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沈黙の女神  作者: もり
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「――姫様……レイチェル様」


 王宮の片隅にある厩舎の中で、レイチェルがお気に入りの雌馬――シンディの美しい葦毛にブラシをかけている時。

 王宮騎士で幼馴染のクライブが馬達を驚かせないように静かに声をかけながら入ってきた。

 レイチェルが馬と――動物達を過ごす時には、極力邪魔をしないというのが周囲の者達の暗黙の了解であり、厩舎には他に誰もいない。


「レイチェル様、先ほど使いの者が陛下からの言伝を持って来たそうです。本日のモンテルオ王国国王の歓迎晩餐会後に行われる舞踏会には必ず出席なさるようにと」


 驚いたレイチェルはクライブの顔をまじまじと見つめた。いつもは温かな光を宿している彼の茶色の瞳は困惑に揺れている。

 舞踏会に出席するようにと、レイチェルの父――ブライトン王国国王が急に言いだした理由がどうやらクライブもわからないらしい。

 ただ逆らうことは許されないのは確かで、大きくため息を吐いたレイチェルは雌馬を軽く叩いてこれで終わりだと伝えた。

 王女として舞踏会に出るには、準備にかなり時間がかかる。

 憂鬱な気分で馬房から出ると、片づけをクライブが手伝ってくれた。


「いいえ、どういたしまして」


 手ぶりで『ありがとう』と伝えると、クライブが優しく微笑んで答えた。

 レイチェルもにっこり微笑み返す。

 誰も見ていないからこそ出来るやり取りだ。

 そして厩舎を出た二人は王女とただの騎士に戻り、長い時間がかかる舞踏会の支度のためにレイチェルの自室へと向かった。



   * * *



「エドワルトⅡ世陛下、並びにレイチェル王女殿下のお出ましでございます」


 侍従の高らかな宣告の後に舞踏会場となった王宮大広間に足を踏み入れ、二人は一歩一歩もったいぶった足取りで膝を折る招待客達の間を進んでいった。

 威厳を湛えた父のたくましい腕に手を添えたレイチェルの美しい顔はにこりともしない。

 腰までまっすぐに流れる月の光を織り込んだような髪は人々の視線を集め、澄み渡る晴空を映したような青い瞳は皆の心を掴む。

 しかし、熟れた果実のような赤い唇はいつも固く結ばれたまま、人々の前で開かれることは今まで一度もなかった。


 ――沈黙の女神。


 レイチェルの崇高なまでの美しさを讃えたその名は、本当のところ彼女の高慢な態度を揶揄した誰かが呼び始めたものだ。

 滅多に人前には姿を見せず、現れても挨拶さえ口にせず、一言も話さない。常につんと澄ました表情で、冷やかな視線を送るだけ。

 そんな王女が数カ月ぶりに人前に現れたのだ。しかもそれが舞踏会なのだから、人々は驚き会場はざわめいた。


(お父様はいったいどういうつもりなのかしら……?)


 レイチェルはエスコートしてくれる父をちらりと見た。

 だが、その厳めしい顔からは何も窺い知ることはできない。

 思わずこぼれそうになるため息を飲み込んで、レイチェルは冷ややかな態度を装い続ける。

 その時ふと視線を感じ、頭を下げる人々から前方へと目を向けた。


(……誰?)


 兄である王太子の隣に立つ人物を見て、レイチェルは誰にも気付かれないほど小さく首を傾げた。

 少し長めの黒髪に、意志の強そうな凛々しい眉の下で光る鋭い双眸。その青灰色の瞳を見れば、彼が並みの男性ではないとわかる。

 そこで彼がこの舞踏会の主賓であるモンテルオ国王だと気付いた。

 予想以上に若いことに驚く。

 今年二十四歳になる兄と同じか、それより一つ二つ上だろうか。

 息苦しくなりそうなほど彼にじっと見つめられ、レイチェルはたまらず視線を逸らした。

 なぜか胸がどきどきして、顔が熱くなる。


「レイチェル」


 いつもの冷ややかな表情が崩れてしまいそうでうろたえていたところへ、父に静かに声をかけられた。

 途端にレイチェルの心は凍りついたように硬くなる。

 そしてまた、沈黙の女神となったレイチェルは、挨拶を受けるために足を止めた父と一緒に、モンテルオ国王の前に立った。


「エドワルトⅡ世陛下、先ほどの晩餐会に続き、このような盛大な舞踏会を私のために開いて下さり、誠にありがとうございます」

「うむ。今宵はブライトン流のもてなしを存分に楽しんでほしい」


 エドワルトは尊大に応えた後、モンテルオ国王がちらりと隣に視線を向けたことに気付き、思い出したようにレイチェルの紹介をした。


「おお、そうそう。この者は余の末の姫でレイチェルと言う。レイチェル、こちらはモンテルオ王国のフェリクス国王だ」

「お目にかかれて光栄です、レイチェル王女殿下」


 フェリクスが軽く頭を下げる。

 その様子を皆が固唾を呑んで見守る中、レイチェルは小さく頷いただけ。

 いくらモンテルオ王国よりもブライトン王国が圧倒的国力を誇っているとは言っても、レイチェルの態度はあまりに無礼なものだった。

 一瞬にして静まり返った会場内に、エドワルトの豪快な笑い声が響く。


「申し訳ないな、フェリクス国王。これは十九にもなって、未だ子供のように人見知りが激しいのだ。今宵も無理言って連れ出したため、少々拗ねておる。これも余が甘やかしたせいであろうな。あとでよく言っておくから、どうか許してくれないか」


 ちっとも申し訳なそうには見えない態度で、エドワルトが謝罪した。

 フェリクスも笑って応え、気にしてないことを伝える。


「このように美しい姫君の我が儘は許されて当然でしょうね」


 フェリクスの言葉に王太子も一緒になって笑い、その場の緊張がやっとほどけていく。

 やがて舞踏会が始まり、皆が微笑み合い、楽しげに踊る中で一人、レイチェルは冷ややかに会場内を見ていた。


(これで私の評判は地に落ちたわよね……)


 先ほどフェリクスにダンスを誘われたが、レイチェルは首を振って断った。

 本当は踊りたかったのに。

 フェリクスは微笑んですぐに引き下がったが、本当は挨拶の時も誘われた時も許されていないことをレイチェルは感じていた。

 当たり前だ。国力は劣るとはいえ、一国の王なのだから。

 結局、レイチェルは気分が悪いという理由で父王の許しを得て、早々に舞踏会を退出した。




 二日後――。

 ブライトン王国国王エドワルトⅡ世の口から、モンテルオ王国国王フェリクスと王女レイチェルの婚約が発表された。



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