と仰って私共をお選びになりました」
________ あの男に、気遣いなんて洒落た事が出来たのか。
思わず失礼な驚き方をする雪苑だったが、無理もない。彼の幼き頃を知っていれば当たり前の反応である。
「あの方が……成長したわね」
女官たちの手前あいつ、では無くあの方。公私を弁えているのだ、一応。
「雪苑様、一応あなたの方が陛下よりも年下なのですよ」
と、思わず突っ込む若青。雪苑も、自分で言っておきながら小母さんみたいだな、自分。と思っていたので若青の遠まわしな揶揄も否定出来なかった。
「それでは、今日からよろしくお願い致します、貴妃様」
「雪苑でいいわよ」
自分が貴妃となった自覚などほぼ無いのでそう言ったのだが、どう勘違いしたのか皆、
「それもそうですわね」
「なんといっても雪苑様は皇帝陛下の寵妃。いずれ皇后と御成遊ばすのも近いですもの」
「ちょっと待って!どうしてそうなるの!?」
慌てる雪苑に、月琴と燐があら、と意外そうな顔をする。
いや、だって私の何処に寵妃要素があるのよ、しかもまだ初日!
「今居る妃嬪の中で一番元の身分が高いのは高淑妃だというのはご存知ですよね、雪苑様」
「え、ええ……勿論」
「その淑妃様ですら入内した時は九嬪の3番目の位、昭媛でした。彼女は皇子を生んだ功績で四夫人の4番目、賢妃となりました。そして、陛下の3番目の御子、第二皇女を生んだことから現在の淑妃という位を賜ったのです」
後宮の女性には位がある。大まかに言えば上から順に、皇后以下四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻で上にいけばいくほど、位と位の差は大きくなる。
そしてその下にはさらに身分の低い宮女達がいるため、現在華国には二百人以上の妃嬪が居る。雪苑はその頂点なのだ。
「あのように親密そうに、長々とお話なさったのも雪苑様だけ。お呼び捨てにしたのも雪苑様だけ」
「雪苑様は陛下の特別な方なのです」
月琴と燐が力説する。いやいやいや、と首を降りたくなったが、彼女達は主が皇帝の寵妃であることに喜びを覚えているのだ、わざわざ台無しにすることはない。そう思い、雪苑は曖昧に頷く。
「そう……所で、外が騒がしいようだけど」
雪苑の言うとおり、ドタドタ……とまではいかないが、急いでいるような、荒々しい足音がこの部屋に近付いてくる。月琴が、恐怖に顔を引き攣らせた。
「誰かしら……」
「わたくしが見て参ります」
一番現場慣れしてそうな雰囲気を纏った大花が立ち上がる。雪苑は頼もしいわ、と心の中で拍手をした。
「貴妃様にご用事ですか」
開け放ったその扉の先に居たのは……
「へ、陛下!?」
楊義龍、その人だった。