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樹霊  作者: 丸虫52
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第二章 神隠しの森 5

個人的にいろいろあって遅くなりました。この後もちょっと遅れがちになるかもしれません。

 人が頻繁にここを通ることを示しているように、獣道は思った以上にしっかりとしていた。それでも道の両脇には鬱蒼と茂る木々があって、下草も伸び放題だ。手入れをしてあるようには見えない。僕は北田氏にその事について訊ねてみた。

「ここの手入れはどうなっているんですか?」

「手入れ? そんなものした事は無い」

 北田氏は後ろを振り向きもせずに、すぐに返事を返して来た。

「ここらの山の持ち主は、みんなそうだ。山の事は山に任せてある。古くなれば倒れ、新しい木が育つ」

「じゃあ植樹とかはしないんですか?」

「せん。いらんもんは枯れるし、必要なものは伸びる。大体、よそから持ってきた苗木は根付かん」

「根付かない?」

「この山は木を選ぶ。ここで芽吹いたものしか受け入れん。余所で育った木はこの山には異物だ」

「じゃあ、植相は昔から大きく変化していないってことか」

 独り言のように言った僕の言葉に、北田氏も同じように独り言のように返した。

「下手に人間が手を入れると、ロクな事にならん」

 ――だとしたら、ここは白神山地や知床並みの原生林という事になる。

 山に木を植えて育てているところはたくさんある。そしてそのほとんどが材木を採るためで、秋田や京都など銘木の産地と言われるところがそうだ。そう言うところは同じ種類の木を、同じくらいの長さと直径の木にするために人が手間暇かけて木を育てる。

 傍から見ると揃った木は美しい。しかし同じ木ばかり育てていると、弊害も生まれてくる。

 例えば常緑樹の林では、落ち葉による腐葉土が形成されにくく土が痩せる。その結果山自体の保水力が低下し、雨が降るとすぐに麓の河川に流れ込み急激な増水を引き起こす。また、やせた土は樹木の重さに耐えられなくなり、少しの雨でも山肌を滑り落ちてしまう事がある。土石流の発生である。

 それを防ぐために大規模な防災工事を行ったり、地形を変えたりしなければならなくなる。木を育てる事に手をかけ、そのために起こる災害を防ぐために金をかける。そう言うところでは人は自分達で災害の種をまき、それを育てているように思う。

 そしてそれとは逆には樹を利用して自然の脅威を減らそうとするものがある。保安林というものがそれだ。

 保安林には全部で十七の種類がある。その内、水源涵養の為のものが全体の七四%、土砂流出防備が二二%、他には土砂崩壊防備・水害防備・落石防止など斜面や水に関係するものが七項目ある。こちも人の手が入るが、方向性は反対だ。木や山を人が「守る」のではなく、木に人が「守ってもらう」のだ。考え方としては、植物寄りだと僕は思う。だからここのように人の手が入らないところは、見た目が雑然としていても災害が起こりにくい。

 そんな事を考えながら僕は北田氏の後について歩いて行った。

「いてっ!」

 上から撓った小枝が下りて来て、僕の額を打った。さっきから枝や葉に何度も顔や腕を打たれた。山歩きをしていれば当然ある事だが、前を行く北田氏にはそんな事は一度も無い。慣れもあるのかもしれないが、彼はじつに巧みに枝を避ける――いや、枝が自らの意思で彼のすぐ後ろに降りるという感じだ。

 目の前に枝がないというわけではない。煩そうに目の前の枝を払うこともある。しかしその仕草は乱暴には見えない。また覆いかぶさってくる枝にしても、僕のように行く手を阻むというより、頭を撫ぜる、いとおしそうに抱擁するというように感じる。そしてそんなふうに感じる自分事自体が、不思議だった。

僕は霊感なんて無いし、気配に敏感だとも思っていない。なのに、この山に入ってからずっと何かに監視されているような感じがしていた。耳を澄ましても鳥の声や葉ずれの音以外聞こえないし、後ろを振り返っても何も見えないのに、だ。

