第三話_落日の王国
魔王軍が勝利の美酒に酔いしれ、清十郎が束の間の休息を享受していたその頃。
勇者を失ったヘパルディア王国は未曾有の混乱に陥っていた。
王城の謁見の間には、家臣たちのすすり泣きと、獣の咆哮にも似た怒号が響き渡っている。
「役立たず共が…ッ!あれほど、あれほどの国費を投じ、至れり尽くせりの厚遇をしてやったというのに!アレク、あの無能が!」
玉座に深々と腰を下ろし、その肥大した醜い身体を小刻みに震わせて激昂しているのは、国王ヘパルディア三世である。
贅肉のついた顔を真っ赤に染め、脂汗を垂らしながら、彼は既にこの世にいない勇者パーティーを罵倒する。
「陛下、お静まりください。今は一刻も早く、新たな勇者の選定を――」
「黙れ宰相!そんなことは百も承知だ!早急に次の『勇者』を立てろ!聖剣に選ばれぬなら、魔力で無理やり適合させればよかろう!」
「…恐れながら、その聖剣は魔族の地から戻っておらず、アレクほどの適合率を持つ者もまた、現在このヘパルディアには存在いたしません。」
宰相の謝罪に、王は手近な銀杯を投げつけた。
「ええい、無能共め!余が、このヘパルディアが、魔族ごときに膝を屈するなどあってはならんのだ!国宝の『従属の首輪』さえ…!あれさえあれば、アーデルミノスを余の犬に仕立て上げ、強大なジノーブス連邦と肩を並べるはずだったのだぞ!」
ヘパルディア三世の目論見は、魔王軍の要であるアーデルミノスを首輪で支配し、その軍事力を手中に収めることで、常に背後を脅かしていた隣国ジノーブスへの抑止力とすることだった。
だが、その野望は露と消えた。
その時、広間の扉が荒々しく開かれ、一人の伝令兵が転がり込んできた。
「報告!報告申し上げます!国境線を突破し、隣国ジノーブスの正規軍が我が領土へ侵攻を開始しました!」
「なっ…なんだと!?ジノーブスだと?奴らとは不可侵同盟を結んでいたはずだぞ!」
驚愕に目を見開く王に対し、宰相は冷徹な声で応じた。
「…陛下。あの同盟は、我が国に『勇者アレク』という抑止力が存在したからこそ成立していたものに過ぎません。もはやジノーブスが我々に敬意を払う理由などないのです。」
喚き散らす王の背中を見つめながら、宰相の瞳から忠誠の光が完全に消え失せた。
(…もはやこの国は終わりだ。ならば、この暗愚な王の首を土産に、ジノーブスへ取り入る道を探るのが賢明か。)
城内では兵士たちが逃げ惑い、略奪を恐れる民たちの叫びが遠くの街角から響き始めていた。
かつて大陸の覇を唱えた大国は、その内側から音を立てて崩壊しつつあった。
◇◆◇
ヘパルディアの国境付近。
そこは今、文字通りの地獄と化していた。
戦場を包むのは、人間の悲鳴と、肉を断つ音、そして全てを焼き尽くす魔法の轟音である。
「雑兵どもが…!歯応えというものがないのか!」
怒号とともに、身の丈ほどもある巨大なグレートソードを一閃させたのは、ジノーブスの勇者・グレイ。
鋼の甲冑に身を包んだその巨体から放たれる一撃は、必死に盾を構えたヘパルディア兵を、その装甲ごと、そして背後の石壁ごと無慈悲に両断する。
強き者との死闘、魂が削れるような戦闘のみを渇望する彼にとって、指揮系統を失い、ただ怯えて逃げ惑うだけの敗残兵を蹂躙することは、苦痛に等しいほど退屈な作業でしかなかった。
「キャハハッ!見て見て、この子!心臓が止まる瞬間、すっごく面白い顔したよ!」
その傍らで、狂気に満ちた笑い声を上げているのは、双剣の女戦士・ガルーダだ。
彼女は倒れ伏した兵士の胸に、細身の短剣をゆっくりと、慈しむように突き立てていた。
獲物の心臓の鼓動が次第に弱まり、指先から命の灯が消えていく微かな感触を全身で楽しみ、頬を紅潮させてうっとりと溜息をついている。
そして、空を焼く爆炎が戦場をさらに赤く染める。
「消えなさい。魔族ごときに遅れを取った無能な国ごとね。」
爆炎魔法の連発で周囲を灰に変えていくのは、魔法使い・メイルートである。
彼女の苛立ちは、目の前の敵ではなく、行方不明となった一人の女に向けられていた。
(リゼア…。魔法学院を主席で卒業したからって、いつまでも私の上を歩いていると思ったら大間違いよ。死んだの?それとも逃げ出したの?…私がこの手で引導を渡す前に勝手に終わるなんて、絶対に許さない!)
メイルートは、かつてのライバルであるリゼアの安否を異常なまでに執着していた。
もし彼女が死んだのであれば、自分の「勝利」が確定する。
しかし、その生死すら分からず、消息が途絶えている現状が、彼女の肥大した自尊心を激しく逆撫でしていた。
「おい、メイルート。無駄に魔力を散らすな。王都に辿り着く前にバテるつもりか?」
グレイの問いかけに、メイルートは冷たい笑みを浮かべた。
「心配無用よ。リゼア以外の魔法使いなんて私の敵じゃないわ。まとめて焼き払ってあげる。」
勇者不在のヘパルディア王国。その崩壊は、もはや時間の問題であった。




