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ライバル

作者: 月森優月

 木々の隙間からこぼれる陽光が、昨日の雨で出来た水たまりをきらきらと輝かせていた。私は夏の蒸し暑さを全身で感じながら、校庭を駆ける。また一人、クラスメイトに追い抜かれた。汗がこめかみを流れ、落ちてくる後れ毛を耳に挟んで半開きになっていた口を結ぶ。

「みのりー、頑張れー」

 私の名を呼ぶ声のした方向を向くと、校庭の真ん中に座っている女子の群れの中からはみ出し、立って応援してくれる友達の姿があった。中嶋愛、高校に入って一番に声をかけてくれた女の子。「どこの中学から来たの?」っていうありきたりな言葉なのに、クラスでグループが出来始めて取り残されている私にとってはまさに救いだった。

 私は愛に微笑み返し、ふくらはぎに力を入れる。まだ走れる、私には応援してくれる友達がいるのだから。追い抜いたクラスメイトとの距離が少しずつ縮まってゆき、更にスピードを上げた。額に張り付いた前髪が鬱陶しくて左右に分ける。吹き出る汗を手の甲で拭い、地面を蹴る私の姿は愛の目にどう映っているのだろうか。もうすぐゴールだ。

 後ろから、タッタッと軽快な足音が近づいてくる。セミロングの髪をなびかせながら、宇藤サユリが追い抜いて行った。宇藤さんは一瞬だけ振り向き、私の姿を捉え、何事もなかったかのように走り去って行く。彼女は最初からトップの集団に混じって走っていたから、一周抜きということになる。私は下唇を噛んだ。足取りが重くなるのを感じ、鬱屈した気持ちのままゴールした。ハアハア言いながら座り込んでいると、愛が「お疲れー」と言いながら近寄ってくる。宇藤さんは立ったまま青いハンドタオルで汗を拭いていた。余裕げに笑みを浮かべながら、クラスメイトと雑談をしている。愛にお礼の言葉すら返す余裕のない私とは違いすぎて、悔しい、と思う。そんな宇藤さんがこちらへ歩いてきた。

「お疲れさん」

 手をひらひらさせながら、涼しげな顔で言う彼女に、何と返せばいいのか分からずにじっと見つめていた。愛が、「さっちゃん速かったねー」と呑気な口調で言ったもんだから、敗者という烙印を押されたようでますます気分が重くなった。

「走るフォーム、綺麗だったよ」

 宇藤さんに言われ、顔が火照るのを感じた。宇藤さんは陸上部、私は帰宅部。負けたのにフォームを褒められても嫌味にしか聞こえず、「ありがと」と引きつった笑みで返す自分も嫌だった。

 中間テストで、私は学年十八位だった。宇藤さんは十七位だ。その前のテストでは私が二十二位で、宇藤さんが二十四位だった。いつも接戦を繰り広げる私たちに「宇藤と佐野はライバルだな」と先生が言ってきて、それから更に彼女を意識するようになった。

 ライバル。勉強ではそうかもしれないが、運動神経では圧倒的に宇藤さんに負けている。容姿だって、彼女はミス南高に選ばれたことがあるほどだ。それはつまり、人気があるということも意味している。気付けば私は、彼女の唇が厚いとか口調が上から目線だとか粗探しをしていて、愛にも「私、宇藤さん嫌い」といった悪口を口にしていた。愛はやれやれと言った様子で話を聞いてくれるだけで、愛をも味方に付けているなんてさすが人気者ですね、と宇藤さんへの嫌悪感に拍車をかけた。

 例えば、彼女の大きな瞳。先生に難しい問題を当てられても冷静な光を宿したままで、私だったら成績はいい方だとはいえドキドキしてしまうのに、いつでも余裕があって。綺麗にブローされた髪の毛は、すれ違うといい匂いがした。

 私は難関大学の推薦を狙っている。なのに私と同じ大学を宇藤さんが志望していることを知り、どちらが推薦を取れる可能性が高いか、そんなの考えなくても分かっていた。私は所詮勉強しか出来ず、彼女のような積極性も明るさも持ち合わせていないのだから。けれどまだ諦めたくない、せめてもう少しいい成績を修めて彼女との距離を伸ばせたら。

 それに、もう一人油断出来ない相手がいた。中嶋愛、私の一番の友達。クラス順位でいつも私の一から二位下にぴったりくっついてきて、苦手な科目のない器用さで学級委員を務める実力者。でも愛は私の志望校よりワンランク下の大学を狙っている。だから私を脅かすほどの存在にはならないだろうと思っていた。


