第二話_魔族の住まう町
禍々しい黒岩の威容を誇る魔王城の門を抜け、清十郎とアーデルミノスは麓に広がる城下町へと足を運んでいた。
城の威圧感とは対照的に、城下町は驚くほど活気に満ちていた。
中世風の石畳の両脇には露店が並び、犬や猫の耳を持つ獣人、肌の青い魔族、三つ目の商人などが入り乱れて笑い合っている。
基本的に滅多なものに興味を示さない清十郎だが、これには流石に参っている。
足を止め、石畳を歩く多様な種族や、軒先に並ぶ未知の果実を、珍しそうに眺めていた。
「そんなに珍しいか?」
問いかけてきたのは隣を歩くアーデルミノス。
いつもの漆黒の鎧や豪奢な真紅のドレスを脱ぎ捨て、動きやすいリネンのブラウスに膝丈のスカートという軽装で、腰の剣も隠すようにマントで覆っている。
「ええ…この風景もそうですが。」
言い終える前に、アーデルミノスが続ける。
「今日は一日、しがない『町娘』として通すつもりだ。魔軍司令が歩いていては、皆が萎縮して買い物が楽しめないからな!」
得意げに服を見せびらかす彼女に、清十郎は笑みをこぼす。
「なるほど。いつもの凛としたアーデルミノスさんも素敵ですが、今の姿も親密さがあって…。そうですね、とても可愛らしいですよ。」
「なっ…!お前は、またそうやって平然と…。」
案の定、アーデルミノスは顔を真っ赤にして視線を泳がせる。
彼女のこうした反応を眺めるのも、清十郎にとって一つの楽しみになりつつあった。
「…でも、正直に言うと少し構えてたんですよ。」
「構えていた?何にだ?」
「ええ、『魔』と付く種族が住まう地ですから。もっとこう、血生臭い光景や、常に殺気が渦巻くような場所を想像していました。ですが、ここにあるのは…ボクの故郷と変わらぬ、人々の営みそのものです。」
視線の先では、母と子が手を繋いで笑い合い、露店では賑やかな交渉が行われている。
清十郎が抱いていた「魔族の街」のイメージは、心地よく裏切られていた。
アーデルミノスは少し意外そうに目を丸くし、やがて柔らかく微笑んだ。
「お前がどんな地獄を想像していたかは知らんが、種族が違えど、食らい、笑い、明日を願う生活に変わりはない。…まあ、中には血気の多い、分を弁えぬ粗暴な輩も時にはいるがな。」
皮肉なことに、その言葉が合図となった。
「よう、ねえちゃん!見ない顔だが、ここの住人か? 景気のいい顔してるじゃねえか、俺たちと少し遊んでいかねえか?」
筋骨隆々の、犬の頭部を持つ獣人の男が三人、下卑た笑いを浮かべてアーデルミノスの行く手を阻んだ。
男は彼女の正体に気づく様子もなく、その肩に馴れ馴れしく手を伸ばそうとする。
「…不届き者が。その腕ごと焼き尽くして――」
アーデルミノスの指先に小さな火種が宿りかけた瞬間、清十郎がその細い腰をひょいと抱き上げた。
「…えっ!?」
「おっと、失礼。せっかくの平穏な時間ですからね。野暮な喧嘩で汚すのは勿体ない。…逃げましょうか!」
「待て!離せセイジュウロー!離…ッ!」
清十郎は抗議を無視し、風のような身のこなしで獣人たちの間をすり抜けた。
数本先の路地裏に降り立つと、アーデルミノスは耳まで赤くしてポカポカと清十郎の胸を叩いた。
「き、貴様!地面に足をつけぬまま移動するなど、私の威厳に関わる!」
「今は『町娘』なんでしょう?」
「…っ。全く、お前には勝てんな。」
観念したように肩を落とし、二人は顔を見合わせておかしそうに笑い合った。
