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沈黙の女神  作者: もり
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「こちらが国王陛下からのお手紙でございます。そして、これらが……母とマリベルから」


 国王からの手紙を恭しく差し出した後、エリオットは軽い調子に変えて叔母と従妹からの手紙をレイチェルへと渡した。

 二人からは他にも手編みのストールやレイチェルのお気に入りのお菓子など、色々な贈り物もあるようだ。


『ありがとう、エリオット……。でも私、二人に何も用意できていないわ……』


 受け取った物をドナ達へと預け、レイチェルが申し訳なさそうに手ぶりで気持ちを伝えると、エリオットは優しく微笑んだ。


「別に、そんなものはいらないよ。レイチェル様がお元気でお幸せならば、二人には十分だからね」


 その温かな言葉に涙が込み上げてきたレイチェルは、慌てて視線を逸らした。

 しかし、エリオットに誤魔化しは通用しなかったらしい。

 じっとレイチェルを見つめ、嘆息する。


「……どうやら僕の勘違いだったらしい」


 呟いたエリオットはレイチェルの後ろに控えるクライブに鋭い視線を向け、くいっと顎で扉を示した。

 そして、ドナや侍女達に小さく頷いてレイチェルと二人きりにしてくれと頼む。

 クライブやドナ達が静かに控えの間へ姿を消すと、エリオットは立ち上がり、そっとレイチェルに近づいた。

 膝の上でぎゅっと握った手に温かな手が重ねられる。


「レイ、僕を見て?」


 幼い頃の懐かしい呼びかけ。

 レイチェルは長いまつげを震わせ、足元に跪いて見上げるエリオットと恐る恐る視線を合わせた。


「僕は母とマリベルに約束したんだ。もし、レイが幸せでないなら、つらい思いをしているなら、攫って帰ると」


 穏やかに大胆な発言をするエリオットに驚いて、レイチェルは目を丸くした。

 その顔を見て、エリオットがくすりと笑う。


「お空が落ちてしまいそうだよ」


 レイチェルの空色の大きな瞳を、エリオットは昔からよくそう言ってからかった。

 思わず笑みがこぼれる。それなのに、なぜか涙も一粒こぼれ落ちた。


「レイ、もう我慢しなくていいんだ」


 そう囁いて、エリオットはこぼれた涙をぬぐう。

 何度も何度も、丁寧に。

 やがてレイチェルが落ち着くと、エリオットはまた穏やかに微笑んだ。


「大丈夫かい?」

『ええ。ありがとう、エリオット。私ね、ここに来てからたくさんの失敗をしたの。そのせいで……自業自得なのよ』

「レイ――」


 言いかけたエリオットを遮るように、レイチェルは立ち上がって窓際へ向かった。

 しかし、窓外を見ることなく、室内へと振り返る。


『私、もっと頑張ってみるつもり。ずっと花嫁になることは諦めていたのになれたんだから、次は幸せな結婚を目指してみるわ。だから……ありがとう』

「……そうか。まあ、レイがそう決めたなら仕方ないな。僕の胸は心配で張り裂けそうだけど」


 大げさにため息を吐いて立ち上がると、レイチェルへと歩み寄り軽く抱きしめた。


「明日はその笑顔でブライトン軍を激励してやってくれ。ありがたい女神様の微笑みに、きっと兵達の士気もあがるよ」


 そう言うとエリオットは少し離れ、レイチェルの形の良い鼻を指先できゅっと持ち上げ……ぷっと吹き出した。

 そして、呆気に取られたレイチェルが文句を言う間もなく控えの間に向かう。


「じゃあ、また」


 ひらひらと手だけを振る大きな背に向けて、レイチェルは手近にあったクッションを投げつけた。

 だが、残念ながら壁にぶつかって落ちる。

 今度は高らかな笑い声を上げて、エリオットは去って行った。



   * * *



 ドナ達が入れ違いにレイチェルのもとへ戻ると、エリオットは顔から笑みを消し、クライブに詰め寄った。


「何をやってたんだ、お前は」

「すまない」


