第四話_魔眼のジャブラ
応接室での密談を終え、清十郎はアーデルミノスの案内で城内の宿舎へと向かっていた。
磨き上げられた黒大理石の廊下に、清十郎の雪駄がパタパタと小気味よい音を立てる。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
「止まれ、人間ッ!」
行く手を阻むように現れたのは、血気盛んな若手の魔族戦士たちだった。
野獣のような牙を持つ彼らは、一様に嫌悪の情を剥き出しにしている。
「司令の隣を、その不浄な足で歩くなど万死に値する!消えろ人間め!」
先頭の戦士が咆哮と共に、清十郎の喉元へ槍を突き出した。
清十郎は、困ったように眉を下げて微笑む。
「困りましたね。ボクはただ、案内されているだけなのですが…。」
「黙れッ!!」
槍の切っ先が清十郎の喉を貫く――そう確信した戦士たちの目は、次の瞬間に驚愕で見開かれた。
清十郎の姿が陽炎のように揺らぎ、槍は空を切ったのだ。
「がぁっ!?」
直後、槍を放った戦士の巨体が、まるで重力に逆らうように宙を舞い、壁に叩きつけられた。
清十郎は抜刀すらしていない。
ただ、すれ違いざまに掌でその勢いを受け流し、重心を崩しただけだった。
「次の方、いらっしゃいますか?」
着物を翻し、清十郎が穏やかに問う。
その底知れぬ余裕に、若手たちが一斉に飛びかかろうとした、その時――。
「退け、若造共。その男は貴様らの手に負える器ではない。」
地を這うような重低音が響き、廊下の奥から巨大な影が現れた。
下半身が太い大蛇、上半身は屈強な男の姿をした魔族。
アーデルミノスの腹心であり、この城の守備を担う将――ジャブラである。
人間を激しく憎悪する彼は、清十郎を見据えるなり、背負った二振りの大剣を抜き放った。
「アーデルミノス様、ご無事でなにより。して、そこの人間。我が主を誑かした報い、その身に刻んでやろう!」
「待て、ジャブラ!その者は恩人だ、手を出すな!」
アーデルミノスの制止の声が飛ぶが、ジャブラの耳には届かない。
「問答無用ッ!」
ジャブラは巨体に似合わぬ速度で肉薄し、二振りの大剣を振り下ろす。
石造りの床が砕け散るほどの剛力。
だが、清十郎はその暴力の嵐の中を、まるで柳の枝が風を受け流すように、一歩、また一歩と優雅に歩みを進める。
「一度、冷静になりませんか?」
「ナメるな、人間がぁッ!!」
ジャブラの動きが止まった。
同時に、彼の額を覆っていた呪符のような布が弾け飛び、隠されていた「第三の目」が露わになる。
その瞳が、禍々しい紫色の光を放った。
(おや…?)
清十郎の視界に、紫の波紋が広がる。
これこそがジャブラの切り札『魔眼』。
その眼に見つめられた者は、強力な魔力的拘束により指一本動かすことができなくなる。
「動けまい! これで終わりだッ!」
「っ、ジャブラ!やめろ!!」
アーデルミノスが悲鳴に近い声を上げる。
魔力を一切持たない人間にあの魔眼を使えば、精神ごと砕けかねないからだ。
ジャブラは勝利を確信し、硬直した(はずの)清十郎の脳天へ大剣を叩きつけた。
――キィィィンッ!!
激しい金属音が響き、ジャブラの腕に凄まじい衝撃が走る。
清十郎は、動いていた。
魔眼の拘束など欠片も受けていない流れるような動作で、清十郎は二振りの大剣を刀の鞘で弾き落とし、がら空きになったジャブラの懐へ飛び込む。
「…バカな。我が魔眼が効かぬだと!?」
戦慄するジャブラの首筋には、いつの間にか抜き放たれた清十郎の白刃が、冷たく添えられていた。
「勝負あり、ですね。」
清十郎は、何事もなかったかのように穏やかに笑う。
「なっ…貴様、一体…?」
ジャブラは茫然自失となり、やがて深く頭を垂れた。
「…負けだ。我が主を救いし御仁に、非礼を働いた。…首を撥ねるがいい。」
「物騒ですね。ボクはアナタ方の敵ではありませんよ?」
清十郎が刀を収めると、アーデルミノスは大きく安堵の息を吐いた。
同時に、清十郎の底知れぬ実力に改めて戦慄する。
魔眼の魔力すら無効化する「空虚」――この男には、この世界の法則が一切通用しない。
「セイジュウロー、改めて頼みたい。…我が軍に入り、私を、魔族を助けてはくれないか?」
アーデルミノスが真剣な眼差しで見つめる。
清十郎は少しだけ考え、彼女の整った横顔を見て微笑む。
「アナタのような綺麗な方にお願いされたら断れませんよ。…江戸の男は、美人に弱いんです。」
「なっ…!貴様ッ、何を…!」
思わぬ不意打ちの称賛に、アーデルミノスは一瞬で顔を赤らめ狼狽えた。
先ほどまでの司令官の威厳はどこへやら、一人の少女のような反応を見せる。
「おおっ!これほどの男が我らの仲間になるとは…、流石はアーデルミノス様!」
ジャブラが先ほど襲ってきた時とは打って変わって、満面の笑みで清十郎を歓迎する。
「…ち、近いうちに魔王様にもお引き合わせねばな。お前のような優秀な――」
彼女の、その言葉を遮るように、廊下を駆けてきた配下が叫んだ。
「アーデルミノス様!急報です!撤退したはずの勇者の軍勢が、再び兵を整えこの城の防衛線を突破せんと迫っております!」
アーデルミノスの表情が、一瞬にして戦士のそれに変わった。
彼女は傍らに立つ男を見やる。
「…魔王様に会わせる前に、一仕事頼めるか?」
清十郎は静かに頷づく。
「ええ、喜んで。先ほどは手加減しましたが、アナタのお話を聞いたからには次は容赦しません。」
その屈託のない笑みの奥底に狂気が滲む。
江戸とはかけ離れた異世界の夜に、新たな風が吹き抜けようとしていた。