 額の当たった枝を指で摘んで避けようとした僕は、その枝を見て北田氏に声をかけた。

「すみません、少し待って下さい」

 北田氏は立ち止ると、僕の方を振り向いた。半分呆れたように、

「またなんか珍しいもんでもあったか?」

「多分ヒメヒサカキだと思うんですが……採ってもいいですか?」

 僕はカメラをその枝に向けて、シャッターを切りながら訊ねた。

「ああ、構わん」

 苦笑しながら北田氏は答えた。

 僕はカッターを出して枝先を慎重に切り取った。

 サカキ属の葉には間違いがないが、ヒメヒサカキは、屋久島にしかないはずだ。他のヒサカキだとしてみても、一般に言われているところと生えている場所に差がありすぎる。大学に戻って詳しく調べてみる必要がある。

 ノートにメモを取って、僕は木の全景を取るため少し後ろに下がった。北田氏はそんなぼくの様子を黙って見ていた。

 山に入ってから、僕は何度もこうやって北田氏の歩みを止めている。最初は警戒していた彼は、その都度撮影と採集許可を求める僕に、採取に関しては何度か拒否されたが、撮影だけは申請しなくてもいいと言ってくれた。

「俺にゃ違いなんぞわからん」

 立ち止まって許可を求める僕に理由を訊ねるから、その度に少々熱のこもった専門的な解説をしてしまうと、彼は呆れの混じった面倒くさそうな返事を返した。

 僕は次第に大胆になり、北田氏の後を追いかけるだけではなく、自分からあちこちの繫みに顔を突っ込むようになった。その度に北田氏に声をかけ、先行している彼は何度も戻って来た。

 そうやって進んで何度目かの繁みを覗いた時、いきなり目の前が開けた。実際にはまだ山の中にいたのだが、雑多な樹木の枝葉で目の前が覆われて見通しがきかない状態が、遠くまで視線が通るようになったのだから開けたように感じても不思議ではないだろう。

 目の前にあったのは杉の林だった。

 直径は一メートル以上あるだろう。すっきりと伸び、下枝が一本も無い杉が目につく限り並んでいた。

 あの『杉林』だ、とすぐにわかった。

 僕は茂みの中から顔だけを出した状態で、杉の木の上から下へと視線を動かした。杉林の下には細かい針のような葉が、茶色い絨毯のように延々と続いていた。

 あと一歩踏み出せば、杉葉の絨毯の感触を感じられる――それはとても魅力的な誘いだった。

 ――近寄らない方が良いですよ。

 宿の主人の言葉が蘇った。そうだ、わざわざ忠告してくれたのだ。僕にはわからなくても、きっと何かあるに違いないのだ。

 僕は断腸の思いで繁みから顔を抜くと、葉の幕を閉じた。踵を返すと、北田氏がこちらを見ていた。

「――行かないのか?」

 どこかしら挑むような、探るような目で僕を見ながら言った。

「『神隠しの杉』でしょう?」

 僕は言った。

「『谷の屋』のご主人が、近づかない方が良いとおっしゃってました」

 言いながら北田氏の方へ歩いて行くと、彼は少し目を見張ってから、

「そうだ。人喰い杉だ。あの中へ入ると二度と戻って来れない。」

 憮然とした表情で言った。

「昔は年寄りの言葉には何をおいても従ったものだ。科学的な説明や理論的な説明は出来なくても、経験から来た勘や実績があった。迷信と言うのは非現実的なものじゃないという事を、今の奴らはわかっとらん」

 吐き捨てるように彼は言った。北田氏自身は老人と言うほどに年をとっているわけではないのに、よくこんなふうに年寄りじみた言い方をする。

 僕は、ここへきて北田氏の口数が増えてきている事に気付いた。これは僕にとって良い傾向なのだろうか? そう思っていると、相も変わらずぶっきら棒に、

「ウチの山はそこまでだ。下は川の側まである」

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