マコとの別れ
翌朝。マコは元気よく勇者を起こしに来た。
「勇者様! おはよー! お祈りの時間だよ!」
マコの急激な成長は止まっていた。しかし勇者と若き魔法使いはその姿を見て、いや正確にはその体に眠る魔力を見て驚いた。
「まずいぞ。内に秘めた魔力が既に魔王を超えている」
「ええ。しばらく私はこの街に残ります。何かあればすぐ連絡します」
「すまない」
朝のお祈りの時間を終えると、案の定マコは勇者に抱きついて言った。
「勇者様! 結婚式! 神様に認めてもらおう!」
勇者はマコを自分から引き離した。仲間達が静かに見守っている。悲しい別れだった。だが、勇者は言わなければならなかった。
「マコ、いいかい? 僕は勇者だ」
「うん! マコが世界で一番大好きな勇者様!」
「だから、世界を平和にするために旅に出なければならない」
マコがびっくりして勇者を見つめた。
「じゃあマコも行く!」
「マコは連れていけないんだ。危険だからね」
「どうして? マコも戦うよ!」
「勇者の定めなんだ。勇者じゃない人間は連れていけない」
女戦士が勇者の荷物をやってきた。
「ほら勇者、とっとと行くよ」
「どうして女戦士さんが一緒なの? どうして女戦士さんが一緒なのにマコはダメなの?」
「女戦士は途中まで来てもらうだけだ。いいか、マコ、これが勇者の定めなんだ」
マコは涙をぽろぽろ流し始めた。勇者はその表情を見て心が痛んだ。可哀想だがこれが2人の運命だった。
「やだぁ。マコと結婚するって言ったじゃん! マコを置いてかないで!」
「ダメだ。世界を救う必要がある」
悲しい嘘だった。もう救いを求めている世界など、どこにもないというのに。
「マコもいくぅ、マコとの結婚の約束はぁ?」
「勇者の定めが終わって、それでもマコの気持ちが変わらなければ」
「定めっていつ終わるの?」
「それは……わからない。長い時間になる」
「そんなのイヤだぁ!」
マコは激しく泣き叫んだ。勇者が引き離そうとしても、強い力で必死にしがみついてくる。
「マコの気持ち変わらない! マコずっと勇者さまといっしょ!」
「それはダメなんだ。わかってくれ」
勇者の瞳から涙が溢れた。泣きながらマコを抱きしめた。甘えるようにマコが涙でいっぱいの顔を勇者にこすりつける。
「マコはぁ…ひっぐ、勇者さまがぁ、いちばんだいすき…ひっく…」
「そうだな。僕も大好きだよ」
「はなれるなんてヤダぁぁ!!」
「勇者だからさ、僕は勇者だから、マコと一緒にいられないんだ……」
「イヤだぁぁぁ!!」
マコは人目はばからず激しく泣き喚いた。
「マコはぁ、ゆうしゃさまと、ひっく、いっしょだもん…」
「ダメなんだよ!」
勇者は心を鬼にしてマコに怒鳴った。マコはその声に怯えたように一瞬泣きやむ。
「勇者は、勇者はぁ……」
勇者は嗚咽を堪えるため言葉がうまく出せなかった。それでも必死にマコを引き離し、マコのエメラルドグリーンに輝く瞳を正面から見つめた。
「勇者は世界を救うんだ。マコは、マコの人生を生きなさい」
マコはなおも必死に叫んだ。
「イヤだぁぁぁぁ! マコは勇者様とずっと一緒にいたい! 勇者様と結婚して幸せな人生を送りたい! 離れるなんてイヤだぁぁ!!」
僧侶が泣きながらマコを抱きとめた。ゆっくり勇者はマコから離れる。
「ゆうしゃさまぁぁ! イヤだぁぁ!」
勇者は荷物を取り、マコに背を向けて歩き出した。ゆっくりとその後を女戦士が追いかけた。
「いかないでぇぇ! やだよぉ!」
勇者は移動魔法を唱えた。勇者たちの姿が光に包まれる。
「ゆうしゃさまぁぁ!!」
勇者と女戦士は光に包まれて一瞬の内に消えた。
「イヤだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
