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沈黙の女神  作者: もり
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「国王陛下、王妃陛下、ご成婚おめでとうございます!」


 緊張のあまり震える手を必死に抑えながら署名した結婚神誓書が、礼拝堂に集まった参列席に向かって掲げられると、列席者達から祝福の声が上がった。

 ここで初々しい花嫁ならば恥じらいに頬を染めながら微笑むべきだろう。

 しかし、演技でも何でもなく、レイチェルの顔はこわばったままピクリとも動かない。


「……さあ」


 同じようにこわばった表情のまま、フェリクスがレイチェルの腕を掴んで歩き始めた。

 力強い大きな手からは、彼の熱と苛立ちが伝わってくる。

 列席者達からは祝福の言葉と拍手を受けるが、その表情を見ればそれが偽りであることは明らかだった。

 王城に着いた初日、歓迎晩餐会の席で城の者達を完全に敵に回してしまったのだ。


 ブライトン王宮での公式行事の時には常に父である国王が側にいたせいか、話しかけられることは滅多になかった。

 それが歓迎晩餐会では当然のことながら次々と貴族達が挨拶に訪れ、興味津々で質問をしてくる。

 レイチェルは澄ました顔で小さく頷くだけ。言葉が必要な時は扇子を広げて口元を隠し、後ろに控えていたクライブに何事か囁くふりをした。

 するとクライブがレイチェルの言葉であるかのように、適当に答えてくれるのだ。

 この態度がやはり噂通りの高慢な姫だと反感を買った。


「陛下もお気の毒に。あのような高慢な王女をお妃になされなければならないとは……」

「目を見張るほどの美しさでも、あれほどに性格に難があってはなあ。沈黙の女神とは上手く言ったものだよ」

「なんて、おいたわしい。ブライトン国王も散々甘やかした姫に手を焼いて、我が王に押し付けなさったのよ。サクリネとの戦がなければ、陛下がこのような犠牲を払われることもなかったのに」


 礼拝堂の中央通路をフェリクスと共に歩むレイチェルの耳に入って来る言葉は彼女を傷つけた。

 だが反論することはできない。声を持たないだけでなく、レイチェル自身がそのように印象付けているのだから。

 同じように聞こえているはずのフェリクスをちらりと窺うが、その顔は無表情のまま。


(そういえば、この方の笑顔も見たことないわ……)


 初対面の舞踏会でも、中庭でも、帰国の途につく時の見送りの際も、固く唇を結んだままだった。そして、レイチェルを迎えた時も、歓迎晩餐会の時でさえも。

 笑える状況でないのだから仕方ないかもしれないが。


(それもこれも、私のせい……?)