 私は照りつける日差しの中、ほうきで中庭を掃いていた。埃が舞い上がり、むせそうになりながら。ところどころ竹の枝が飛び出ていて年季を感じさせるほうき。学校の備品は買い換えるということをあまり知らない気がする。担任が渡り廊下に現れ、「佐野」と手招きした。掃除中に呼ばれるなんて何だろうと思いながら、ほうきを持ったまま、小走りで担任の元へ行った。

「ちょっと話がある。掃除はもういいから、職員室まで一緒に来なさい」

 呼び出しって奴だ。何かした覚えもないのにと怪訝な表情を隠しきれずにいると、「宇藤とのことで訊きたいことがある」と担任が言うので、ますます何なんだか分からなくなった。とりあえずほうきをロッカーにしまい、歩き出す担任の後をついてゆく。重要な話だ、と背中が物語っているようで、緊張した。

「お前、宇藤とはあまり仲良くないのか?」

 担任が振り返った。私は首を傾げながら、「そんなこと、ないですけど。話はそんなにしないです」と答えた。その答えに不満足そうな表情を浮かべる担任の真意が分からない。

 担任が扉を開けたのは職員室ではなく、会議室だった。中には宇藤さんと愛が一個席を離して座っている。二人とも神妙な顔で俯いていた。担任に座るよう促されたが、落ち着かないので拒んだ。早く何の話か明らかにしてほしかった。カーテンで遮断された窓のせいか、会議室は薄暗く埃臭い。

「早速本題に入るが、佐野が宇藤をいじめているというのは本当か?」

 思わず「は?」と言っていた。面食らうとはこのことだ。今の私は間抜けな顔をしているだろう。宇藤さんはもじもじと手を動かしている。こいつか、犯人は。

「宇藤がお前にいじめられていると言っている。中嶋も、証言している」

 驚いて愛の方を見た。愛は、上目遣いで私を見ていた。申し訳ないような眼差しだ。どうなっているのだろう。

「私、いじめてません。宇藤さんと愛は何て言ったんですか」

 忌々しい気持ちになりながら、担任に尋ねた。担任は重い口調で、「宇藤はなあ……。お前が靴を隠しているのを見た、と言っている。中嶋は、お前がよく宇藤の悪口を言っていたと、まあ、言っているんだ」

 信じられないと思いながら二人を睨んだ。宇藤さんは虚偽の報告をし、愛は告げ口をしたということか。宇藤さんより愛の方が憎かった。友達だと思っていたのに。悔しくて視界が涙で歪んだ。

「悪口は言いましたけど、いじめてなんかいません」

 担任の表情は曇り、「だそうだが、どうだ? 宇藤」と話を振った。宇藤さんははっとした表情になり、いつものような堂々たる姿ではなく、背中を丸めて、「でも私……隠されました。靴。見てました」と言った。

「何で嘘言うの?私宇藤さんに何かした?」

 その問いに彼女は答えなかった。


 担任は「佐野の主張は分かった。真実は先生には分からないから、とりあえずだな、受験もあることだし疑われるような行動は慎むことだ。二人はいいライバルなんだから、上手くやっていってくれよ」と言って丸く収めようとしたが、私の主張を信じていないのは分かった。宇藤さんが先生たちのお気に入りだっていうのは知っていた。休み時間、楽しそうに先生と雑談を交わし、授業中も挙手発言をする彼女には信頼という実績があった。

 私は宇藤さんに、「何であんな嘘言ったの」とは訊けなかった。彼女の目を伏せながら早足で歩く姿を見て、ああ、私を陥れて推薦を貰いたかったからだなと分かったから。普段あんなに自信に満ちてそうだった宇藤さんでも、怖かったのだ。それよりもショックだったのは愛だ。彼女も俯きがちに私の前を歩いている。

 私は教室に逃げようとする愛をつかまえた。

「ねえ、何で告げ口したの」

「ごめん、みのり……」

「ごめんじゃ分かんない」

 愛は震えていた。肩を掴もうとすると、彼女は後ずさった。私たちの様子を、クラスメイトが怪訝な表情でちらりと見た。

「ごめん」

「愛も、私を陥れたかった訳?」

「そういうんじゃ、ないけど」

 これ以上問い詰めても無駄だと思い、私は黙って踵を返した。愛への苛立たしさをどこに向けていいのか考え、放課後私は神社へと向かった。


 神社は誰もいなかった。願い事が叶うと一時期女子の間で有名になった神社だというのに。生い茂る木々が境内に影を落としている。日陰は少しだけ風が涼しく感じる。私は絵馬に『中嶋愛が不幸になりますように』と書いた。絵馬掛けに吊るし、手を合わせる。軽い気持ちでしたことだった。でも、愛への憎しみは本物だった。

