間話_観察日記
ヘパルディア勇者軍との凄惨な戦いが終わった直後。
戦場には鉄錆と硝煙の臭いが重く沈殿していた。
魔王城への凱旋報告を控え、魔王軍の将兵たちが慌ただしく後片付けと進軍の準備を進める中、陣地の一角だけ、妙に奇妙な静寂と「熱量」が漂う場所があった。
「…ほう。ここが、いわゆる『境目』ですか。」
「お、おい…セイジュウロー殿、あまりそこを凝視されると、どうにも落ち着かぬのだが。」
当惑の声を上げているのは、アーデルミノスの腹心、ジャブラである。
彼は今、地面にどっしりと這わせた巨大な蛇の下半身を、清十郎に正面から「検分」されていた。
清十郎は少し腰を落とし、まるで珍しい細工物でも眺めるような無垢な瞳で、ジャブラの腰のあたりを観察している。
「いや、失礼。アーデルミノスさんを『魔族』と言われても、角がある以外はボクとさほど変わりませんが…アナタは実に見事な異形だ。人間の腹筋が、どこからこの鱗の節制に切り替わっているのか、実に興味深い。」
「異形、か。我らからすれば日常だが、異邦のお主から見ればそう映るのだな。」
ふむ、と納得するジャブラ。
「ええ。失礼して…少し触れても?」
「ん?…ああ。構わんが、あまり強くは握らんでくれ。」
ジャブラが許可を出すや否や、清十郎の細い指先が、大蛇の硬質な鱗に触れた。
一枚一枚が冷鉄の鎧のように重なり、鈍い光沢を放つ鱗。
清十郎は感心したように、その「繋ぎ目」から尾の先へと、慈しむように指を滑らせる。
「なるほど、冷たいようでいて、芯には力強い脈動を感じる。ジャブラさん、この下半身はどうやって動かしているのですか?足のように交互に踏み出すわけにもいかないでしょう。」
「…蛇行、というやつだ。腹の鱗を地面に引っ掛け、筋肉を波打たせるようにして進む。慣れれば馬よりも速く走れるぞ。ほら、こうして…。」
ジャブラがサービス精神を出して、尾の先を「ピチピチ」と小刻みに振ってみせる。
それを見た清十郎の目が、少年のような知的好奇心で輝いた。
「おおっ!素晴らしい。江戸の寄席で見せたら拍手喝采ですよこれは。…ほらリゼアさん拍手。」
清十郎が、傍らで置物のように膝をつき、虚空を見つめていたリゼアに声をかける。
「…はい。」
リゼアは一切の感情を排した声で応じると、操り人形のようなぎこちない動作で手を上げた。
パチ、パチ、パチ…。
乾いた、命の通っていない拍手の音が、血生臭い戦場に響く。
彼女の瞳には光がなく、清十郎に命じられたからただ手を叩く、という機能だけがそこにあるようだった。
清十郎は、その様子をしばらく眺めた後、ふと我に返ったように呟いた。
「…なんだか、自分でやらせておいてなんですが。少し怖いですね、これ。」
「…お主が言わんでくれ。こちらまで背筋が凍るわ。」
ジャブラが引き攣った顔で尾の動きを止める。かつては大陸最強を謳われた勇者パーティーの魔導師が、今は思考すら放棄した装置になり果てている。
清十郎の淡々とした「扱い」こそが、ジャブラには何より恐ろしく感じられた。
「それにしてもセイジュウロー殿。…正直に言えば、初めて会った時の戦いぶり、あの凍りつくような雰囲気からして、もっと情の薄い御仁かと思っていたぞ。」
清十郎はふっと、いつもの掴みどころのない微笑を浮かべる。
「仕事は仕事ですから。ボクがやるのはただの人殺しであって、そこに余計な感情を持ち込むのは、死んでいった相手にも失礼でしょう? …ですが、今は仕事中ではありません。ボクはただの物好きですよ。」
話しながら手を止めずにいた清十郎が眉を顰めた。
「おや、ここの鱗は少し逆立っている…怪我ですか?」
「ああ、先日の小競り合いでな。気にするほどではない。放っておけば治る。」
「いけませんね。放置すると隙間から泥が入ります。…少し失礼。」
清十郎は懐から清潔な手拭いを取り出すと、親身になってジャブラの鱗の隙間を拭き始めた。大蛇の身体を持つ屈強な魔族が、涼しげな顔の侍に甲斐甲斐しく手入れされている。
その光景は、遠目から見れば実に奇妙で、それでいてどこか平和な空気を醸し出していた。
そこへ、出発の指示を出そうと歩いてきたアーデルミノスが通りかかる。
「ジャブラ、準備は整ったか? そろそろ――」
アーデルミノスは、その場で足を止めた。
目の前では、愛蛇の鱗を丹念に磨き上げる清十郎と、なんだかんだ言って気持ちよさそうに目を細めているジャブラ。
そして、その横で死人のような顔をして静止しているリゼア。
「…お前たち、いつの間にそんなに仲良くなったのだ?」
アーデルミノスが、怪訝そうな、あるいは少しだけ仲間外れにされたような複雑な視線を向ける。
「アーデルミノス様!いえ、これはセイジュウロー殿が我が身体の構造に、その、深い関心をお持ちでして…決して遊んでいたわけでは…!」
「ええ、ジャブラさんの鱗は実に機能美に溢れています。アーデルミノスさんも触ってみますか?案外、癖になりますよ。」
清十郎が屈託なく手招きするが、アーデルミノスは呆れたように溜息をついた。
「断る。…全く、酷い殺し合いの跡地で何をくつろいでいるのだ。セイジュウロー、お前の好奇心には底がないのか?」
「仕事の後には、こうした時間が必要ですからね。」
清十郎は立ち上がり、ぱんぱんと着物の塵を払った。
結局、出発の間際まで、清十郎はジャブラに「脱皮の頻度」や「冬眠の有無」について根掘り葉掘り聞き続け、ジャブラも照れ臭そうに、しかし誇らしげにそれに応えていた。
「…やれやれ、先が思いやられるな。」
独りごちるアーデルミノスだった。




