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結局、中止になってしまった遠乗り。
あれからレイチェルはまた部屋に閉じこもる生活に戻っていた。
別に、それはブライトンの王宮と変わらない。ただ今のレイチェルには夫がいる。
その夫――フェリクスからは何度か面会の申し込みがあったが、体調不良を理由に断っていた。
どうしても会いたければ、あの扉を開ければいいのだ。たったそれだけなのに。
窓際に座ったレイチェルは小さなため息を吐いた。
側ではにぎやかに小鳥達がおしゃべりをしている。
『――それでね、腹が立ったから、その子達にフンを落としてやったの』
『ええっ! それでどうなったの?』
『それはもう大騒ぎよ。キャーキャー悲鳴上げちゃって、いい気味だったわ』
『あたしたちのレイチェル様を悪く言うなんて、許せないもんね? 次に誰かがまた悪口言ってたら、あたしもフン攻撃をやってやるわ! 任せてね、レイチェル様!』
『え?……ごめんなさい、聞いてなかったわ』
『ううん。いいの、別に。大したことじゃないから!』
『そうそう、気にしないで!』
申し訳なさそうにレイチェルが謝罪すると、小鳥達が小さく羽ばたいた。
そして、レイチェルの手元を覗き込む。
『素敵! その青い鳥はわたしね?』
『黄色い鳥はあたしだわ! そうそう、翼の先だけ少し茶色なのよねえ』
レイチェルはここ数日の間に、マリベルに贈るハンカチを完成させ、次に叔母のために薄手のショールを編んだ。
今はマリベルの新居で使えるようなクッションカバーを作っている。
可愛らしい小鳥達が戯れていたり、美しい花々を刺繍すれば、きっと喜ぶだろう。
手綱で怪我をした右手は出血の割に大したことはなく、日常生活にも支障はない。
ドナ達もずいぶん心配をしていたが、刺繍に集中するレイチェルを見て、大丈夫そうだと安堵したようだった。
だが本当は必死になって針を刺していた。
気がつけば、ついあの時のことを考えてしまっている。
アリシアはショックで一日寝込んだらしいが、幸い大きな怪我もなく、翌日の午後にはサロンに顔を出して皆を喜ばせたらしい。
(あの時、私の近づき方がまずかったのかしら……)
それでルルをますます怯えさせ、アリシアを誤解させてしまったのかもしれない。
怯えて暴れていたルルは、あとで確認に行ってくれたクライブから、怪我も見当たらず元気だったと聞いた。
ほっと胸を撫で下ろしたレイチェルは、次に大きな後悔に襲われた。
自分が出しゃばらず、余計なことをしなければ、何事もなかったのかもしれないのだ。
そのため、レイチェルはアリシアに謝罪の手紙を書こうとした。だが、書けなかった。
心がどうしても拒絶してしまう。そんな狭量な自分に呆れながらも諦めた。
(もういいわ。もう、どうでもいい……)
レイチェルは現実に意識を戻し、また小さくため息を吐いた。
シンディにはとても会いたいが、上手く笑える自信がない。きっと心配をかけてしまう。
もう少し時間を置こうと考えて針先に集中しながら、聞くともなしに小鳥達のおしゃべりを聞く。
『……でね、……なんだって』
『ええ!? それが本当なら大変じゃない。じゃあ、ひょっとして……』
『かもしれないわね。ホント困るわぁ……』
いつしかレイチェルは手を止め、小鳥達のおしゃべりに意識を向けていた。
その時、新たに三羽の小鳥が飛んできて騒ぎ始める。
『来たよ、来たよ! 帰って来たよ!』
『王子様が帰って来たの!』
『ビックリしたね! でも嬉しいね!』
レイチェルは何のことかわからず首を傾げたが、他の小鳥達は一緒になって騒ぎ、飛びはね、鳴いた。
『どっち!? どっちの王子様が帰って来たの!?』
『リュシアン様よ! みんなを驚かせようって、こっそり帰って来たのよ!』
『もうお城は大騒ぎよ! 王様は怒って喜んでたわ!』
『そうそう! 立場を考えろって! でも、よく帰って来たなって!』
『これからお城はパーティーよ!』
『パーティー! パーティー!』
小鳥達の大合唱にドナや侍女達も何事かと駆けつけた。
レイチェルはどう説明したものかと考えながら、とりあえずわかったことだけを伝える。
『どうやら、リュシアン殿下がお戻りになったみたいなの』
「まあ! そのような重要なことをお知らせ下さらないなんて!」
『違うのよ。陛下もご存じなかったそうなの。急に殿下がお戻りになったらしいわ』
憤るドナに慌ててレイチェルは付け加えた。
侍女達は困惑して顔を見合わせている。
ドナは納得していないのか、渋々といった様子で侍女達に向き直った。
「陛下の弟君でいらっしゃるリュシアン殿下がお戻りになったそうよ。この後、陛下からの使者が部屋に来るかもしれないわ」
「それで先ほどから城内が少し騒がしいのですね」
「では、レイチェル様にお支度なさって頂く方がよろしいのでは……」
ドナから話を聞いた侍女達は明らかにほっとしたようだった。
レイチェルの立場が悪いと、侍女達にも迷惑をかけてしまう。
そのことが申し訳なくて、次にドナに問いかけられた時には、レイチェルは力強く頷いた。
「それでは、もしリュシアン殿下がいらっしゃったら、お会いになるのですね? 陛下からの使者とも?」
驚いて念を押すドナの言葉にまた頷いて応えると、侍女達が準備に動き出した。
そこへクライブが部屋へと入って来る。
「レイチェル様、どうやらリュシアン殿下が駐屯していた国境付近から戻って来たようです」
「遅い、遅いわ、クライブ。レイチェル様はとっくにご存じよ」
「は?」
使えない息子ね、と言わんばかりにドナは残念そうに首を振っている。
きょとんとした顔のクライブがおかしくて、レイチェルは笑った。
『さっき、小鳥達が教えてくれたの。リュシアン殿下が戻られたって。かなり人気がある方みたいね?』
「あ、ああ、ええ。そのようですね。なんでも明るく気さくな方だとかで、殿下のご帰還に、城中の者達が喜んでいるようです」
『そうなのね。じゃあ、殿下が戻られたってことは、サクリネとの問題は解決したのかしら。だとしたら、本当に喜ばしいことね?』
「――はい。……そうですね」
一瞬のためらいの後のクライブの返答にレイチェルは気付かなかった。
侍女達にお早くご支度をと、急かされる。
だが急ぐ必要などなかった。
その日、レイチェルのもとにリュシアンが訪れることもなければ、使者が言伝を携えてやって来ることもなかったのだから。