 次の日、愛は登校してこなかった。少し不安になり、しかし愛がいない教室で他に話しかける相手もおらず、変わらぬ様子でクラスメイトとお喋りをする宇藤さんを見つめていた。宇藤さんは私の視線に気付いているのかいないのか、いや、きっと気付いているのだろう、頑なに私の方を見ようとはしなかった。

 担任はいつもより遅く教室に来た。「今朝、中嶋が交通事故に遭った」と重々しい口調で言い、私は目を丸くした。教室がざわめく。心臓の鼓動が速まり、全身に鳥肌が立った。そんなとき、宇藤さんがこちらを振り返って目が合った。哀れむかのような、悲しげな視線に少々驚きつつも、それより愛の容態が心配だった。

 担任の話によると、怪我は軽いらしかった。私の絵馬のせいだろうかと責任を感じ、つい爪を噛んだ。やっぱり私は愛のことを嫌いになりきれない。だってあんなにも優しい笑顔で接し続けてくれたじゃないか。

休み時間、宇藤さんが話しかけてきた。その顔には怯えが表れていた。

「愛ちゃんが事故に遭ったの、私のせいかもしれない」

 人通りの少ない廊下でそう話す彼女は、私に怯えているのか、愛の事故に怯えているのかどちらだろう。とりあえず、昨日の今日で私に話しかけるほど責め苦を負っているのは分かった。

「何で?宇藤さん関係ないじゃん」

 知らないけど。

「私が、その、いじめられてるって嘘ついて、愛ちゃんに口裏合わせてもらったから。そのことを後悔して事故に遭っちゃったのかも」

 彼女は、愛が自ら車に飛び込んだと思っているのか。

「なら、事故に遭うのは宇藤さんだったかもしれないの?」

 宇藤さんははっとした表情で私を見た。

「それとも微塵も後悔してないの?私に対しては」

 案外、宇藤さんの言うことは本当かもしれない。私を裏切ったことを苦にして飛び込む、意外と繊細な愛ならやりかねない。だから、宇藤さんが憎かった。

「ごめんなさい……怖くて、みのりちゃんが。大学の推薦とか、取られたらどうしようって」

「私は、平気で嘘をつける宇藤さんの方が怖いよ」

 こんな状況でも「みのりちゃん」とちゃん付けで呼べる宇藤さんの余裕のありようも怖かった。


 次の日、愛は腕を包帯で巻いて登校してきた。一番に私に話しかけてくる。

「ごめんね、みのり。死にきれなくて」

 やっぱり、宇藤さんの考えたことで当たりだったのかもしれない。私は「何言ってるの。愛が助かって良かったと思ってるんだよ?」と本当の気持ちを伝えた。

「絵馬。みのり、でしょ?」

 一気に血の気が引くのを感じた。そうか、愛が事故に遭ったのは、車に飛び込んだのは私のせいだったんだ。くらくらし、机に手を付いた。因果応報という言葉があるが、罰を受けたのは一体誰ということになるのだろう。嘘をついた宇藤さん、宇藤さんにお願いされて告げ口をした愛、絵馬に愛の不幸を願った私。

「ごめん。でも私、やっぱり愛が好きだよ。それは本当だから、信じてほしい」

「ありがとう。ごめんね、みのり。私が悪いのにね」

 無理に微笑む愛の姿は痛々しくて、目を逸らした。

「私も、みのりと同じ大学目指すことにしたんだ。ずるはもうしない」

 小さな声ながらも、はっきりと言った。宇藤さんが、私たちをじっと見つめていた。


「宇藤さん、何位だった?」

「十五位。みのりちゃんは?」

「十四位。ギリギリセーフだ。愛は?」

「二人ともすごいね。私は二十二位だ。次こそ抜かしたるっ」

 それから、私たち三人はライバルとして真正面から勝負することにした。あのときみたいに、誰も嫌な思いをしないように。もうすぐ夏が終わり、私たちの戦いが本格的になる。


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