第八話_戦いの結末
勇者パーティーの天幕は、今や鉄錆と焼死体の臭いに塗り潰されていた。
先ほどまで「世界の正義」を自称し、魔族を家畜と蔑んでいた者たちの語らいの場は、一瞬にして凄惨な屠殺場へと変貌している。
魔法使いリゼアは、腰を抜かしたままガチガチと歯を鳴らしていた。
喉の奥がせり上がり、胃液が込み上げる。
(…嘘よ。こんなことが、起きてたまるもんですか!)
脳裏を過るのは、泥を這いずるような過去から、光り輝く頂点へと駆け上がった栄光の記憶だ。
辺境の貧しい村で、魔力の才だけを頼りに生きてきた。
石を投げられ、飢えに震えた日々を、彼女は自らの「力」で覆したのだ。
魔法学院では誰よりも早く高位呪文を習得し、周囲の羨望と嫉妬を糧に実力を磨き上げた。
やがて彼女の噂を聞きつけた勇者アレクが現れたあの日。
『君の炎は、正義を照らすためにある。』
その言葉と共に差し伸べられた手を取った瞬間、リゼアは自分が世界の中心に選ばれたのだと確信した。
それからの日々は順風満帆だった。
アレクが聖剣を抜けば魔物は一刀の下に伏し、カタロフが斧を振るえば城門すら砕け散った。
セラの癒やしは死の淵から仲間を呼び戻し、自分の魔法は軍隊一つを灰に変えてきた。
自分たちは選ばれた存在であり、神に愛されたパルテミス大陸の正義そのもの。
魔族という「汚物」を消毒し、その上に楽園を築く権利がある――。
その傲慢な確信が、たった一人の「異物」によって、砂の城のように崩れ去っていく。
「ひいっ…あ、あああああッ!」
現実を拒絶する彼女の耳に届いたのは、無残な肉の裂ける音だった。
「が、あ…あがっ…!」
重戦士カタロフが床を這いずり回っている。
かつて魔族の奴隷たちを「躾」と称して惨殺してきたその逞しい肉体は、今や清十郎の白刃によって、精密な彫刻を施されるように削ぎ落とされていた。
清十郎の振るう刀は、もはや武器ではない。それは「死」を執行するための完璧な道具だった。
一閃ごとにカタロフの肉体が断たれ、噴水のように鮮血が舞う。
「やめてくえ!頼む、金ならやう!何でおすうから…助けてくえッ!」
鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにした「人間の英雄」が、情けなく命乞いをする。
清十郎によって口の中を深々と傷つけられたため、舌が回らず、満足に言葉を紡ぐことさえできない。
そんな彼を冷淡に見やり、清十郎は返り血一つ浴びていない涼しげな顔で問いかけた。
「先ほどまでの威勢はどうしたんですか? 躾されるのは慣れていないようですね。」
「嫌だ!死いたくあい、死にたくええぇぇッ!!」
カタロフは絶叫し、己の血で滑る床を必死に掻き、天幕の出口へと這い出そうとした。
だが、その背中に清十郎の冷徹な一撃が突き刺さる。
心臓を正確に貫かれた重戦士の巨体は、一瞬だけ跳ね、次の瞬間には物言わぬ肉塊へと変わった。
「さて…。」
清十郎の視線が、最後に残ったリゼアへと向けられる。
笑顔の裏に潜む底知れぬ虚無。
(殺されるっ!?なんとかしなくては…!)
その瞳に見つめられた瞬間、リゼアは本能的な虚飾に走った。
敵であるはずのアーデルミノスに擦り寄り、その足に縋りついたのだ。
「助けて!何でもするわ、奴隷にでも何にでもなるから!だから…この化け物に私を殺させないでッ!」
アーデルミノスは、その浅ましい姿を冷徹な眼差しで見下ろした。
この女に、もう抗う術はない。
ここで始末するのは容易いが、勇者軍の内情を知る捕虜として城へ連行する方が上策か。
アーデルミノスはそう判断し、清十郎に視線で合図を送った。
だが、二人が自分から注意を逸らしたその刹那を、リゼアは見逃さなかった。
床に転がっていた銀の首輪――『従属の首輪』に手を伸ばす。
(あの男にはなぜか効かなかった…。けどアーデルミノス!アンタはどうかしら!?アンタさえこれで操れれば、逆転できるわっ!!)
起死回生の一手。
このために怯えたふりをして隙を窺っていたのだ。
(勝った!いつだってそうだ、私は私の力だけで生き抜いてきた…、これまでだって、そしてこれから――!?)
リゼアが首輪を掴み、アーデルミノスへ突きつけようとした、その瞬間だった。
「あ…がっ…!?」
首輪から溢れ出したどす黒い魔力の奔流がリゼアの腕を伝い、その全身を縛り上げた。
「な、何だ…!?何が起きた?」
アーデルミノスが思わず身を引く。
リゼアの身体は激しく痙攣し、やがてその首に、吸い付くように首輪が装着された。
(なん…で?)
