第六話_死地へ
魔軍司令アーデルミノスの居城。
その謁見の間にヘパルディア王国からの親書が届けられる。
去りゆく伝令の背を見送りながら、アーデルミノスは忌々しげに手元の羊皮紙を叩きつけた。
「『我が王の崩御により、これ以上の戦争継続は本意ではない。互いの兵の命を守るため、まずは休戦の会談を持ちたい。』だと?片腹痛い。」
「どう考えても罠ですね。」
傍らでその書状を覗き込んでいた清十郎が、鈴の鳴るような声で笑った。
「先ほどまで私の首を狙っていた舌の根も乾かぬうちに、よくもこれほど白々しい嘘がつけたものだ!」
アーデルミノスが怒りに肩を震わせていると、廊下の奥から重々しい、地響きのような足音が響いた。
「司令、お耳に入れたきことがございます。」
現れたのは、アーデルミノスが最も信頼を置く腹心、ジャブラであった。
焦燥に駆られたように尾を波打たせて謁見の間に入ってくる。
ジャブラは石床に深く膝をつき、太い腕を胸に当てて報告を始めた。
「進軍の準備は整いました。…ですが、城壁の上から奇妙な、いえ、正視に耐えぬ光景が確認されております。至急、ご確認を!」
ジャブラの苦渋に満ちた表情に、アーデルミノスは即座に事態の異常を察した。
彼女は清十郎に視線で合図を送ると、ジャブラを伴って城の最上階、平原を一望できる高台へ急いだ。
◇◇◇
二人が城の最上階にある高台へと登ると、眼下に広がる光景に息を呑んだ。
「これは壮観ですね。…ですが、いささか分が悪いのでは?」
清十郎が目を細める。
城を包囲しているのは、ヘパルディア王国の正規軍――その数、魔王軍の倍は下らない。
だが、アーデルミノスが絶句したのはその数に対してではなかった。
「…何だあれは!?」
彼女の視線の先。
軍勢の最前列に配備されているのは、鎧を着た兵士たちではなかった。
ボロを纏い、怯え、鎖で繋がれた魔族の群れ。
戦う術も持たぬ老人、女、そして幼い子供までもが混じっている。
その身なりから、近隣の農村から強制的に拉致されてきた一般人(魔族)であることは明白だった。
「人間め…どこまで卑劣になれば気が済む…!」
「なるほど、肉の壁ですか。」
清十郎の声から温度が消えた。
「結束の強い魔族の性質を逆手に取ったわけですね。身内を殺してまで進軍はできない。話に聞いていた通りの、実に『人間らしい』戦術です。」
城壁を守る部下たちからも、怒号と、そしてやるせない悲鳴が上がる。
「撃てるわけがない…あそこには俺の村の奴らがいるんだ!」
「ああ、なんてことだ…!」
傍らに控えるジャブラの巨大な拳が、ミリミリと音を立てて震えていた。
太い蛇の尾が石床を叩き、憎悪を押し殺すような掠れ声が漏れる。
「…司令、申し訳ございません。付近の村々に斥候を出してはいたものの、奴らは軍の影に隠れて一気に攫ったのだと。」
屈強な戦士であるジャブラが、守るべき民を盾にされた無念に、その牙を剥き出しにして耐えている。
同じく、冷静な判断を失いかけ、唇を血が出るほど噛みしめるアーデルミノスに対し、清十郎は静かにその肩に手を置いた。
「アーデルミノスさん。…勇者の罠、乗ってあげましょう。」
「正気か!?あの場に行けば、確実に絡め取られるぞ!」
「ボクとアナタとでしたら、勇者どもに後れを取ることなんてありませんよ。」
笑顔で返す清十郎に。
そのあまりの自信に、アーデルミノスの顔も心なしか綻んだ。
◇◆◇
鱗に覆われた馬に似た魔獣・リザードホースが二頭、城門を抜けて平原へと進み出る。
先を行くのは、風に白い着物をなびかせる清十郎。
その背中を見つめながら、アーデルミノスは先ほどの彼の言葉を反芻していた。
『勇者パーティーがあの国の最大戦力であるなら、その交渉の場で始末する。それが一番手っ取り早い勝利の方法ですよ。』
不敵な笑みで、まるで部屋を掃除でもするかのようにサラッと言い切った男。
確かに先ほどの戦闘で、彼は勇者たちを子供扱いしていた。
だが、今回は敵の陣地。
無数の伏兵と、未知の罠が待ち構えているはずだ。
(本当にそんなことが可能なのか…?)
疑念はある。
だが、不思議と恐怖はなかった。
一度は捨てたはずの命を救ってくれた男。
その背中に、自分の、そして民の命運を預けるのも悪くないと思えた。
アーデルミノスは手綱を引き、清十郎の隣に並んだ。
「…セイジュウロー、お前は本当に不思議な人間だな。我ら魔族のために、なぜここまで命を懸ける?」
清十郎は、近づいてくる勇者の天幕を見据えたまま、茶目っ気たっぷりに笑った。
「命を懸けるだなんて大げさですよ。それにアナタのような美女と一緒に死ねるなら、それもまた一興ですからね。」
「なっ…!またお前は、この期に及んで何を…!」
不意の言葉に、アーデルミノスは顔を赤らめ視線を泳がせる。
司令官としての仮面が剥がれ、少女のような瑞々しさが覗く。
「それとアーデルミノスさん、」
清十郎の目が、わずかに細まった。
その視線の先には、天幕の前で勝ち誇ったように待つアレクたちの姿がある。
清十郎は馬を寄せ、アーデルミノスにだけ聞こえるような声で何かを語った。
それを聞いたアーデルミノスは、驚いたように目を丸くし、やがて呆れたように、けれどどこか嬉しそうに口角を上げた。
「…ふん。何を言い出すかと思えば。」
覚悟を決めたアーデルミノスの横顔は、司令官としての峻烈さと、信頼を寄せた者だけに見せる柔らかさが同居していた。
「では楽しみましょうか。」
清十郎が手綱を引く。
そして、二人の影は底知れぬ悪意の渦巻く勇者の天幕へと吸い込まれていった。




