4 半竜、初めての外出と「竜の常識」
外に出る、と言ったはいい。
アランは部屋の前で立ち尽くしていた。
扉はある。
廊下もある。
階段もある。
ただ一つ問題がある。
「……これ、俺の部屋じゃないよな?」
「違うわ」
アルシェはあっさり頷いた。
言い方が「天気の話」みたいに軽い。
「どこだここ」
「私の屋敷」
「屋敷」
アランは復唱した。
屋敷、という単語の重みが遅れて落ちてきた。
「待て。俺、昨日までギルドで安酒飲んでた一般冒険者だぞ。館に泊まる身分じゃない」
「泊まってる」
「事実で殴るな」
アルシェは首を傾げた。
「嫌だった?」
「嫌というか、心の準備というか……」
「心の準備?」
「そう。世界観の整合性とか」
「世界観は私が作るものよ」
言い切った。
アランは廊下の手すりに手をついて天井を見上げる。
白い石。
金の飾り。
遠くに見えるステンドグラス。
ここが夢じゃないなら、出費が怖い。
「……いくらだこれ。うっかり壊して請求されたら詰む」
「請求しない」
「逆に怖い」
「安心して。あなたは“17番目の候補”」
「候補って言うな」
アルシェがふっと笑う。
「名前で呼ぶ?」
「……呼べ。俺はアランだ。アラン・ド・ヴァレンヌ」
「アラン」
たったそれだけで胸の奥が微妙に鳴った。
呼ばれた音が変に綺麗でまた腹が立つ。
「よし。じゃあ行くぞ」
「うん」
歩き出した瞬間、アルシェがさらっと言った。
「まず服を変えましょう」
「は?」
「その格好、素材がもったいない」
「素材って言うな!」
アランが抗議する間もなく、壁の一部が静かに開いた。
そこは部屋だった。
いや、部屋というより――衣装部屋だった。
布。布。布。
光る布、揺れる布、刺繍がうるさい布。
宝石みたいなボタンが並ぶ服。
そして何より。
「……全部、俺のサイズ?」
「当然」
「怖っ」
「妖精が測った」
「もっと怖っ」
アルシェは当然のように棚を指した。
「好きなのを選んで」
「俺、冒険者だぞ。皮鎧でいい」
「鎧は好き」
「お、分かる?」
「でも今日は街」
アルシェが真面目な顔で言った。
「街は“顔の戦場”よ」
「何と戦うんだよ」
「視線と情報と欲望」
「急に物騒!」
アルシェは少し考えてから付け足す。
「あなたの意思も」
「一番怖いわ」
アランはため息をついて服を眺めた。
どれも高そうだ。
高そうというか、触った瞬間に自尊心が上がりそうだ。
「……こういうの、着慣れてない」
「慣れるわ」
「いや、そうじゃなくて。俺が着たら“借り物感”が出る」
「出ない」
アルシェが即答した。
「むしろ似合う」
「根拠は」
「顔」
「だからやめろ!」
結局アランは、比較的シンプルな黒の外套を選んだ。
ただし裏地は銀糸で織られている。
シンプル詐欺だ。
着替えて出てくるとアルシェがじっと見る。
「……うん」
「うん、じゃない」
「合格」
「採点するな」
アルシェは満足そうに頷いた。
「じゃあ、行きましょう」
⸻
館の外に出た瞬間、風が変わった。
空気が柔らかい。
匂いがある。
人の気配が遠くから押し寄せてくる。
街が見えた。
雲の上ではない。
ちゃんと地面がある。
「……降りたのか?」
「下ろした」
「どこに」
「この国の王都」
「王都!?」
声が裏返った。
「待て待て。王都って、俺みたいな庶民がウロついていい場所じゃ」
「歩ける」
「そういう意味じゃなくて!」
アルシェは不思議そうに首を傾げる。
「人間の街で歩くのに許可がいるの?」
「いる時もある!」
「面倒ね」
「おまえが言うと世界が終わる」
アランが額を押さえるとアルシェはほんの少しだけ口角を上げた。
「大丈夫」
「何が」
「今日は平和」
「根拠が薄い」
「妖精が胃薬を増やしてた」
「それ安心材料じゃないだろ」
二人が通りに出るとざわめきが一段上がった。
視線。
視線。
視線。
アランはすぐに理解した。
「……見られてる」
「見られてるね」
アルシェは嬉しそうだ。
竜が嬉しそうだと街の安全が心配になる。
「おい、やめろよ。余計なことするなよ」
「余計なこと?」
「例えば、空に文字書くとか」
「書かない」
「本当か?」
「今日は“行儀よくする日”」
「そんな日があるのか」
「ある」
アルシェは頷いた。
「あなたが言ったから」
アランは言葉に詰まる。
昨日の「顔だけで見るな」が効いてる。
効いてるのに。
「……効くの早すぎない?」
「私は竜よ」
「それ万能ワードにするな」
そのとき、通りの向こうで悲鳴が上がった。
「きゃああっ!」
視線が一斉にそっちへ向く。
露店の前で男が少女の腕を掴んでいた。
財布を奪おうとしている。
アランは反射的に走り出そうとして――
アルシェの指が軽く動いた。
男の足元の影がふっと持ち上がる。
まるで影そのものが腕になったみたいに男を縛り上げた。
「えっ……」
男は宙吊りになり、じたばたした。
少女は呆然としている。
周囲が静まり返った。
アランはその場で止まって、アルシェを見る。
「……おまえ、今」
「助けた」
「いや、それは分かる。でも」
アランは口を開閉した。
「それ、魔法とかそういうレベルじゃないだろ」