 モンテルオ国内が戦で荒れれば、ブライトン王国も打撃を受ける。実際、サクリネ王国との戦の時には流通が滞り、ブライトン国内の物価も上がってしまった。

 それだけでなく、バイレモ地方を狙うエクスーム王国とはブライトン王国も時折小競り合いを繰り返している。

 モンテルオへの支援は、ブライトン王国を守るためにも不可欠なのだ。

 それ故、数々の条件と共に同盟の強化と銘打って押し付けられたこの度の婚姻は、フェリクスにとっては不本意なのだろう。しかも相手が高慢な王女だとくればなおさらだ。


「――レイチェル」


 礼拝堂を出て、城までの短い距離を移動するために馬車に乗った時、フェリクスからそう呼びかけられてレイチェルは驚いた。


「もう、あなたは私の妃だ。レイチェルと呼んでもいいだろう?」


 問われて、レイチェルは頷いた。

 レイチェルと呼びかけられただけなのに、胸がドキドキし頬が熱い。


「レイチェル、この後は――」


 恥ずかしくて顔を伏せたレイチェルに、フェリクスが何か言いかけたところで馬車が止まった。

 城の入口には大勢の使用人が集まっている。


「国王陛下、王妃陛下、この度は誠におめでとうございます」


 使用人を代表した侍従長の祝辞と共に、皆が頭を下げた。その中にはドナの姿もある。

 フェリクスが「ありがとう」と応えると、ちらりとレイチェルを見た。

 大勢の人に注目されて動揺したレイチェルは、唇を引き結んだまま、また小さく頷いただけ。

 すぐ隣で低いため息が聞こえ、その場に落胆の気配が広がった。


「王妃陛下はお疲れのようでございます。あまりお顔の色も優れませんから、披露宴までお部屋で少しお休みして頂く方がよろしいのではないでしょうか?」


 うろたえるレイチェルの内心を読み取り、ドナがケープを持って前へと進み出て、むき出しの肩にかけてくれた。

 馬車の後ろに従っていたクライブもすぐそばに控えてくれる。

 親しい二人の出現でほっとしたレイチェルは、休んでもいいのだろうかとフェリクスへと目を向けた。

 しかし、フェリクスはふっと顔を逸らし、そのまま背を向けて去っていく。


「では、参りましょう」


 クライブに促され、幾人かの侍女を引き連れて、レイチェルは自室に向かうしかなかった。



   * * *



「レイチェル、踊ろう」


 フェリクスから手を差し出されて、レイチェルは目を丸くした。

 会場へエスコートしてくれる時も、披露宴の間もずっと、フェリクスはレイチェルに話しかけるどころか目も向けなかったからだ。

 以前、誘われた時には断った。だが、今回は断るわけにはいかないだろう。

 そもそも断りたくない。

 胸が高鳴り、緊張に足が震える。


(でも、今まで一度も人前で踊ったことはないのに……失敗して陛下に恥をかかせてしまったら……)


「私たちが最初に踊らなければ、皆が踊れない。さあ」


 ためらうレイチェルを誤解したのか、フェリクスが苛立ちを抑えた低い声で言う。

 義務で誘っているのだと暗に言われて、レイチェルの期待は不安に変わった。

 思わず側に控えていたクライブに目をやれば、大丈夫だと言うように小さく頷いてくれる。

 今まで何度も部屋で踊ったクライブに後押しされて、レイチェルはフェリクスの大きな手に手を重ねた。


(どうしよう……怖い)


 皆の視線が突き刺さり体がかちこちに強張る。しかも悪意ある視線だ。

 自分の態度が招いた結果とはいえ、公式の場での初めてのダンスにはつらすぎる状況だった。


「別に、誰も取って食いやしない」


 音楽が始まり、ぎこちなくステップを踏み出したレイチェルの頭上から、ため息混じりの声が聞こえる。

 レイチェルは応えることも、顔を上げることも出来ず、ただ間違えないようにステップを踏み続けた。

 フェリクスはリードがとても上手く、次第にレイチェルの体から余計な力が抜けていく。

 気がつけばダンスは二曲目が始まっており、周囲には何組ものカップルが踊っていた。

 そうなると皆の視線も気にならなくなり、ずっと憧れていた舞踏会の一幕のようで、レイチェルは素直に楽しんだ。


「あなたは……いつまで我を通すつもりなんだ?」


 浮かれた心に水を差されたような、冷たい声で突然問いかけられ、レイチェルははっと顔を上げた。

 見返すのは無機質な青灰色の瞳。


「この結婚がどんなに気に入らなくても、私達は義務を果たさなければならない。別に、立派な王妃になってほしいなどとは、今まで散々甘やかされて過ごしていたあなたには誰も期待していないんだ。だがこの城にいる限り、最低限の礼儀は守ってほしい。せめて「ありがとう」の一言くらいは言えるようになってくれ」


 フェリクスの言葉は何一つ間違っていない。

 それなのに涙がこみ上げてきて、レイチェルは慌てて俯いた。


「――もう十分だ」


 いきなり体を突き放されて驚いたが、どうやら曲が終わったところだったらしい。

 表面上は礼儀正しく、フェリクスはレイチェルを連れて席へと戻った。


「花嫁としての義務は十分果たした。あとはあなたの騎士に部屋まで連れて帰ってもらえばいい」


 そう囁いて、クライブへとレイチェルを押し出す。


「王妃はどうやら疲れたようだ。部屋まで付き添ってやってくれ」


 怒りを少しも感じさせないどころか、まるで気遣っているような声で、フェリクスはクライブに命じた。


「……大丈夫ですか?」


 先に立って歩くレイチェルに、クライブが会場を出てから心配そうに尋ねた。

 幼い頃からずっと側にいてくれた彼に顔を見られてしまえば、大丈夫でないことがすぐにわかってしまう。

 だからレイチェルは振り向くことなく、大きく頷いた。


 部屋に戻れば悲しみよりもまた不安が胸を占めていく。

 フェリクスは、花嫁の義務は十分に果たしたと言った。

 しかし、ドナからはもう一つ花嫁には大切な義務があると教えられている。

 今夜どうなるのかわからないまま、レイチェルは一人になるまで何事もなかったかのように気丈に振舞っていた。




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