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沈黙の女神  作者: もり
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 翌日の午前中、レイチェルはドナを供にエリオットと馬車に乗って、ブライトン軍の野営地である街外れの草原に向かった。

 ブライトンの将軍はもちろん、フェリクスやモンテルオの者達は騎乗している。

 その中にアンセルムの姿はあったが、アリシアは同行していなかったことにレイチェルはほっとした。

 普通に考えてみれば、当然なのだが。


 レイチェル達が草原に到着した時、すでにブライトン軍は出立の準備を整えていた。

 ここから二手に分かれ、バイレモ地方とサクリネ王国との国境付近へと向かうのだ。

 名目上は同盟国を守るためだが、それも王妃であるレイチェルの存在があってこそ。

 その責任の重さに心臓が鷲掴みにされたように苦しく、足が震えた。


「レイチェル様」


 先に馬車から降りたエリオットが手を差し出してくれている。

 そのいつもと変わらぬ温かな笑みに励まされ、レイチェルは体からほっと力を抜いた。

 しかし、それも馬車を降りるまで。

 目の前に厳めしい武将達が並び、先に着いていたフェリクス達にじっと見られていることに気付くと足がすくんだ。


「ほらほら、そんなに怯えないで。綺麗な顔が台無しだよ。それともその鼻をちょっと持ち上げれば、愛嬌があって可愛い顔になるかも」


 誰にも聞かれないよう耳元で囁く優しい声とは逆に、エリオットの顔は意地悪い笑みに変わっている。

 しかも長い指が真っ直ぐにレイチェルの鼻へと向かってきていた。

 慌ててその手を掴んで阻止し、エリオットを睨みつける。

 それがいつの間にか、掴んだ手はエスコートするために引かれ、フェリクスの隣へと連れていかれていた。

 無様に転ばないですんだのは喜ぶべきだろう。だが、フェリクスから冷ややかな目で見下ろされると、緊張に固まった心が重く沈んでいく。

 それから、拷問のような時間が過ぎていった。

 どうして笑うことなどできるだろう。

 これから戦いになるかもしれない地に向かう兵達を前にして、どういった態度をとればいいのかわからず、レイチェルはただ立っているだけしかできなかったのだ。


「――もし時間があるなら、明日の午後にでも馬に乗らないか?」


 帰りの馬車の中で、緊張から解放されてようやく笑みを見せるようになったレイチェルに、エリオットが提案した。

 もうずっと馬には乗っていない。

 思わず顔を輝かせたレイチェルだったが、すぐにその空色の瞳が曇る。


『陛下がお許し下さるかわからないわ……』


 しょんぼりと手ぶりで伝えて窓の外を眺めると、エリオットのため息が聞こえた。


「レイチェル様はこの先、ブライトン王宮よりもさらに狭い世界で生きていくつもりかな? それではまるで、王妃様ではなく囚人だね」

「エリオット様!」


 容赦ないエリオットの言葉にたまらずドナが声を上げる。

 レイチェルはきゅっと唇を噛んで、馬車と並走するクライブの乗った馬を見つめていた。


 ブライトン王宮でレイチェルが唯一許されていた娯楽が乗馬だった。

 つんと澄ました態度でいても、馬達はレイチェルのことをわかってくれる。

 十四歳になって外に出ることを許され時、一番に行きたかったのが厩舎だった。

 七歳の頃に乗っていたポニーが死んでしまっていたのは悲しかったが、馬達は昔と変わらず優しかった。

 あまり頻繁に通って父王の機嫌を損ねることになってはいけないので、十日に一度程で我慢していたが。


(私……これからは前向きに生きるって決めたのに……)


 先日の晩餐の席での自分の振る舞いを思い出し、恥ずかしくなるとともに勇気がわいてきた。

 あんなに無礼な行動をするつもりはもうないが、引きこもり続ける必要もない。


『……シンディもこの国に一緒に来てくれたのよね? 明日、乗れるかしら?』


 愛馬の名を出すレイチェルの空色の瞳は決意に満ちている。

 エリオットは嬉しそうに、ドナはわずかに不安を滲ませて頷いた。



   * * *



「やはり、こちらでしたか」


 見るともなしに花を見ていたフェリクスの背後から、アンセルムが声をかけた。

 フェリクスはうんざりした気持ちを隠して振り返る。

 城に戻ってから溜まった執務をこなし、わずかな休息の時間を得たところだったのだ。

 アンセルムはその心情を読み取ったらしい。呆れた、とでも言いたげに軽く首を振った。


「ここのところ、午後になると気分転換にと中庭を散策されるそうですね。ロバートが言っていましたよ。花になど今までご興味なかったのに、と。それとも、別の花にご興味を持たれたのですか?」


 アンセルムがちらりと視線を向けた先には、王妃の居室に面した窓があった。

 もともとこの中庭は、王や王妃、王族達の私室から季節の花々を楽しめるようにと設けられたものだ。

 しかし、今までフェリクスが草花に興味を示すこともなければ、気分転換と称して散策することなどなかった。

 せいぜい、これまでの気分転換であった騎士達との手合わせに鍛練場へと向かう近道に通っていたくらいだ。


「美しい花には刺があるものです。そればかりか、毒を含むものまである。その美しさでもって多くのものを惑わせ、苦しめ、浸食する。そんなものはいくら美しくとも、害でしかありません」


「――アンセルム」


 フェリクスの感情を押し殺した低い声で名を呼ばれれば、普通の者なら震え上がってしまうだろう。

 だがアンセルムは意に介した様子もなく頭を下げた。


「先ほど、王妃様より使いの者が参りました。明日の午後、王妃様が乗馬をなさりたいので陛下のお許しを頂きたいと」

「乗馬? 王妃が?」


 この国に来てから部屋に閉じこもってばかりいたレイチェルが、乗馬をしたいと言い出すなど予想外だった。

 フェリクスも乗馬は大好きで、毎朝できる限り時間を作って馬に乗っている。

 もしレイチェルが乗馬を好んでいるならば、一緒に楽しむことができるかもしれない。

 そう考えたフェリクスの耳に、続けてアンセルムの声が入ってきた。


「サイクス侯爵がご一緒されるそうですので、案内と護衛に騎士を数名貸して欲しいとも」

「……好きにすればいい」


 エリオットの名を聞いたフェリクスは一瞬沈黙し、吐き出すように応えて踵を返した。




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