マコ・幼少期
次の日僧侶の教会に勇者が訪ねると、マコはもう3歳児ぐらいに成長していた。
「僧侶、これがマコかい?」
「ええ。マコちゃん、こちらが勇者様ですよー」
「ゆうしゃさまー」
マコは勇者を見て嬉しそうにニコニコ笑っている。純真無垢な瞳だ。だが、額の角ははっきりと異形の形を成していた。
「僧侶、マコは魔法を使ったりはしてないかい?」
「ええ、でも大きな魔力を宿しているのを感じます。さすが元魔王ですね」
僧侶は微笑みながらも不安げな表情だ。自分が世界を滅ぼすほどの魔力を持つ子供を育てられるのか不安なのだろう。
「念のため、女戦士や魔法使いにもいてもらったほうがいいかもしれないな」
「ええ……」
僧侶は悲しそうに目を伏せた。
「こんな可愛い子供をいつか殺さなくてはいけない日が来るなんて、ああ神よ。慈悲をお恵みください」
僧侶は祈りを捧げている。勇者はその願いが届くか不安だ。どちらかといえば魔族と神は敵対する間柄のはずだからだ。
「この成長速度だと、もう明日には6歳ぐらいになっているだろう。十分に魔力が暴発してもおかしくない。今日の内に2人を呼んでくる」
僧侶の教会は比較的大きな街の中に建っている。戦いとなれば周囲の建物を崩壊しかねない。勇者は女戦士と魔法使いを呼びに出かけた。
次の日勇者たちが教会を訪れると、マコは案の定6歳児ほどに成長していた。
「あ、ゆうしゃさまー」
「何だいマコ、僕のことを覚えてくれてたのかい?」
「うん。僧侶さまがマコのなまえをつけてくれたって」
「そうだよ。マコの名前は僕がつけたんだ」
「えへへー。ありがとー」
マコは純真無垢に笑った。額から角が生えており、瞳と髪の毛は魔族特有の緑色をしているが、それを覗けば普通の子供変わりない出で立ちだ。
「これがマコかい。魔族の成長は早いねぇ」
「青年期まで一気に成長しますからね。そこからは我々と変わりはありませんよ」
マコは女戦士と若き魔法使いを見ると、怯えたように勇者の背後に隠れた。
「マコ、なんだかこわい」
マコは2人を見てすっかり怯えている。勇者はその様子を見て2人をたしなめた。
「女戦士、魔法使い、君たちから殺気を感じる。マコが怯えるのも当然だ」
知らずの内2人は殺気を放っていたようだ。魔法使いは反省し杖を置き、女戦士もしぶしぶ武装解除した。
「勇者様、夕食までマコと遊んでいただけませんか?」
僧侶は洗濯ものを取り込みながら勇者に頼んだ。
「よし、まかせとけ」
勇者は元々一人っ子で幼子の相手はしたことがない。これも良い経験になるだろう。
「マコ、何して遊ぶ?」
「おままごとー」
「じゃあ一緒におままごとしようか」
「うん!」
マコは嬉しそうに勇者にじゃれついた。
「ほら、女戦士も魔法使いも、一緒におままごとするぞ」
「えぇ? あたいたちもかい?」
「勇者殿、本気ですか?」
「マコもみんなと一緒におままごとしたいよなー?」
「うん!」
女戦士と魔法使いもしぶしぶマコの遊びに付き合わされた。
「うんとね、マコが奥さんで、ゆうしゃさまがだんなさんで、まほうつかいさんはダメむすこで、おんなせんしさんはゆうしゃさまの愛人なの」
女戦士と魔法使いは抗議の声を上げた。
「あたいが愛人、なんだかマセた子だねぇ」
「ダメ息子とはどうすれば良いのでしょう」
2人は何やらブツブツ言っている。まぁ、それもそうだな、この設定じゃ。と勇者は納得した。
「ただいまー。マコもうご飯はできてるかなー?」
「お帰りなさーい。ゆうしゃさま、はい、お帰りなさいのチュウ」
勇者は困って女戦士と若き魔法使いを見上げた。2人ともニヤニヤして愉快そうに勇者を見つめている。助けに入る気配はなさそうだ。
「はい、チュウ」
勇者はしょうがなくほっぺたにチュウをした。途端にマコから抗議の声が上がる。
「だめー。ちゃんとおくちにして!」
「わ、わかったよ…」
勇者はしょうがなくマコの唇に軽いチュウをした。まさか魔王? のファーストキス? を奪うことになるとは思わなかった。
「ちょっと! 勇者はあたいのもんだよ!」
愛人である女戦士が乱入してきた。
「あーこらー愛人さん! うちにはいるなでてけー!」