「そんなことよりもセイジュウロー。お前のその服装…戦いでも一滴の返り血すら浴びなかったとはいえ、流石に一着きりでは心許ない。今日は私の馴染みの店へ案内しよう。」
◇◇◇
辿り着いたのは、路地の奥にある古びた仕立て屋だった。
店主は六本の腕を持つ蜘蛛魔族の老婆だ。
当初は「冷やかしなら帰れ」と無愛想だった老婆だが、アーデルミノスがマントを脱ぎ、その真の魔力をわずかに開放した瞬間、態度は豹変した。
「魔軍司令アーデルミノス様とは露知らず、失礼いたしました!」
「構わん。この男に、お前の吐く魔糸で一着仕立ててやってくれ。鋼より硬く、羽より軽いものが作れるだろう?」
老婆は「お任せを」と六本の腕を動かし始めたが、ふとその複眼が、傍らに立つ清十郎をじろりと舐めるように見た。
一瞬、老婆の指先が止まり、背筋を震わせる。
「司令…このお方はただ者じゃありませんね。涼しげな笑顔を浮かべていなさるが、その奥には底知れぬ狂気と『死』の香りが染み付いている。蜘蛛の勘ですがね、この御仁は一度仕事を始めれば、一切の躊躇なく命を刈り取る…本物の使い手だ。」
その評価を聞いたアーデルミノスは、なぜか自分のことのように鼻高々に頷いた。
「ふふん、見る目があるな。彼は私が直々に見込んだ男だ。」
「なるほど、流石は司令が惚れ込んだ『男』だ。お熱いことで!」
老婆がニヤリと笑って冷やかすと、アーデルミノスは即座に真っ赤になった。
「お、おま…!変な誤解をするな!私はそんな意味で言ったのでは…っ!」
「あはは。ボクも彼女のような素敵な方に選ばれたのなら、光栄ですよ。」
清十郎が否定もせず、むしろ楽しそうに微笑みながら相槌を打つものだから、アーデルミノスはさらに狼狽した。
「セイジュウロー!お前まで何を…っ!違う、これは、その!」
◇◇◇
仕立てを待つ間、二人は近くの露店で「カポの実」を練り込んだ団子のような軽食を買い、ベンチに腰を下ろした。
「これは…どうやって食べるのですか?」
「中に甘酸っぱい蜜が詰まっている。一口でいくのがコツだぞ。」
清十郎は教えられた通り、団子を口に運んだ。
――瞬間。
薄い皮が弾け、中から鮮やかな紫色の果汁が勢いよく飛び出した。
「おっと…!」
戦場では返り血一滴すら浴びることのなかった清十郎の白い着物に、果汁が点々と染みを作った。
「くっ…ふふっ、あはははは!」
それを見たアーデルミノスが、堪えきれずに吹き出した。
「お前のような使い手でも、気を抜くことがあるのだな!勇者軍の返り血すら寄せ付けなかった男が、まさか団子の果汁に敗北するとは!」
清十郎は苦笑いしながら、手拭いで着物を拭いた。
「まいりましたね。これは一本取られました。」
笑い返す清十郎だったが、その心の内には小さな驚きがあった。
(…こんなことは久々だ。)
江戸にいた頃、いつ何時も殺気を肌に感じていた自分が、食べ物一つで服を汚すほどに気を緩めていた。
この街の平穏が、そして隣にいる「町娘」との時間が、無意識のうちに自分の警戒心を解いていたのだ。
自分が確かに気を緩めていたことに、彼は少しだけ戸惑い、そしてそれを受け入れた。
食べ終わり、それでもまだ仕立てには時間がかかる。
「さて、まだ少し時間がかかりそうだな…。」
アーデルミノスが考えていると、腰の刀に手を置き、清十郎が希望を口にする。
「できたら良い砥石と油を置いているお店を知っていませんか?刀の手入れもしておこうかと。」




