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「王国軍だ!」
「モンテルオ国軍が来たぞ!」
悲喜こもごもの声が街のあちらこちらから上がる。
レイチェルはまだ現実とは思えなくて、ぼんやり辺りを見回した。
「舌を噛まないように、口はしっかり閉じててくれ」
フェリクスはかすかに笑いを含んだ声で告げ、剣を抜く。
そして、先ほどの賊を追う者達に命じた。
「深追いはするな! 山には恐らくまだ仲間がいるはずだ! それよりも街中の援護に向かえ!」
真っ赤になって、きゅっと唇を結んだレイチェルは、フェリクスの腕の中から視線だけでシンディを捜した。
シンディは立ち上がり、フェリクスの部下の一人に手綱を引かれている。
「心配しなくても、あの馬は大丈夫だ。だから、しっかりつかまっていてくれ」
不安げなレイチェルの気配を察したのか、フェリクスが励ますように言った。
しかし、このまま同乗していては邪魔になるのではとレイチェルは心配したが、フェリクスは難なく馬を操っている。
ぶるると鼻を鳴らして、馬も大丈夫だと応えてくれる。
その時、また耳障りな笛の音が響いた。
フェリクスは馬を止めて耳を澄まし、はっとして山の方へ目を向けた。
「空だ! 矢が来るぞ!」
声を張り上げ、レイチェルを庇いながら建物の陰へ避難すると同時に、嫌な音を立てて火矢がいたる所に突き刺さった。
軽く舌打ちしてフェリクスが物陰から出ると、そこへ二人の騎士がやって来た。
二人はレイチェルに気付いて驚いたようだったが、軽く頭を下げただけでフェリクスに向き直る。
「矢がどうにも厄介ですね。奴ら、一旦山へと引き上げていますが、このまま逃げ出すとも思えません」
「思いのほか統率が取れていますよ。笛の音を合図にしているなんてね」
「まあ、エスクーム軍を長年手こずらせていたほどだからな」
フェリクスが苦笑交じりに応じると、一人の騎士がふんっと鼻を鳴らした。
「ただ卑怯なだけではありませんか。橋を壊して救援の道を断つなどと」
その言葉にレイチェルははっとして顔を上げた。
まさか南側でも同じように工作していたとはと、その周到さに怖くなる。
だが、フェリクスは温かな眼差しをレイチェルへ向けた。
「危うく手遅れになるところだったが、あなたが警告してくれたお陰で人々は避難できたようだ。その上、街への被害も今のところ最小限に食い止められている。そのことについては、礼を言いたい。――が、なぜ、あなたまでここにいるのかは、あとできっちり説明してくれ」
レイチェルは青くなって赤くなり、慌てて目を逸らした。
怒っているようではないが、どう説明するべきなのかとうろたえる。
そこに再度、笛の音が響いた。
「来るぞ!」
周囲から悲鳴ともつかない叫声が上がり、矢の雨が降る。その数は今までで一番多い。
「奴ら、相当数いるようですね」
「こちらの数はまだ揃っていません。態勢を整える前に、攻め込んで来ますよ」
レイチェルの私兵にしてもそうだが、フェリクス達も橋が壊されたことで、まだ全ての軍勢が揃っていないのだろう。
だからこそ賊は、今のうちに本気で衝いてくるつもりなのだ。
先ほどの火矢のせいでシンディを見失ってしまったレイチェルは、それからもただフェリクスにしがみついていることしかできなかった。
山側から激しい怒号が聞こえ、男達が弓矢や剣を手に向かって来る。
迎え撃とうとフェリクス達も剣を構え、呼吸を整えた。
そこに背後から見慣れた兵達が加わる。その中にクライブの姿もあり、わずかながら安堵を覚えた。
クライブもまたレイチェルの姿を目にして一瞬さまざまな感情を見せたが、すぐに全てを消し、馬を寄せる。
「クライブと言ったか……。ここまでご苦労だった。だが、今からはもっと苦労するぞ」
「――承知しております」
今度は近距離からの矢を盾で防ぎ、矢で応じ、剣を交える。
フェリクスを守る二人の騎士に、レイチェルを庇うクライブ。
それでもすり抜け迫る敵をフェリクスがなぎ払う。
どうあってもレイチェルは邪魔だ。
今からでもシンディを呼び、乗り移るべきかと周囲を窺うが葦毛の馬はやはり見当たらない。
戦いについて全くわからないレイチェルでも、たった今、不利な戦いを強いられていることはわかった。
これは山賊などという規模ではない。略奪になれた軍隊だ。
山に潜む者達についてもっとしっかり把握していればと悔やむレイチェルの耳に、また新たに迫る無数の足音が聞こえた。
山の中から響いてくるそれは、人間のものでも馬のものでもない。
戦いの最中にあって、男達もその地響きに気付いたらしい。
皆が警戒しながら山へと目をやり、息をのんだ。
木立の間からヤギの大群が向かって来る。ヤギだけではない、鹿もイノシシも熊までいる。
男達は争いを止め、迫りくる獣に応戦しようとしたが、動物達が向かうのは賊の男達のみ。
賊の中には予想外の攻撃に動揺し、逃げまどう者もいた。
立派な角を生やした先ほどのヤギ――長老は賊の一人に体当たりする。鹿は後ろ脚で蹴り飛ばし、熊は前足で叩きつけていた。
「嘘だろ……」
騎士の一人がかすれた声で呟く。
モンテルオの兵達が眼前で繰り広げられる光景に唖然とする中、フェリクスはレイチェルを見下ろした。
「これは……あなたの……」
その声も表情も驚きに満ちている。
だがレイチェルもただただ驚くばかりで、何も応えることはできなかった。