「ただいまぁ、おいおフクロ、メシまだかよ!」
ダメ息子である若き魔法使いも乱入してきた。家庭はもうぐちゃぐちゃだ。
「こらー、そんなんじゃごはんあげませんよ!」
「うっせぇ! 金よこせ!」
品行方正で若い時から優秀で良い子だった魔法使いは、一生懸命ダメな息子を演じている。
「ねぇ、あんな奥さん捨ててあたいと出ていきましょうよう」
女戦士は勇者にしな垂れて色気を振りまいている。勇者と若き魔法使いは初めて女戦士の女らしい部分を見た。なんだ、やっぱりあいつ女だったのか、と2人は思った。
「こらぁ! ゆうしゃさまからはなれろー! でてけー!」
マコは腕をポカポカ振って愛人を追い出した。
「おらぁ、金よこせっつてんだろー」
「こらぁ! ダメでしょ! いいこにしなさい! せいざ!」
「なんだよぉ」
「もっと、お父さんをみならっていいこになりなさい!」
「うっせぇよぉ」
若き魔法使いは正座しながらも必死にダメ息子を演じている。勇者も女戦士も笑いを堪えるのに必死だ。若き魔法使いはあまりの痴態に耳まで顔を赤くしていた。
「いいこになるの!」
世界を滅ぼそうとした魔王にいい子になれと言われるとは思わなかった。若き魔法使いはしぶしぶ頷いた。
「わかったよぉ。いいこになるよぉ」
「よぉし、じゃあごはんにしましょう!」
マコは嬉しそうに何やら皿を並べる仕草をすると、両手を合わせて
「いただきます!」と言った。
「うん、うん、マコのつくる料理は美味しいなぁ」
「でしょー。はーいあーん」
「あーん」
勇者はマコからあーんされた。
「ねぇ、ちょっとあたいのも食べてよ。あーん」
愛人である女戦士が再び乱入してきて勇者にあーんした。
「こらぁ! でてけってばぁ!」
マコはポカポカ女戦士を叩いた。途端にダメ息子である若き魔法使いが叫んだ。
「こんな不味いメシくえねぇよ!」
若き魔法使いは食卓をひっくりがえすようなアクションをとった。
「あーー! なんてことするのーーー!」
マコは再びダメ息子を注意する。もう家庭は完全に崩壊していた。
マコとのコントのようなおままごとは夕食まで続いた。マコはすっかり勇者に懐いていて、夕食の時も隣に座って夕食をとった。
僧侶の教会は捨て子などを預かる孤児院のような役割も果たしていた。皆角が生えているマコをイジメるんじゃないかと心配したが、元々瞳の色も髪の毛の色も皆バラバラだ。角が生えていることくらいどうってことないようだった。
夕食が終わって勇者たちは宿に帰ろうとしたが、途端にマコがぐずり始めた。
「やぁだ。ゆうしゃさまといっしょに寝るのーーー!」
「マコちゃん、勇者様にご迷惑かけてはいけませんよ」
「やぁだーーーー!!」
僧侶が言って聞かせてもマコは聞かず、しまいには泣き出してしまった。勇者は諦めて僧侶に言った。
「しょうがない。教会に泊めてくれよ。僕が寝られるスペースはあるかな?」
「え…でも……」
何故か僧侶はもじもじしている。
「私と同じ部屋になってしまいますが、構いませんか…?」
「あぁ、別に構わないよ」
僧侶は勇者に見えないように小さくガッツポーズした。その様子を見た女戦士は僧侶に「チャンスだ。がんばんなよ」と小声で声をかける。
僧侶の部屋には折りたたみ用のベッドがあった。勇者とマコはそこに並んで寝ることになった。
「ねぇねぇゆうしゃさまー」
「なんだい?」
布団に入ったマコが勇者に質問してきた。
「ゆうしゃさまはけっこんしてないの?」
「うん。まだしてないよ」
「したい人いないの?」
そのマコの質問に、近くのベッドに寝ていた僧侶の耳がダンボのように広がった。
「いないねぇ」
僧侶はほっと胸を撫で下ろした。そして同時に自分のことを勇者が全く意識してないことを知り少々悲しくなった。
「じゃあ、マコが大きくなったらけっこんしてあげるー」
「あはは。じゃあ宜しく頼むよ」
「やくそくねー。指きりー」
「はい指きり」
「ちょ、ちょっとマコちゃん」
堪らず僧侶はマコに声をかけた。
「もう遅いんだから早く寝なさい」
「はーい。おやすみなさーい」
「勇者様、おやすみなさい。あの…子供の言う事ですから、気になさらずに…」