「影を借りただけ」
「借りるな。勝手に借りるな」
アルシェはきょとんとした。
「影は返す」
「そういう問題じゃない!」
宙吊りの男が泣きそうな声で叫ぶ。
「た、助けて! なんだこれ! 魔王か!」
「違うわ」
アルシェが穏やかに言った。
「私は花婿募集中の竜」
「情報が多い!!」
人だかりが一気にざわめいた。
「竜!?」
「本当に!?」
「え、あの空の文字の…?」
「あの条件ってマジ…?」
アランは血の気が引いた。
「おい、やめろって!」
「言ってない」
「言っただろ今!」
「事実を述べただけ」
「それが一番拡散するんだよ!」
アルシェは少しだけ考える。
「じゃあ、訂正する」
アランの肩が一瞬下がった。
「……頼む」
アルシェは人だかりに向かって、にこやかに言った。
「安心して。ここにいるのは“第十七候補”よ」
「訂正の方向性!!」
アランが頭を抱えると群衆の視線が一斉にこちらへ刺さった。
刺さったというか、焼けた。
「……第十七…?」
「もう十六人いるの?」
「落ちたのもいるの?」
「怖…でも顔…」
アルシェが小さく付け足す。
「彼は逃げない。今のところ」
「今のところ言うな!!」
アランはアルシェの腕を掴んで早足で歩き出した。
「撤退だ撤退! おまえ、街で目立つな!」
「目立ってない」
「目立ってる!!」
「あなたが目立ってる」
「だからやめろ!!」
アルシェは少しだけ笑った。
「うん。楽しい」
「俺は胃が痛い」
「妖精に分ける?」
「分けるな」
二人が角を曲がったところで背後から怒号が飛んだ。
「おい待て!」
見覚えのある声。
アランが振り向いて、固まる。
人混みを押しのけて来たのは――
あの勇者だった。
朝っぱらに鏡を拒否した筋骨隆々の男。
目が血走っている。
「おまえか……!」
勇者はアランを指差した。
「おまえが“顔で選ばれた”やつか!!」
アランは思った。
最悪だ。
アルシェは思った。
「いい筋肉」
「評価すんな!!」
勇者が叫ぶ。
「俺が! 世界を救ったんだぞ!!」
アランは冷静に返す。
「でも条件に書いてない」
「言うなあああ!!」
アルシェが首を傾げた。
「あなた、候補に入りたいの?」
勇者がピタッと止まった。
「……入れるのか?」
空気が一瞬、真面目になった。
群衆も息を止める。
アルシェは勇者の顔をじっと見た。
目を細め、顎を少し上げ、真剣に。
アランの胃がきゅっと縮む。
そしてアルシェは、にこやかに言った。
「残念。私に向かって大声を上げた時点で減点」
「なんで!?!?」
「私は静かな生活が好き」
「それだけ!?!?」
勇者が膝をつく。
アランは一瞬だけ同情した。
同情したが。
「……竜基準、厳しいな」
アルシェは頷いた。
「顔は好みじゃないけどまぁ渋々妥協して合格。でも性格で落ちた」
「性格審査ほんとにあるのかよ!」
アルシェはアランを見る。
「あるって言った」
「……はい」
その瞬間、勇者が顔を上げた。
「待て!! 性格で勝負するなら、俺にもまだ」
アルシェはぱちんと指を鳴らした。
勇者の口にふわっとした光が入った。
「……?」
勇者は口を開けたまま固まる。
「何した!」
「今、言葉をちょっとだけ奪った」
「おい!!」
「殺すのは嫌でしょ?」
「嫌だけどそうじゃない!」
背後で勇者が口を動かしているのに声が出ない。
出ないまま、すごく悔しそう。
アランは目を逸らした。
「……可哀想だろ」
「生きてる」
「基準それかよ」
アルシェが手を引く。
「行きましょう。候補が増えると面倒」
「おまえが増やしてるんだよ!」
二人は早足で人混みを抜けた。
背後で勇者の「ぁ……」が遅れて届く。
アランは思った。
――街は戦場だった。
そしてその戦場の司令官は、竜だった。
最悪だ。
でも。
隣を歩く白銀の女は、どこか楽しそうで。
アランはもう一度だけ言い聞かせる。
逃げない。
今日は逃げない。
たぶん。
◇
妖精たちはその頃、理の中間層で胃を抱えていた。
「勇者の口が遅くなりました」
「おそらく数年ほどまともに話せなくなるでしょう」
「……誰が直すの」
「竜様」
「じゃあ無理ね」
「世界はまだ無事です」
「基準が竜寄りになってる!」
議長妖精が机を叩く。
「報告!」
若手妖精が震える声で言った。
「竜様、今日“行儀よくする日”って言ってました!」
一同が静まり返る。
「……行儀、って何」
「竜基準だと」
「街を壊さない程度」
「空に文字を書かない程度」
「人を殺さない程度」
「終わってる」
議長が遠い目をした。
「でも」
若手妖精が続ける。
「第十七候補が竜様の手を引いてました」
沈黙。
次にざわと空気が軽くなる。
「……手を引いた?」
「竜様を?」
「止めに行った?」
「止められた?」
議長が小さく笑った。
「……やっぱり」
「逃げない人間は」
「強い」
妖精たちは胃薬を握りしめながらひとつだけ希望を持った。
第十七候補は――
たぶん。
世界を救う。
顔で。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