脳裏に、かつてアレクが語った仕様が蘇る。
『この首輪には強力な精神破壊の魔力が込められていてな。人間以外の種族が触れた瞬間、精神を内側から崩壊させ、死ぬまで主の命令に従う人形に変える…。』
(人間以外の…種族?わた…しが…?)
リゼアの瞳から光が消え、人形のように虚空を見つめて静止した。
「どうしちゃったんですかね、その人?」
清十郎が首を傾げると、リゼアは警戒するアーデルミノスの横を無機質な足取りですり抜け、清十郎の前で深く首を垂れた。
感情の消え失せた声で、ポツリと答える。
「…私は、主様の僕。なんなりと、ご命令を。」
「え?」
「どういうことだ?」
当惑する二人に、リゼアの口から首輪の恐るべき効果が語られた。
人間以外の精神を破壊し、傀儡に変える神器。
「そんなものが…。私に使われていたらと思うと、背筋が凍るな。」
アーデルミノスが忌々しげに首輪を睨む。
「それにしても、なぜその首輪の効果が人間であるアナタに?貴女は勇者パーティーの一員だったのでしょう。」
「…分かりません。」
天幕に奇妙な沈黙が流れる。
この女が実は魔族だったのか、あるいは首輪の不具合か。
この場の誰も答えを持ってはいなかったが、清十郎はすぐに思考を切り替えた。
「まぁ、考えたところで意味はありませんね。それよりも、この効果は最大限利用させて頂きましょう。」
◇◆◇
ヘパルディア王国の本陣に、緊急招集の鐘が鳴り響いた。
数千の正規兵と、盾として連れてこられた奴隷魔族たちが、何が起きるのかと不安に駆られながら中央広場へ集められる。
「何があったんだ? 勇者様たちの会談はどうなった?」
「おい、見ろ。リゼア様じゃないか?」
そこに現れたのはリゼア。
そしてその横には、魔軍司令アーデルミノスと清十郎の姿があった。
ざわつく広場に向け、リゼアは魔法で増幅された声で鋭く叫んだ。
「皆、聞けっ!」
全軍が注視する中、アーデルミノスが高らかに右手を掲げる。
その手には「勇者アレク」の首が、無造作に掴まれた状態で握られていた。
「ヘパルディアの兵どもよ、よく聞け!貴様らの希望、勇者アレクは我ら魔王軍の手によって討ち取られた!」
しんと静まり返った広場に、アーデルミノスの凛烈な声が響き渡る。
数千の兵士たちの顔が、一瞬にして青褪めた。
掲げられた首は紛れもなく彼らの主。
その死に顔は、英雄としての尊厳など微塵もなく、ただ「理解不能な恐怖」に染まったまま固まっている。
「勇者亡き今、貴様らに戦う理由は残されているか?剣を捨てよ!」
兵士たちは懇願するような目を、勇者パーティーの生き残りであるリゼアに向ける。
だが、彼女の口から出たのは、絶望を決定づける言葉だった。
「この方のおっしゃる通り!我らは敗れた!勇者アレクは敗北したわ!」
その瞬間、軍の統制は崩壊した。
支柱を失った人間の兵士たちは、もはや軍隊ですらなかった。
彼らは我先にと武器を投げ出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
一方で、その光景を目にした奴隷たちは、枷を嵌められたまま歓喜の声を上げた。
「勇者が…勇者が死んだぞ!」
「よくも今まで……!殺せ、人間を逃がすなッ!」
堰を切ったように、虐げられてきた者たちの怨嗟が爆発した。
逃走する兵士たちに、奴隷たちが、そして魔王軍の正規兵が襲いかかる。
平原は、かつての加害者が蹂躙される凄惨な報復の場へと変貌した。
清十郎は、混乱の渦中にある戦場をどこか遠い目で見つめていた。
「混乱が起こらないようにと思いましたが、流石にそうは上手くいきませんか…。」
その隣で、アーデルミノスはアレクの首を無造作に放り捨てた。
「ああ。だが、我々の勝利だ」
紫色の月が沈み、地平線から夜明けの光が差し込む。血に染まった平原に立つ清十郎とアーデルミノス、そして横には傀儡と化したリゼアが傅く。
「アーデルミノスさん。ボクの初仕事、これで満足いただけましたか?」
アーデルミノスは、清十郎に向き直ると、一人の魔族として深く頭を下げた。
「…感謝するセイジュウロー。お前がいなければ、この勝利はなかった。勇者どもに蹂躙され、今頃私がこうなっていただろう。」
光を失った虚ろな瞳のリゼアを見やり、アーデルミノスは言葉を継ぐ。
「この恩、一生かけても返しきれまい。」
清十郎は軽やかに笑い、鞘に納めた刀の柄をポンと叩いた。
「そんな重く捉えないでください。ボクは自分のやりたい仕事をこなしただけですから。」
こうして、ヘパルディア勇者軍と魔王軍の戦いは、魔王軍の完全勝利で幕を閉じた。
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第一章、完です。
アーデルミノス軍は勝利しましたが、まだ人間の三国も、もう一つの魔族の国も残っています。
異世界ものって書くの憧れだったので、楽しみながら書いていきます。




