2、設計士
三門透は、呪いを設計する。
正確に言えば、呪いの構造を読み取り、図面に起こす。どこに核があり、どこに楔が打たれ、どの階層に何が住んでいるか。それを白紙のノートに書き出す。
ペンは勝手に動く。透の意思とは関係なく、紙に触れた瞬間から線が走り、文字が並び、呪いの設計図が浮かぶ。
母親譲り——ではない。透の場合は、自前だ。
かつて「設計士」と呼ばれた。呪術の二大要素のひとつ、環境整備を担う人間。ターゲットの内界における地図を作り、呪いの発動条件を設計し、符楔を準備する。黒瀬が「解体屋」なら、透は「製図屋」だった。
黒瀬が呪いを喰うには、透の目が必要だった。内界の構造を知らなければ、出口も核の位置もわからない。透のノートがなければ、黒瀬はただの盲目の捕食者にすぎない。
そして透が黒瀬と仕事を続けるのは、金のためだった。
娘を大学に行かせてやりたい。それだけが理由だ。
それだけのはずだった。
*
事務所と呼ぶには寂しい、築四十年の雑居ビルの三階。六畳のワンルームに机が二つ。窓から見えるのは向かいのビルの室外機だけだ。
黒瀬は帰るなり椅子に倒れ込んだ。
「顔色が悪い」
「いつもだ」
「いつもより悪い」
透はノートを机に置いた。今日の依頼者のページを開く。第二層の設計図が、まだインクの乾かないまま残っている。
「七件喰って、まだ足りないのか」
黒瀬は天井を見たまま答えない。
透は知っていた。最近、黒瀬の食事の間隔が短くなっている。半年前は週に二件で足りていた。三ヶ月前から四件。今は七件喰って、まだ腹の底が鳴っている。
呪いが進行している。
黒瀬に寄生している呪いは、宿主を殺すまで止まらない。他人の呪いを喰えば進行を遅らせられるが、遅らせているだけで止めてはいない。しかも、喰えば喰うほど耐性がつく。同じ量では足りなくなる。
薬物依存と同じ構造だ。
「さっきの電話」
透が切り出した。
「お前の隣で聞こえてた。呪いを喰える者を知っている、と言ったな」
黒瀬は目を閉じたまま、少し笑った。笑ったように見えただけかもしれない。
「テストだと。まず自分の呪いを解けってさ」
「テスト、ね。つまり本題は別にあるってことだ」
「だろうな」
沈黙が落ちる。
透はペンを回しながら待った。黒瀬が話すまでには、いつも少し時間がかかる。
「……あの男、俺の呪いを喰える奴を紹介すると言った」
透の手が止まった。
「それが本当なら」
「嘘に決まってる」
「十中八九な。だが一割はお前、信じたいだろう」
黒瀬が目を開けた。天井を見たまま、低い声で言った。
「信じたいさ。このままいけば、あと何年もたない。お前だってわかってるだろ」
透はわかっていた。黒瀬の飢えが加速していること。このペースなら、食える呪いの供給が追いつかなくなる日がそう遠くないこと。
「で、どうする」
「断った」
「電話を切っただけだ。断ったとは言ってないだろ」
黒瀬は何も言わなかった。
「相手の素性もわからんのに動くのは危険だ。少なくとも、誰なのかくらいは調べてからにしろ」
「……ああ」
透はノートを閉じた。
*
翌日、非通知の番号から再び電話があった。
黒瀬は出なかった。
代わりに、事務所のドアの下から封筒が差し込まれていた。
透が拾い上げ、中身を確認する。
分厚い紙幣の束。その下に住所が記された紙が一枚。そして、白い名刺。
「白河伊知郎。肩書きは——」
透が読み上げた。
「立花グループ常務取締役」
「立花グループ?」
「創業六十二年。建設・不動産・ホテル事業。東証プライム上場。売上高は連結で約八百億」
「大企業の重役が、なんで俺みたいな人間に」
「それを知るためにテストを受けろと言ってるんだろ」
黒瀬は札束を見た。前払いだとすれば、破格の金額だった。
「……白河って男、調べられるか」
「立花グループに三十年以上勤めて常務まで上り詰めた。現会長・立花源三郎の右腕と呼ばれてる。実務のすべてを回してきた人間だ」
「右腕か。で、その右腕が、わざわざ呪いなんぞに頼る理由は何だ」
「知らん。だが金を先に送りつけてくるあたり、断られる想定はしていない」
黒瀬は封筒を机に放った。
「調べてるな。俺のことを」
「間違いない。お前がかつて『呪植』の第一人者だったことも、抗争で敗れたことも、知ってるはずだ」
呪植。
その言葉を聞くたびに、喉の奥に古い味が戻る。鉄と灰と、自分の血の味。
黒瀬はかつて、呪いを植え付ける側にいた。人の内界に潜り、楔を打ち込み、条件文を起動させる。相手の行動を縛り、未来を歪める。それが仕事だった。
腕が良かった。評判もあった。だが抗争に敗れ、「人の呪いを喰わなければ死ぬ」呪いをかけられた。以来、解呪に鞍替えするしかなかった。
「二度と植え付けはしない。それは変わらない」
「テストは解呪だろう。自分にかかった呪いを解いてくれ、と言ってた」
「……ああ」
「解呪なら、いつもと同じだ。やるだけやって、本題が気に入らなければ断ればいい」
黒瀬は長い沈黙の後、封筒の名刺を取り上げた。
裏に、日時と場所が手書きで記されていた。
明後日。午後三時。都内の高層ビル。
「行くのか」
「話だけだ」
「その台詞、もう何回目だ」
黒瀬は答えず、窓の外の室外機を見た。
腹が鳴った。いつもの空腹。胸の内側の空洞が、今日も少しだけ広がっている。
喰わなければ死ぬ。
その呪いを喰える者がいるなら——。
透はノートの新しいページを開いた。まだ白紙だ。だがペンを置いた瞬間、かすかに震えた。
何かの設計図が、もう始まろうとしている。




