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「急に呼び出して悪かったな」
「いえ……」
否定しながらも、クライブは言葉を詰まらせ、勧められた席に着いた。
初めてのことに戸惑い、警戒している。
ロバートは席を外すように言われ、フェリクスの執務室には二人きりだった。
「遠慮せずに飲んでくれ。まあ、ただのお茶ではあるが」
フェリクスはロバートが退室前に淹れたお茶を示して小さく笑う。
そして、意味を計りかねているクライブの前でお茶を一口飲むと、カップを置いた。
「本来、こういう場では酒の方が良いのだろうが、最近は控えるようにしているんだ。王妃のためにも」
呟いて、フェリクスはクライブを真っ直ぐに見据えた。
「それで、王妃が酒に弱いのは体質だと思うか?」
「……おそらく、その通りだと思います。王妃様のお母君もお酒に弱く、三,四口飲むとご気分を悪くされるので、お酒は一切口になさらなかったそうですから」
「そうか……」
唐突な質問に驚きながらも、クライブは素直に答えた。
フェリクスはそれきり何か考えるように黙り込む。
「酒は、色々なものを紛らわすのだがな。いやな気分を忘れさせ、毒の気配を隠す」
「陛下……」
「お茶や食事に混ぜれば知れてしまうような強い毒でも、酒ならば紛らわせてしまえるものもあるだろう?」
やがて口を開いたフェリクスの言葉に、クライブは緊張した。
それなのに、青灰色の瞳から目を逸らすことができない。
「王妃は――レイチェルはなぜ毒に耐性を持たないんだ? いくら強い毒だったとはいえ、舐めた程度でブライトンほどの大国の王女が二日も寝込むものなのか? しかもあれは遅効性のものだ。翌朝すぐに症状の出るようなものではない」
そこまで述べて、フェリクスはようやくクライブから視線を外し、深く息を吐いた。
答えは求めていないのか、そのまま続ける。
「レイチェルから、声を失った時の話を聞いた。確かに、あの病は子供の間でよく流行るものだし、高熱が続き稀に命を落とす子もいる。しかし、大抵は乳飲み子だ。あの病が原因で声を失ったなどとは今まで聞いたことがない。ましてや大人が罹患し、命を落とすなどと」
核心を突いた言葉に、クライブは歯を食いしばり目を閉じた。
しかし、フェリクスの声は容赦なく耳に届く。
「それとも、モンテルオとブライトンでは病の種類が違うのか? ブライトン王宮では特異な病となっているのだろうか? レイチェルは――」
「お願いです、陛下。もうそれ以上は……」
心の痛みに耐えられず、クライブは遮った。
あの時から全てが変わったのだ。
クライブもエリオットも無邪気な子供から大人へと成長しなければならず、おてんばな王女だったレイチェルは沈黙の檻に囚われてしまった。
「クライブ、話せ。レイチェルは何の毒を飲まされたんだ? その毒の影響で声を失い、先日は過剰に反応して寝込んでしまったのだろう? レイチェルは本当にもう大丈夫なのか? 子に影響はないのか?」
鋭い問いかけに、クライブは恐る恐る目を開け、大きく見開いた。
いつもは厳しいフェリクスの顔が心配に満ちている。
これは好奇心でも戦略のためでもない。ただ大切な人を守るための質問なのだ。
想い合っている二人の姿を見ていながら、当然のことに思い至らなかった自分に内心で舌打ちしながら、クライブはようやく重い口を開いた。
「……正直に申しますが、私にはお答えすることができません。ただ、レイチェル様専属の医師は大丈夫だと申しております。その医師ですが……」
クライブはかすかにためらい、それから意を決したように続けた。
「レイチェル様にはお伝えしておりませんが、その医師はルバート殿下があの病の後に遣わして下さった者なのです」
「王太子殿下が?」
「はい。あの病と一連の出来事では、私共は何が起こったのかわかりませんでした。ただ、レイチェル様が声を失くされて初めて、母はおかしいと気付き、侯爵夫人に――サイクス候のお母君に相談したそうです。ですが、結局何もわかりませんでした。ただそれ以来、レイチェル様はどんなに軽い毒にも過剰に反応してしまわれるようになったのです。そして数年後、それまでの医師に代わって今の医師がやって来た時には、私共はかなり警戒しました。すぐにサイクス候が医師の素性を調べ、結果、問題ないと。……申し訳ありません。王太子殿下が関わっていたと私が知ったのは最近なのです」
「……そうか。ありがとう、クライブ。レイチェルが大丈夫だとわかれば、それで良い」
ほっとした様子のフェリクスは、クライブの心を軽くさせるように明るく言い、立ち上がった。
そのまま窓へと足を向け、しばらく外を眺める。
星が瞬く空の下では、当然鳥達の姿は見えないが、昼間はいつも以上に賑やかだったことを思い出し、フェリクスは小さな笑いを洩らした。
「二日後には、いよいよ婚約者殿が到着されるそうだな」
にこやかなフェリクスの言葉に、一瞬クライブは驚きを見せたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「はい。旅も順調で少し予定が早まっているそうです。明日には正式に前触れの使者がやって来ると思いますが、ひょっとしてレイチェル様からお聞きになったのですか?」
「ああ、鳥達が教えてくれたと、喜んでいた。レイチェルも久しぶりの従妹殿との対面にかなり浮かれている」
昼食を共にした時のレイチェルの様子を思い出して、フェリクスは更に笑みを深めた。
初対面時の冷たい王女という印象が信じられないほど、レイチェルは明るく笑う。
よく今まで隠していたものだと、ブライトンの者達は本当に何を見ていたのかと思うと、フェリクスはおかしくて仕方なかった。
「叔母上も出産まで滞在して下さるらしく、とても心強いと言っていた。婚礼を早めるよう助言をくれたサイクス候に感謝しないとな」
「……そうですね。その上、陛下が城の礼拝堂で式を挙げることを許可下さったことに、私は感謝しております」
立ち上がり、改まって深く頭を下げるクライブに、フェリクスはぞんざいに手を振る。
「何を言っているんだ。お前はもう、私の臣下だ。この国に土地を持ち、この国で結婚し、この国で暮らすのだから。近々、お前には伯爵の位を授けることになっている。ブライトンの侯爵令嬢を妻に迎えるにも、男爵位だけでは頼りないだろう」
「――ありがとうございます。もちろんマリベルは、――私の婚約者は爵位を気にはしておりませんが、それでも私のために喜んでくれるでしょう。私も大変光栄に思います。本当に、ありがとうございます」
また深く頭を下げるクライブに、フェリクスは苦笑した。
クライブは真面目すぎると、レイチェルがこぼしていた通りだ。
「いや、当然のことなのだから、感謝はいい。それより、これからもレイチェルのことを頼む」
「はい、もちろんです。これからはマリベルと共に、レイチェル様を支え、お守りしていく覚悟でおります」
今度はフェリクスから顔を逸らすことなく、クライブは応えた。
その力強さに、フェリクスは満足して微笑んだ。




