表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

間話_観察日記

ヘパルディア勇者軍との凄惨な戦いが終わった直後。


戦場には鉄錆と硝煙の臭いが重く沈殿していた。

魔王城への凱旋報告を控え、魔王軍の将兵たちが慌ただしく後片付けと進軍の準備を進める中、陣地の一角だけ、妙に奇妙な静寂と「熱量」が漂う場所があった。


「…ほう。ここが、いわゆる『境目』ですか。」


「お、おい…セイジュウロー殿、あまりそこを凝視されると、どうにも落ち着かぬのだが。」


当惑の声を上げているのは、アーデルミノスの腹心、ジャブラである。

彼は今、地面にどっしりと這わせた巨大な蛇の下半身を、清十郎に正面から「検分」されていた。

清十郎は少し腰を落とし、まるで珍しい細工物でも眺めるような無垢な瞳で、ジャブラの腰のあたりを観察している。


「いや、失礼。アーデルミノスさんを『魔族』と言われても、角がある以外はボクとさほど変わりませんが…アナタは実に見事な異形だ。人間の腹筋が、どこからこの鱗の節制に切り替わっているのか、実に興味深い。」


「異形、か。我らからすれば日常だが、異邦のお主から見ればそう映るのだな。」


ふむ、と納得するジャブラ。


「ええ。失礼して…少し触れても?」


「ん?…ああ。構わんが、あまり強くは握らんでくれ。」


ジャブラが許可を出すや否や、清十郎の細い指先が、大蛇の硬質な鱗に触れた。

一枚一枚が冷鉄の鎧のように重なり、鈍い光沢を放つ鱗。

清十郎は感心したように、その「繋ぎ目」から尾の先へと、慈しむように指を滑らせる。


「なるほど、冷たいようでいて、芯には力強い脈動を感じる。ジャブラさん、この下半身はどうやって動かしているのですか?足のように交互に踏み出すわけにもいかないでしょう。」


「…蛇行だこう、というやつだ。腹の鱗を地面に引っ掛け、筋肉を波打たせるようにして進む。慣れれば馬よりも速く走れるぞ。ほら、こうして…。」


ジャブラがサービス精神を出して、尾の先を「ピチピチ」と小刻みに振ってみせる。

それを見た清十郎の目が、少年のような知的好奇心で輝いた。


「おおっ!素晴らしい。江戸の寄席で見せたら拍手喝采ですよこれは。…ほらリゼアさん拍手。」


清十郎が、傍らで置物のように膝をつき、虚空を見つめていたリゼアに声をかける。


「…はい。」


リゼアは一切の感情を排した声で応じると、操り人形のようなぎこちない動作で手を上げた。


パチ、パチ、パチ…。


乾いた、命の通っていない拍手の音が、血生臭い戦場に響く。

彼女の瞳には光がなく、清十郎に命じられたからただ手を叩く、という機能だけがそこにあるようだった。


清十郎は、その様子をしばらく眺めた後、ふと我に返ったように呟いた。


「…なんだか、自分でやらせておいてなんですが。少し怖いですね、これ。」


「…お主が言わんでくれ。こちらまで背筋が凍るわ。」


ジャブラが引き攣った顔で尾の動きを止める。かつては大陸最強を謳われた勇者パーティーの魔導師が、今は思考すら放棄した装置になり果てている。

清十郎の淡々とした「扱い」こそが、ジャブラには何より恐ろしく感じられた。


「それにしてもセイジュウロー殿。…正直に言えば、初めて会った時の戦いぶり、あの凍りつくような雰囲気からして、もっと情の薄い御仁かと思っていたぞ。」


清十郎はふっと、いつもの掴みどころのない微笑を浮かべる。


「仕事は仕事ですから。ボクがやるのはただの人殺しであって、そこに余計な感情を持ち込むのは、死んでいった相手にも失礼でしょう? …ですが、今は仕事中ではありません。ボクはただの物好きですよ。」


話しながら手を止めずにいた清十郎が眉を顰めた。


「おや、ここの鱗は少し逆立っている…怪我ですか?」


「ああ、先日の小競り合いでな。気にするほどではない。放っておけば治る。」


「いけませんね。放置すると隙間から泥が入ります。…少し失礼。」


清十郎は懐から清潔な手拭いを取り出すと、親身になってジャブラの鱗の隙間を拭き始めた。大蛇の身体を持つ屈強な魔族が、涼しげな顔の侍に甲斐甲斐しく手入れされている。

その光景は、遠目から見れば実に奇妙で、それでいてどこか平和な空気を醸し出していた。

そこへ、出発の指示を出そうと歩いてきたアーデルミノスが通りかかる。


「ジャブラ、準備は整ったか? そろそろ――」


アーデルミノスは、その場で足を止めた。

目の前では、愛蛇の鱗を丹念に磨き上げる清十郎と、なんだかんだ言って気持ちよさそうに目を細めているジャブラ。

そして、その横で死人のような顔をして静止しているリゼア。


「…お前たち、いつの間にそんなに仲良くなったのだ?」


アーデルミノスが、怪訝そうな、あるいは少しだけ仲間外れにされたような複雑な視線を向ける。


「アーデルミノス様!いえ、これはセイジュウロー殿が我が身体の構造に、その、深い関心をお持ちでして…決して遊んでいたわけでは…!」


「ええ、ジャブラさんの鱗は実に機能美に溢れています。アーデルミノスさんも触ってみますか?案外、癖になりますよ。」


清十郎が屈託なく手招きするが、アーデルミノスは呆れたように溜息をついた。


「断る。…全く、酷い殺し合いの跡地で何をくつろいでいるのだ。セイジュウロー、お前の好奇心には底がないのか?」


「仕事の後には、こうした時間が必要ですからね。」


清十郎は立ち上がり、ぱんぱんと着物の塵を払った。


結局、出発の間際まで、清十郎はジャブラに「脱皮の頻度」や「冬眠の有無」について根掘り葉掘り聞き続け、ジャブラも照れ臭そうに、しかし誇らしげにそれに応えていた。


「…やれやれ、先が思いやられるな。」


独りごちるアーデルミノスだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