教会にはマコの泣き叫ぶ声が響いていた。
勇者と女戦士は教会から離れ、街から遠く離れた平原まで飛んだ。
「ひっぐ……すまない…マコ……」
勇者は我慢していた涙を一気に溢れさせた。その様子を見て女戦士は同情したように勇者に言った。
「泣きやむまで待ってるからさ。気がすむまで泣くといいよ」
「あぁ……すまない……」
勇者は心の中でマコに詫びた。寂しい思いをさせてすまない。結婚なんて安直な約束で君の人生を縛ってしまいすまない。悲しい別れを体験させてしまいすまない。僕が勇者で退魔の力を持つ存在ですまない。詫びる言葉は勇者の心の中に山ほどあった。
「ねぇ、勇者」
女戦士が何かを感じたように周囲を見渡し、勇者に声をかけた。勇者は涙を拭い女戦士を見上げた。女戦士は何か納得いかないような表情で周囲を見渡している。
「どうした?」
「なにか、なにかおかしくないか」
女戦士は魔力を持たないため、こんなことを言うのは珍しい。寝ていても魔物の襲撃に気づかないようなガサツな女なのだ。勇者は周囲を見渡した。そしてすぐに女戦士の意図を理解した。
「な、なんだこれは……?」
周囲には魔力の気配で満ち溢れていた。いや、周囲だけではない。見渡す限りの世界が魔力で溢れている。これは魔族の力だ。魔王を倒す前の世界の様子だ。
「ちっ!」
平原の奥から野獣が飛び出してきた。一匹だけではない。狼の群れだ。皆瞳は赤く染まっている。2人は何度もこの瞳の色を見て来た。一匹の狼が女戦士に飛び掛った。
「しゃらくせぇ!」
女戦士は拳を振り一撃で狼を退治した。しかし次から次へと野獣は襲ってくる。女戦士は蹴り、拳、肘、膝、あらゆる体を使いその全てを退治した。
「どうなってるんだい!? これじゃ前と変わらないじゃないか!」
勇者は呆然と呟いた。まさか。そんなまさか。
「魔王が、魔王が復活したのか!?」
「勇者! あれを!」
遠くに何十匹ものの魔族と野獣の群れが走っていた。2人がさっきまでいた街に向かって一直線に走っている。
「まずい! 街が教われる!」
勇者はすぐに移動魔法を使い、街の入り口まで移動した。女戦士は鎧を装着し、斧を担いだ。
「まさか、またこの鎧を装備する日が来るなんてね」
勇者も剣を抜いた。前方から大量の魔物の群れが向かってくる。マコのことも気になるが、まずはこの魔物を退治しなくては。
「魔物だ! 魔物の群れだ!」
街の見張り番が驚いて叫んだ。
「街の入り口をしめろ! ヤツらは僕らが食い止める!」
勇者は見張り番に叫ぶと魔物の群れに飛び込み剣を振るった。勇者の中の精霊の力は更に増加してしている。一太刀で魔物の大半が消滅した。
「おらぁ!」
女戦士が大型の魔物に斧を振りかざし一刀で斬殺する。その背後から羽を持つガーゴイル数匹が爪で女戦士に切りかかる。
「うざったいんだよ!」
女戦士は斧を回転させ、ガーゴイル数匹をまとめて斬殺した。怯えたガーゴイルに向かって閃光の魔法を勇者が放った。次々と閃光に焼かれてガーゴイルが消えていく。
「精霊よ! 加護を!」
勇者は剣を地面に突き刺した。地面から精霊の光が四方八方に広がり、光を浴びた魔物はたちまち消滅した。
「さすが、腕は落ちてないようだね」
「ああ、お前もな」
魔物は残り一体。この地方では見かけることのないはずの漆黒の鎧に身を纏った暗黒の騎士だ。
「アイツがリーダーみたいだね」
「かなりの強敵だぞ」
「しったこっちゃないね!」
女戦士が騎士に向かって斧を振りかざす。騎士は槍で盾で斧を受け止め、女戦士を槍で突いた。
「ぐはぁぁ!」
鎧で守られているとはいえかなりの衝撃だ。女戦士はたまらず地面をのたうち回った。
