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クライブの領館に着いた翌朝、レイチェルは手紙を鳥に託そうと窓を開けた。
そこに息を切らして鳥が飛び込んでくる。
『たいへん! たいへんなの!』
急ぎ水を用意して、レイチェルは鳥が落ち着くのを焦れる思いで待った。
太陽が昇り始めてすぐにカントス山脈から王城に向かった鳥は、レイチェルがアクロスにいると聞いて慌てて方向転換したらしい。
『昨日の夜、怖い人達が話してたの。みんなみんな、木の上で震えながら聞いてたの。〝明日の夜、決行だ。イエールの街を襲うぞ″って』
『……明日の夜、イエールの街って言ったのね?』
『うん、間違いないよ。みんな聞いてたから。ボクが一番、速く長く飛べるから知らせに来たんだ』
『ありがとう。あとで何か用意するから待っていてくれる?』
言い置いて、レイチェルは部屋を走り出た。
もう、ここに滞在していることは秘密だとかはどうでもいい。
屋敷なんてものは大抵同じ造りをしているので、クライブの部屋はすぐに見つかった。
ノックをすると返事も待たずに部屋へと入る。
「レイっ――どうし、た?」
ちょうど剣帯を締め終えたところだったクライブは侍従から剣を受け取ると、手を振って下がらせた。
朝もまだ早い時間で、領館内も人々が動き始めたばかりだ。
レイチェルは男物の服を着ているが、髪を結ってはいない。
その姿を見て只事ではないと察したクライブは、青ざめ震えて立つレイチェルに近づき、そっと肩に触れた。
「レイチェル様、何があったのです? 鳥が何か伝えに来たのですか?」
『今日の夜、イエールの街を襲うって! ダメ! もう、今からじゃ間に合わない!』
今にも泣き出しそうなレイチェルの話を聞いて、クライブは小さく毒づいた。
「エリオットがせっかく――」と洩れ出た言葉は、動揺するレイチェルの耳には入らない。
「落ち着いて下さい、レイチェル様。確かに、これから陛下に知らせても、高原からでは間に合わないでしょう。ですが、陛下は何か策を講じるとおっしゃっていたのでしょう? 陛下を信じましょう」
レイチェルははっとした。クライブの言う通りだ。
フェリクスは信じてくれたのに、自分が信じないなんてと、レイチェルは悔やむと同時に頭を冷やした。
『クライブ、私は何をすればいい? 何ができる?』
「――レイチェル様は……やはり陛下にお知らせ下さい。仮に、イエールが襲われたとして、その知らせが高原に届くまでに恐らく二日弱。その時を狙ってエスクームは仕掛けてくるかと思われます」
『わかったわ』
力強く頷いて、レイチェルが手紙を用意するために部屋を急ぎ出て行くと、クライブもまたエリオットへの手紙を書き直すために、机に向かった。
* * *
「絶対に、ダメです!」
『わかってるわ。でも、聞かない』
「聞いて下さい」
『絶対に、イヤです!』
頑固に言い張るレイチェルを前にして、クライブはため息を飲み込んだ。
こうなると、レイチェルは聞かない。
仕方なく今までは従ってきたが、今度ばかりはそうはいかないのだ。
「レイチェル様はこのままここでお待ち下さい。イエールに同行するなど、あまりに危険すぎます。私も必ずお守りしますとは言えません」
『別に、イエールまで一緒に行くって言ってるんじゃないの。その少し手前までよ。その間、新しい情報を逐一伝えられるもの』
窓際ではレイチェルを援護するように鳥達が並んでぴいぴいと騒ぎ立てている。
クライブは痛むこめかみを押さえて呻いた。
昔、おてんばな王女だったレイチェルの無茶を止められたことは一度もない。エリオットでさえ苦労し、最悪なことに大怪我をさせてしまったこともある。あの時は二人して死を覚悟したが、そういえばなぜ大したお咎めもなかったのだろうと考える。
『ねえ、クライブ。大丈夫?』
現実逃避するクライブの腕を軽く叩いて、レイチェルが心配そうに覗きこむ。
髪を隠してもとても少年には見えないその美しい顔をじっと見返して、クライブは大きく息を吐いた。
「わかりました。ただし、絶対に私の言う事――命令は聞いてもらいますよ」
『もちろんよ! それに、危ないことはしない、近寄らない、近づいたらまず逃げる!』
「……本当に、お願いしますよ」
幼い頃の冒険前の合言葉を宣誓するレイチェルに、がっくり肩を落としてクライブは呟いた。
この十二年間、よく大人しくしていられたものだと感心さえする。
そんなクライブを残して、出発の準備のために駆け出したレイチェルの胸の中は不安でいっぱいだった。
これから、賊が襲うであろう街に向かって行くのだ。
自分が足手まといにしかならないことは十分にわかっている。でもなぜか、一緒に行かなければと強く思うのだ。
それに、結局許可を得られないまま他領へと兵を動かす責任は、クライブでなくレイチェルが取るべきなのだから。
心配するジョンやサリーに見送られて出発したレイチェルとクライブ達は、途中で兵達と合流した。
そこから一路イエールを目指す。
このまま急げば、夕刻には到着するだろうと思われた行路に、大きな障害が立ちはだかったのはバイレモ領に入ってしばらくしてからだった。
「参ったな……」
雪解け水が勢いよく流れる川に架かった橋がない。正確には何者かに壊されていた。
上空では鳥達が申し訳なさそうに鳴いている。
空を飛ぶ鳥達にとって、陸路での障害に気付かないのは仕方ないだろう。
「ここ最近、戦のせいでこの街道を通る者達が減ったとはいえ、橋が壊されているとの大事を知らされないのはおかしい。恐らくこれは、昨日今日の仕業だろうな」
クライブの呟きに、皆が黙って頷く。
道案内の地元出身の兵士が青ざめた顔で声を上げた。
「今から他の橋まで迂回していたら、数刻は無駄にします。それじゃ、夜明け前になってしまう!」
だくだくと流れる川を前にして足踏みする兵達に焦れ、馬達も落ち着かなげにいななく。
レイチェルはクライブから少し離れた場所で、焦る気持ちを必死に抑えてシンディと大人しく待っていたが、そこに山の中から声がかかった。
『お嬢さん。なあ、お嬢さん。お困りかね?』
見れば立派な角を生やした大きな体躯のヤギ。
レイチェルが驚いて返事を忘れていると、シンディがふんっと鼻を鳴らした。
『ちょっと、気安く声をかけないでくれる? あたし達、忙しいんだから』
気の強いシンディらしい言い様がおかしくて、レイチェルは笑った。
途端に、それまでの緊張がほぐれていく。
ほっと息を吐いたレイチェルは、ヤギに向かって微笑んだ。
『こんにちは、ヤギさん。ここはあなたのお家の近く? 騒がしくして、ごめんなさい』
『いいや、いいってことよ。それに、わしの棲み処はもう少し奥さ。そこに鳥達がやって来て、お嬢さんを助けてやってくれって言うから、ここまで来てみたのさ』
見上げれば、先ほどよりも鳥達が集まって来ている。
あちらこちらの木々の陰からは、小さな動物達も顔を出して心配してくれている。
感極まって、急に涙が込み上げてきたレイチェルは、それでも精いっぱいの笑顔を浮かべた。
『みんな、ありがとう!』
ヤギはどこか満足そうに喉の奥で笑い、横長の瞳を真っ直ぐにレイチェルへ向けた。
『この前は、うちの若い衆が押しかけて迷惑をかけたらしいしの。どれ、お前さんらの軟弱な足でも通れる、わしらの秘密の道を教えてやろう』




