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樹霊  作者: 丸虫52
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第一章 滅びゆくもの 3

 僕が研究室へ行くと、珍しく教授は机に向かっていた。無精者で時間にルーズな教授にしては非常に珍しいことだ。

 僕の上司に当たる初瀬川はつせがわ教授は、六十代半ばでどこか浮世離れした感覚の持ち主で、人付き合いが下手な人だった。決して人付き合いが上手いとは言えない僕が言うのだから、間違いなく下手だ。これでよく大学教授になれたものだと感心するくらい、口下手で愛想というものがない。

 それでも彼の植物の浄化作用についての研究に関しては、近年の地球の温暖化防止運動の影響もあって、日本だけではなく外国でも高い評価を受けている。というより、外国での評価の方が高い。だから今の地位はおかしくはないのだが……。

 しかし彼にはそれらの評価を補って余りあるほどの悪評もある。つまりかなり自己中心的なところとか、本音中心のところなどである。いつでも建前よりも本音の方が先に口から出るので、人当たりがキツイ印象を与えてしまう。そのため、同僚や学生の大半からは煙たがられている。

 ワリを食うのは教授の助手で、いつも教授と周りの人との間で、批難の矢面に立たされるわ、教授の我が儘に振り回されてしまうわで、なかなか助手が居つかない。

 例えば講義のない時は所在不明で、用件がある時は大学内を捜し回らなければならない。行き先ぐらいメモを残しておいてほしいと何度頼んでも、いつも上の空の返事しか返してこない。しかも他人に対する思い遣りというものがなく、相手が間違ってる場合の糾弾の仕方は遠慮というものがない。傍目で見ていて気の毒になるほど徹底的に遣り込める。

 しかし人間相手だと傍若無人ぶりが目につくのに、植物が相手だと信じられないほど実に細やかな愛情を見せる。「植物にはちゃんと意志も感情もある」というのが教授の持論だけど、彼の対応を見ていると納得させられてしまう。教授は独身だけれど、もし家族がいらしたとすれば、きっとこんな風に接しているではないかと思えるほど穏やかな安らいだ顔をする。僕はそんな時の教授を知っているし、そういう彼はとても好きだ。

 だからだろうか、僕は助手になって三年目に突入しているが、今まで教授とはこれという衝突をしたことがない。それ以前の人達は長くても三か月が限界だったらしいから、これは信じられないことなのだそうだ。

 ドアの開いた音に気付いて、教授は顔を上げると僕の方を見た。

「おはようございます」

 僕の挨拶に、教授は「ああ」とも「うん」とも聞こえる声を出した。

「お早いですね。何か他に用事でもおありだったんですか?」

「いや、ま、ちょっとな。立ってるのも何だろう、ちっとそこに座れ」

 教授は来客用のソファを目で示した。

 僕は軽く会釈をすると、ソファに腰を下ろした。

 旅行鞄を隣に置いて、手に持っているものを目の前のガラステーブルにそっと置く。教授はそれを見て複雑な顔をした。

「それを持ってくのか?」

「はい」

 教授は立ち上がると、唸りながら歩いてきて僕の向かいのソファに座った。

「おまえがそいつに入れ込んでいるのは知ってるが、何も旅行にまで持ってくことはあるまい。じゃまだろう? 私がちゃんと面倒見てやるから置いていけ」

「お気持ちは嬉しいんですが、これを持って行くのでなければ僕が行く意味がなくなるんです」

 強く言い切って、僕はテーブルの上の鉢を見た。小さいながらも、それは凛として胸を張っているように見えた。

 教授は溜め息をつくと、

「なぜかと訊いても、今さらおまえが言う訳はないな。言うつもりがあれば、とうの昔に言っとるだろうからな。……ま、いい」

 教授は薄汚れた白衣のポケットに手を突っ込んだ。

「言う気になったら、真っ先に言えよ」

 言いながらごそごそと内を探った。やがてくしゃくしゃになった茶封筒を取り出すと、テーブルの上に置いた。

「昨日言った金だ。無駄遣いができるほどは入っとらんからな」

「有り難うございます。確かにお預かりします」

 僕は押し頂くようにすると、その封筒を鞄の中に丁寧に仕舞い込んだ。

「あれからこっちも一応調べてみたが……」

 僕の動作を見守っていた教授が、重そうに口を開いた。僕は教授を見上げた。

「人骨の方はどうやら犯罪とは関係がないらしい。骨は全部男性で、年代にかなりバラツキがあるそうだ。人間以外の、鳥や動物の骨も混じっていたと言うことだ。どうして樹の中に入っていたかは不明のままらしい。」

「そう、なんですか……」

「特に観光の目玉になるようなものもないところだから、今回の騒動は地元にとって嬉しいやら迷惑やらで、戸惑っているらしい」

「迷惑?」

「宿泊施設がないのに報道陣やら学者やらがわんさか来たんだとさ。泊まる場所を確保するのが至難の業らしい」

「ああ、そういう意味ですか」

 別の意味を考えていた僕は、少しほっとして呟いた。

 教授は少し心配そうな顔をしていた。

「藤岡、おまえはどうするんだ? まさか、野宿するつもりじゃないだろうな? 暖かくなってきているとはいえ、朝晩はまだかなり冷え込むぞ」

「いいえ。実は学生のころに一度行ったことがありまして、その時にお世話になった宿のご主人にお願いしたんです。今はもう宿屋はやめておられるんですが、僕一人ぐらいなら泊めてもいいとおっしゃって下さって……」

「そうか、ならいい」

 教授は、小さな吐息を漏らして、それきり黙り込んでしまった。でもそれは会話の終了を告げるものではなく、教授の迷いのせいだった。テーブルの上に置かれた手の指が、心を表すように小さく動いていた。

 逡巡の後、ぽつりと教授が言った。

「……あそこには『天狗伝説』があるんだって?」

「『天狗伝説』?」

「というか、神隠しというヤツだ」

「ああ、それなら聞きました。地元の人は絶対に近づかないところがあって、そこへ入り込んだ人は必ずいなくなってしまうとか……。僕も近づかないように注意されました」

「そうか、知っとるんならいいんだが……」

 何事か言いたそうに教授は口籠った。言いたいことは遠慮なしにズバズバ言う教授にしては珍しいことだった。

「あの……何かあるんでしょうか?」

 僕が訊ねると、教授はちらり視線を上げた。けれどそれ以上何も言わない。しばらく待ったがやはり言葉はなかった。

 そのうち列車の時間が迫ってきた。僕は隣に置いた鞄に手を掛け、テーブルの上の鉢を抱えた。

「申し訳ありませんが、そろそろ行きませんと列車に乗り遅れてしまいますので」

 声をかけて立ち上がると、教授は困惑した顔で僕を見上げた。

「あ…ああ、そうだな……。気をつけて行ってこい」

「では、失礼します」

 僕は一礼すると、そのまま部屋を辞した。

 ドアを閉じる直前、首だけ回してこちらを見た教授が、大きな溜め息混じりに何事か呟いたようだったが、僕には言葉の意をとらえることはできなかった。

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