勇者は騎士との間合いを詰めて一気に斬りかかった。ガン! という音が響き、剣は盾に跳ね返される。その隙を突いて騎士が槍を突き出す。しかしそこには勇者の姿はない。一太刀目を振るった瞬間に剣を離して、騎士の真横に移動していたのだ。
「はぁ!」
勇者は閃光の魔法を放った。騎士の持つ盾ごと左半身が吹き飛んだ。そこに女戦士がすかさず斧を回転しながら打ちつける。騎士の上半身と下半身が真っ二つに切り裂かれ、騎士は塵となり風とともに消滅した。
魔物の群れは全滅した。勇者は剣を拾い女戦士に近づいた。
「マコが心配だ! 教会に飛ぶぞ!」
勇者は移動魔法を唱えて、女戦士と共に教会に飛んだ。
教会は明らかな異変に満ちていた。空を暗黒の雲が多い、次から次へとガーゴイルが沸いて出てくる。その全てを若き魔法使いが電撃魔法で打ち落としていた。
「勇者殿、よかった!」
「マコは! マコはどうした!」
「建物の中に非難してます!」
2人がそう言うと暗黒の雲から一体の魔物が現れた。勇者は目を疑った。ブラックドラゴンだ。確か魔王軍の四天王の一人とか言っていた魔物だ。雲からゆっくりと離れ、地響きをたてて教会の広場に降り立った。
「久しいな勇者」
ブラックドラゴンは口を開いて勇者に語りかけた。
「何故お前が! お前が僕が倒したはずだ!」
若き魔法使いが必死に保護魔法を唱えている。こいつは厄介な炎を吐くのだ。消えにくくいつまでも燃え広がる黒い炎を。
「知れたこと」
ブラックドラゴンは口を大きく開けた。まずい。ブレスが放たれる。ここは街の中だ。炎で建物が消滅する。勇者は精霊の力を引き上げた。
「ガァァァァァッァ!!」
黒い炎がブラックドラゴンの口から放たれた。勇者の精霊の力と若き魔法使いの保護魔法が炎を受け止める。女戦士はその隙にブラックドラゴンの足に斧を叩きつける。
「ウギャァァァァ」
ブラックドラゴンは悲鳴を上げ、体制を崩した。しかしそれがいけなかった。ブレスの軌道は反れて教会の建物を直撃した。
「しまった!」
勇者は教会の建物の中に飛び込んだ。中には保護呪文をかけながら子供たちを外に避難させようとしている僧侶の姿があった。マコも一緒にいた。
「マコ!」
「勇者様ぁ!」
マコは一直線に抱きついてきた。教会の建物が炎に焼かれ崩れ落ちようとしている。
「みんな早く外に逃げるんだ!」
子供達の手を引いて外に逃げ出す。
「勇者様ぁ、勇者さまぁ。怖かったよぅ」
マコが泣きながら抱きついてきた。何故だ。勇者はてっきりマコが魔王になってしまったのだと思っていた。だが、マコはマコのままだ。
「マコ、いいか子供たちと逃げるんだ」
「やだぁ、もう勇者様から離れたくない!」
勇者は舌打ちをしながらブラックドラゴンを見上げた。女戦士の斧によって左足が傷つき、厄介だった尻尾は切られている。危なかった。あの尻尾が振り回されれば周囲の建物は一瞬で壊滅だ。僧侶が勇者に向かって叫んだ。
「私は子供たちを避難させます! その間お願いします!」
「わかった! マコ! 僕の後ろから離れるな!」
マコはぎゅっと勇者の背中を掴んだ。勇者は掌に精霊の力をこめる。以前の戦いは相当苦戦した相手だが、今の勇者は更なる精霊の加護を受けている。
「くらえっ!」
勇者は精霊の力をこめて閃光魔法を放った。閃光はブラックドラゴンの顔に直撃し爆発した。ブラックドラゴンの顔はシュウシュウと音を立てて、焼け溶けていく。精霊の力が魔族の姿を溶かしているのだ。
「バ、バカな…」
勇者は立て続けに閃光魔法を放った。直線で放たれるそれはブラックドラゴンの体を立て続けに貫く。ブラックドラゴンはその力を失い、地面に崩れ落ちた。
「勇者様! 大丈夫ですか!」
子供たちを避難させた僧侶が戻ってきた。
「ああ! 大丈夫だ!」
ブラックドラゴンにトドメをさすため、女戦士は斧を叩きつけ、若き魔法使いは電撃を放っている。やがてブラックドラゴンの動きが完全に停止し、その姿は塵となって風と共に消えた。