「うん? ああ、もちろん。おやすみ」
マコはお休みを言うと勇者の腕の中ですやすや眠り始めた。勇者は少々困って来てしまった。あまりに良い子のため、情が移りすぎてしまっていた。将来敵として立ち向かわなければならない時、剣を振るうことができるか心配だった。
翌朝、勇者はマコに起こされた。
「ゆうしゃ様、もう朝だよー! お祈りの時間だよ!」
マコは一晩寝たら10歳ぐらいに成長していた。教会の子供たちもマコが魔族であることは気に留めていない様子だったが、この成長スピードには驚いていた。
「マコちゃんが大きくなったー!」
「マコちゃんすごぉーい!」
子供たちは無邪気にはしゃいでいたが、勇者はその姿を見てより不安な気持ちになった。魔力がさらに膨張している。魔法の使い方を教えれば、あっさり建物ぐらいは破壊できるだろう。
「ゆうしゃ様、どうしたの? お祈りの時間だよ?」
「ああ、うん、そうだね。お祈りしよう」
マコの中身は無邪気な子供そのものだ。魔族なのに一生懸命人間の神に祈りを捧げている。
勇者は終日教会で過ごすことにした。試しに読み書きをマコに教えてみるが、マコはもの凄い吸収力で知識を吸い込んでいく。
勇者はなるべく世界は平和であること、戦争はいけないことだと強く教え込んだ。
「どうだマコ。戦争は悲しいだろう」
「うん、マコ、戦争キライ」
「平和なほうがいいよなー?」
「うん! マコ平和がいいー!」
勇者は世界を飛び回って数々の国を見てきている。世界地図を見せて、世の中人達が助け合って生きていることを教えた。マコは世界に興味を持ったらしく、勇者の色々な冒険話を聞きたがった。
「ここは火を吹く巨大な竜がいてなぁ、その鱗が固いのなんの」
「へぇー! ゆうしゃ様倒したの?」
「ああ、女戦士がなぁ、最終的にはブチ切れて殴って倒しちゃったよ」
「うわぁーい! 強い!」
マコは嬉しそうに笑った。そして無邪気な質問を勇者に飛ばした。
「ねぇねぇ、ゆうしゃ様は、何でゆうしゃ様なの?」
「ん? どういうことだい?」
「どうしてゆうしゃ様って呼ばれるようになったの?」
「あぁ、それは特別な力を持っていたからだよ」
「どんな力なの?」
勇者はこの質問に返す答えを持っていなかった。勇者は魔族を退ける精霊の力を身に宿していた。その人間は世界で勇者ただ一人しかいない。そのために勇者と呼ばれていたのだが、それはいわば魔族と戦うための力、つまりマコの種族を倒すための力と言って良かった。自分はマコの種族の敵でもあるのだ。
「世界を、平和にするための力、かな」
マコは途端に目をキラキラさせた。
「ゆうしゃ様すごーーーい!」
マコは盛んにすごいすごいと言ってくれた。勇者はマコに申し訳なかった。自分の持っている力は人間にとって平和を呼び寄せるが、マコにとっては自分達を滅ぼす力でしかない。現にこれまで何十匹もの魔族を倒してきている。マコが知ったら悲しむに違いない、そして恨むに違いないと感じた。
マコが子供たちと遊んでいる間、勇者は僧侶をこっそり呼び寄せた。
「僧侶、マコは自分の中に眠る退魔の力を感じるだろうか?」
「今のところその気配はありませんね…」
「自分はマコの種族を何十匹も殺した敵だ。そのことをマコが知ったら悲しまないだろうか」
僧侶は答えに詰まった。勇者の意図を理解したのだ。いつしかマコも自分が人間でないことに気づくだろう。そして自分は何者なのかルーツを知りたいと願うはずだ。その時自分が魔族で、勇者は敵であることを知った場合どうなるだろうか。
「危険ですね…」
「あぁ危険だ。ただの人間に育てられるならまだしも、勇者に育てられたと知ったら自我が歪むだろう」
「どういたしましょう…」
「自分はマコから離れる。この街にはいるから何かあれば教えてくれ。その時はその時だ」
「その時とは…」
僧侶は言葉に詰まった。マコを殺す時だ。僧侶はぽろぽろ涙を流した。
「あんなに良い子なのに、いつか私たちを憎んで襲ってくるかもしれないんですね」
「ああ…あんなに良い子なのに」
2人は子供たちと無邪気に遊ぶマコを見つめた。そこには魔王の面影はカケラすら残っていなかった。