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沈黙の女神  作者: もり
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 ――兄弟間のくだらない冗談に巻きこんでしまったことを、どうかお許し下さい。


 酷く馬鹿にされた気分で部屋に戻り、しばらくしてから届いたのは短い謝罪の手紙とカトレアの鉢植え。

 追伸に〝美しい花を切ってしまうことはできなかったので、鉢植えのままで失礼致します″とあり、レイチェルは嬉しくなった。

 もし、切り花が届いていたら悲しかっただろう。

 だが、返事は出さなかった。もう彼に関わるのは十分だと思ったのだ。

 それなのに――。


「レイチェル様、また届きましたが……」

『……』


 あれから三日、午前午後と一日二回届けられるカトレアの鉢はこれで六鉢目になる。

 そのどれもが違う色の花を咲かせ、今回は黄色だった。

 中庭で見たものとは違う大ぶりの花は、恐らく温室かどこか、室内で育てられたものなのだろうが、このままでは色々な意味で迷惑だ。

 はあっとため息を吐くと、侍女の一人もほうっとため息を洩らした。


「なんて情熱的なのでしょう……」

「ええ? 物は言いようね」


 普段は口数も少なく、おとなしい侍女のハンナの言葉に、もう一人の侍女ベティが驚いて返す。

 そのやり取りがおかしくて、レイチェルは笑った。

 そして石板に簡単な文章を書いて見せる。

 〝殿下にお礼の手紙を書くわ″

 言葉通り机に向かい、レイチェルはリュシアンに宛てて、鉢のお礼と三日前のことは気にしていない旨を書いた。

 これでもう彼も気が済むだろうと。


(なのに、どうしてまた……)


 午後になって、またカトレアの鉢が届いた。

 しかもリュシアン本人が持って。


「ようやくお返事を頂けたことが嬉しくて、直接参りました。これは、お許し頂いたお礼の品です」


 レイチェルは差し出された純白のカトレアの鉢とリュシアンのにこにこ笑う顔を何度か見比べ……堪え切れずに吹き出した。

 許すと手紙に書いた覚えはないが、もう細かいことはどうでもいい。

 確かリュシアンはレイチェルよりいくつか年上のはずなのに、少年のような無邪気さは心を和ませてくれる。

 背を向け肩を揺らすレイチェルを見て、リュシアンは残念そうに呟いた。


「あなたはあまり笑わないと聞いていましたが、もっと笑えばいいのに。それほど美しい笑顔を隠してしまうなんて、意地悪ですよ。それに幸せも逃がしてしまう。でもまあ、あなたの思うようになさるのが一番ですけどね」