勇者たちは頭上に広がる暗黒の雲を眺めた。今は中から何か出てくる気配がない。
「魔法使い、いったい何があったんだ」
勇者は若き魔法使いに尋ねた。
「いきなり頭上に黒い雲が沸き、魔物が現れたんです!」
「マコに、マコに何か変化があったのか」
若き魔法使いは黙って首を横に振った。マコはまだ勇者の背中で震えている。魔力が発動した気配はない。
「結界を張ろう!」
「はい!」
勇者と若き魔法使いは事前に準備していた結果を起動させた。しかしその前に暗黒の雲から2体の魔物が降りてきた。
「な、なんだと」
2体とも見覚えがあった。先ほどのブラックドラゴン同様、魔王軍四天王の2人だ。
「勇者よ、再び会えたな」
確かベアリルと名乗った魔人と、タナトスと名乗ったいう悪魔神官だ。厄介な組み合わせだった。ベアリルは豪腕で全てを投げ倒し、タナトスは恐ろしい魔法を使う。前回は1体ずつ相手にしたが、この2人にコンビネーションを組まれると厄介だ。しかもここは市街地。できるだけ相手にしたくない。
「なぜだ、なぜお前らが蘇った」
勇者の質問にタナトスが笑いながら答えた。
「決まっている。魔王様の復活のためだ」
勇者はマコをちらりと眺める。がたがた体を震わせ怯えている。
「魔王は僕らが倒したはずだ!」
ベアリルが笑いながら吼えた。
「魔王様はお前の後ろにいるじゃねぇか?」
やはりマコの魔力が膨れ上がったことでコイツらが復活したのか? 勇者は自問するがまずは相手の殲滅が先だ。
「マコはもう魔王ではない。覚悟してもらうぞ!」
勇者が閃光魔法を放とうと力をこめた瞬間、タナトスが素早く呪文を詠唱した。
「ぐわぁぁぁぁ」
たちまち勇者たちは激しい重力によって地面に押さえつけられる。重力を操る厄介な魔法だ。すると背中のマコがふわっと地面から浮いた。
「ゆ、勇者様!」
「マコ!」
マコは暗黒の雲に吸い込まれようとしている。必死に勇者の服を掴むが、空に吸い込む力はどんどん強くなっていく。
「くそぉぉぉ!!」
勇者は必死に重力魔法を跳ね飛ばし、タナトスに閃光魔法を放つ。途端に仲間のを押さえつけていた重力は解かれた。
「マコ! 手を伸ばせ!」
どんどん空に吸い込まれていくマコの手を掴んだ。マコを地面に降ろそうとする勇者をベアリルの豪腕が襲った。
「うがぁっ!」
無防備な状態で攻撃を受けて壁まで弾かれた。だが、まだマコの腕は放していない。
「しぶてぇヤロウだ!」
ベアリルの攻撃が更に勇者を襲う。2発、3発鉄拳を食らい、勇者はマコの手を放してしまった。
「ゆうしゃさまぁぁぁ!!!」
「マコ!!」
勇者は必死に空に手を伸ばすが、マコはもの凄い勢いで暗黒の雲へ飲み込まれていった。
「マコォォォォォ!」
「どこ見てんだこっちだコラ!」
再びベアリルが豪腕を振るおうとするが、横から若き魔法使いの氷の矢が豪腕を貫いた。
「がぁぁ!」
「あなたの相手はこっちです!」
若き魔法使いは最大電撃魔法をベアリルに打ち込んだ。
「ぎゃあああああ!」
すかさず勇者も剣でベアリルに斬りかかる。剣を振るうたびに緑色の魔族の鮮血があたりに飛び散る。
「ベアリル! 退くぞ!」
女戦士と僧侶のコンビネーションに追い詰められていたタナトスが叫んだ。それを合図にしたかのように暗黒の雲は2人の魔族を吸い込んでいく。
「待てぇぇ!」
勇者が閃光魔法を空に放つ。しかし勇者の閃光は暗黒の雲に届かなかった。雲は2人の魔族を吸い込むとあたりに四散しかき消えた。
「マコ……」
勇者は力を使い果たし、膝から崩れ落ちた。掌を見つめる。先ほどまでマコを掴んでいた掌だ。
「マコォォォ!」
勇者は叫んだ。しかしその声に答える存在はもうここにはいなかった。