 燃えるような怒りをはらんだ静かな批難。

 しかし、弁解もなく沈痛な面持ちで謝罪したクライブに、エリオットは顔をしかめた。

 これはただの八つ当たりでしかない。一介の騎士であるクライブにできることなどほとんどないのだから。

 エリオットは後ろめたさにクライブから目を逸らし、気を静めるように何度も深呼吸を繰り返した。


「――レイチェル様とフェリクスの仲はどうなっているんだ?」

「思わしくないな。フェリクス国王はレイチェル様を誤解したままだ。それにおそらく一度も……」


 言い淀むクライブの言わんとすることを察して、エリオットが片眉を上げる。


「馬鹿な奴だな」


 呟いて、エリオットはガラス越しの眼下に広がる中庭を見下ろした。

 隣の部屋からは侍女達の楽しげな笑い声が聞こえる。

 鮮やかな朱色の光に照らされて、黒い影になったままエリオットは振り向いた。


「クライブ、お前とレイチェル様の仲はどうなっている?」

「何を馬鹿なことを!」

「そう、馬鹿なことだな。だが男女の仲など、どうなるかわからないだろう? 単純なようで、すぐに複雑に絡み合ってしまうのだから」

「エリオット、頼むからお前が、レイチェル様を貶めないでくれ」

「……俺は、レイチェル様のこともお前のことも、よくわかっているつもりだ。しかしな、クライブ……」


 拳を握りしめて殴りかからないよう必死にこらえているクライブへ、エリオットはゆっくりと近づく。

 そして、声をひそめて続けた。


「なぜお前が、レイチェル様の護衛騎士に任命されたと思う? 実力ゆえか? 昔馴染みだからか? あの方達がそんなにお優しいと思うか?」


 畳みかけるように次々と質問を投げるエリオットに、クライブは顔をしかめて黙り込んだ。


「この国で、城で、レイチェル様が孤立する中、自分をわかってくれる優しいお前がいれば、つい縋ってしまいたくなるのも仕方ないだろう?」

「おい!」

「国王夫妻の部屋は扉一枚で繋がっている。実際の仲は二人にしかわからない。知っているのはせいぜい王妃の忠実な侍女だけだ」

「……何が言いたい?」

「この先、王妃が懐妊し、黒髪の赤子を産んだとしたら?」


 レイチェルのことを急に別人のように話すエリオットの顔からは感情が消えている。

 クライブは一度大きく息を吸って、忌々しげに吐き出した。


「国王が否定するに決まっている。認めるわけがない。それどころか……」

「だが、その国王がすでに亡くなっていれば誰も異を唱えられない」

「まさか……」

「エクスームは本気だ。戦争は避けられない。文字通りバイレモ地方は宝の山だからな。だがそれはブライトンにとってもだ。さて、では武勇の誉れ高いモンテルオ国王が戦場に赴き、運悪く命を落としたらどうなる? 王妃が懐妊していれば、男児だろうが女児だろうがその子が王となる。そして当然、ブライトン国王が後見につくだろうな」

「そんなこと……上手くいくわけがない。そもそもレイチェル様がそのような――」

「この話にレイチェル様の名を出すな。この馬鹿げた話は誰かの勝手な妄想にすぎない。だが……王妃が懐妊していなくても、王弟のどちらかと再婚すれば、立場の弱い妾腹の王子はブライトンの後ろ盾を得て王となれる。そして王妃が子を産めば……あとはどうなるかな」


 そこまで口にして、エリオットは一度息を吐いた。

 部屋には重苦しい空気が漂っている。


「陛下は非情なお方だ。それも年々酷くなっていらっしゃる。もし……いや、とにかくお前は必ずレイチェル様をお守りしろ。必ずだ」

「もちろんだ」


 力強く頷いたクライブを見て、エリオットは廊下に繋がる扉へと向かった。――が、足を止めて振り返る。


「クライブ、俺は大切なものをそう簡単には手放すつもりはない。特に腑抜け相手にはな」

「ああ、わかっている」


 再び力強く頷いたクライブに今度は満足そうな笑みを返し、エリオットは出て行った。




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