 レイチェルはふっと笑いを治めて振り返ると、リュシアンの青い瞳をまっすぐに見つめ、今度は悲しそうに微笑んだ。

 それから差し出されたままの鉢を受け取り、小さく頭を下げてから私室へと入る。

 失礼なことは承知だったが、後の対応をドナへと任せて、レイチェルは長い間カトレアをぼんやり見ていた。


 やがて立ち上がったレイチェルは、寝室のチェストから小さな鍵を取り出し、私室にある書物机の鍵付きの抽斗を開けた。

 いくつかの書類や私信の封書をどけ、隠すように入れていた薄い封書を取り出す。

 恐る恐る開いて一度読み直すと、レイチェルは封に戻して居間へと向かった。


『ドナ、火が欲しいの』

「……火、でございますか?」

『ええ、危ないことはしないわ。これに火を点けたらすぐに暖炉に捨てるから』

「……かしこまりました」


 レイチェルは室内を見回して侍女達がいないことにほっとした。

 この場にいれば、きっと何事かと心配しただろう。

 ドナがすぐに着火棒を持って戻り、火を点ける。

 上質な紙でできた封書はあっという間に燃え上がり、暖炉の灰となっていく。

 その間、レイチェルもドナも何も言わず、ただ季節外れの暖炉の火を静かに見ていた。



   * * *



「サイクス候、無事に戻って何よりだ。ご苦労であった」

「もったいないお言葉を頂き、恐縮でございます」


 重々しい口調で国王が労いの言葉をかけると、エリオットは深く頭を下げた。

 ブライトン王宮に戻ったエリオットは、その足で帰還の報告に国王のもとへと訪れていた。

 部屋には王太子のルバートや宰相、他に主だった大臣や貴族達数人が同席している。


「それで、バイレモ地方に向かった将軍達はどうであった?」

「彼らは自分の任務を十分に理解しております。ご心配には及びません」

「そうか。……で、レイチェルはどうだ? フェリクスと上手くいっているのか? ここまで芳しくない噂が流れてきておるが……」

「……残念ながら、良好とは申し上げられません。フェリクス国王は少し気難しい方のようですので、レイチェル様も苦心しておられるようです」

「はは、逆ではないのか。あの娘の扱いにフェリクスが苦心する姿が見えるようだがな」


 冗談めいた国王の言葉に皆が笑う。

 エリオットはかすかな笑みを湛えたまま何も返さなかった。

 場が治まったところで、エリオットがまた口を開く。


「レイチェル様からは、陛下へお手紙をお預かりしております」


 エリオットから恭しく差し出された手紙を、国王は無造作に受け取ると、その場で開封してざっと目を通した。

 そして、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、そのまま侍従へと渡す。


「ほんに、困った娘だ。余の気持ちを少しも汲み取ろうとせぬ」


 ぼやく国王に、再び皆が笑う。

 だが、その言葉の真意を知る者達の顔にはかすかな嘲りが浮かんでいた。

 その一人であるルバートがエリオットに軽い調子で声をかける。


「そういえば、そなたもそろそろ妻を娶るべきだろう? エリオット、良い縁談があるのだが、どうだ?」

「いえ、私はまだ……」

「まあ、そう言うな。疲れているだろうが、屋敷に戻る前に私の執務室に来てくれ。そなたはいつものらりくらりと逃げてしまうからな、わかったな?」

「……かしこまりました」


 強引に話を進めるルバートに皆の前で逆らうこともできず、エリオットはついに了承した。

 それを見ていた貴族達が楽しげにからかいの言葉を口にする。

 そうして、国王の前を辞したエリオットは仕方なくルバートの後に従った。


「無理やり引き止めて、すまなかったな」

「いえ……」


 執務室に入るなり、ルバートは謝罪した。

 しかし、その顔には少しも悪びれた様子はみられない。

 ルバートは侍従に酒を注がせて下がらせた後、グラスを持って応接用のソファに腰を下ろした。


「叔母上とマリベルはお元気か?」

「はい、お陰さまで。お気遣い頂き、ありがとうございます」

「それで、マリベルは結婚が決まったのに、お前は何をしているんだ。このまま侯爵家を潰す気か?」

「殿下こそ、どうなさるのです? 王家を潰すおつもりですか?」

「私のことはいい。妃との間に子を作るつもりはないからな。それより、お前だ」

「いいえ、私は――」


 苦い顔で否定しかけたエリオットを、ルバートは手を上げて制した。

 そのままゆっくりと酒を飲み、じっとエリオットを見る。


「なあ、エリオット。我が国王陛下の望みは何だ?」

「それは……」


 エリオットが答えを言い淀むと、ルバートはふっと笑ってグラスをテーブルに置いた。


「口にすることさえためらうほど愚かなことを、あの強欲じじいどもは尚も求めている。本当に、頭の痛いことだな」

「殿下は……」

「ああ。私はモンテルオに興味はない。同盟国として協力するのは仕方ないだろう。もちろん見返りは必要だ。だが、そこまででいい。バイレモを掠め取ろうとまでは思わないな」

「それでは、レイチェル様はどうなさるおつもりですか?」

「つらい思いをしているなら戻せばいい。本人が望むのならばな。別に……従兄妹同士の結婚は禁忌ではない。確かに我々の血は近すぎるとは思うが、反対するつもりもない」


 そこまで言って、ルバートはグラスを持って立ち上がり、自分で二杯目を注いだ。

 それからぐっと一息で飲み干すと、一度大きく息を吐いて振り向く。


「十二年前……私はあまりに無力だった。守るべきものを守ることもできず、ただ見ていることしかできなかった」

「それは私も同じです。父にはあれほど気を付けるようにと言われていたのに……」

「過去を変えることはできなくても、今は違う。私は十分待ったんだ」


 吐き出すように言うルバートの顔には悲しげな笑みが浮かんでいる。

 それは、諦めを滲ませたレイチェルの微笑みによく似ていた。




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