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婚姻届は突然に。

 もちろん、顔には出さない。

「はあ?」

 私は、何言ってんだ? と顔をしかめてみせた。

 親父の右眉の上には穴のような傷痕がある。その形が猫が丸くなったみたいで、いつも必死に笑いそうになるのを耐えていた。。その訓練が役に立った。私は、親父の傷痕を睨む

「ごめんね、みゆちゃん」

 ユキさんが言う。やっぱり、困ったように。

 ユキさんは、七歳年上だ。私は明後日、十八歳になる。

 ユキさんは間近で見ると、やっぱり顔がいい。というか、多分中の上くらいなんだけど、神々しい感じがするので十割増しに見える。実際、ユキさんは四年前から二年間はやや暗かったけど、二年前からは逆に明るい。性格がどうこうじゃなくて、実際にうっすら光って視えるという、本当の明暗の話だ。性格はもともと、悪いとこなんか見当たらない。

「冬季が婚約解消してフリーになったら、何が起こると思う?」

「え? そりゃ、村中でとりあい」

 情報が漏れた瞬間から、よーいドンだ。

 きっと、この二年で結婚したり婚約した七家の人たちも、離婚してでも参戦してくるだろう。

「そうだろ? だから、その話が広まる前に、話を決めちまいたいんだ。おまえなら誰も文句は言えないだろ?」

「そうなの?」

「そうなの」

 私の疑問に、ユキさんが応えた。

「ごめんね。受験前に巻き込んで」

「はあ」

 今は十一月。一般入試で受験するので、ひたすら勉強しているところだ。

「みゆちゃんは、三家筆頭神谷の家長の娘だし、『七縛り』だし、二年前も家長と二人だけ神殿で元気だったって聞いてるよ」

「はあ。でも、あの時は全員神殿にいたわけじゃないですよ」

『七縛り』というのは、七年祭の年に生まれた『冬』の字を持つ者のことを言う。七年縛りで生まれたり死んだりするので、そう言われている。

 そして、二年前にユキさんが怨霊退治をしたとき、ユキさんは怨霊を自分の体を通して、神殿に送り飛ばすという荒業(あらわざ)を行使した。それを、うちの神様がなんとか片付けたわけだけど。うちの神様は、『七縛り』のうち誰かの体の中に七年間ずつ棲みつく。あの時は、それはそれは神々しく、この人に本当に神様が入ってたんだ、て感じで、親戚のおじさんが神様の威力を発揮した。そのパワーがすごすぎて、神殿にいた人たちがバタバタ倒れて行った。そこで、平気で立っていたのが、家長である父と私だったわけだ。

 とはいえ、あれは突然始まったために敷地内に住んでいる者たちしか集まっていなかった。

「いなかった者はチャンスを逃しただけだと思えばいいのよ。そこで影響なくいられたって実績がものをいうのよ。私もいればねえ」

 母は、その時、ユキさんがいた方の現場に行っていた。激若い母は、ユキさんを狙って機会あらばつきまとっていたのだ。

「えーと。そりゃ、ね。受験前にユキさんがフリーって話が広まったら、我々年頃の受験生は集中できなくなっちゃって困ります」

 村にも同級生女子は五人ほどいる。うちは村だけど過疎ってない。

 あくまで、この婚約話に興味がない風で、私は言う。

 がっつかないがっつかない! そんなとこ見せたら負けだ。だれにだ? という突っ込みは自分にだけする。

「そうだろ? 今そんな騒ぎ困るだろ? おまえ、いやか?」

「いやっていうか、突然すぎるでしょ」

「そうですよ、未冬だって困りますよ」

 私のセリフに、母が声をかぶせてくる。母は、私を十四で産んだ。まだ三十過ぎで、ユキさんより七歳上なだけだ。母がユキさんをひそかに狙っていたのは知っている。ちなみに父は母より十四歳上だ。

「いや、受験問題以外は困ってないし、いやってわけじゃないけど。ただ、急だから、びっくりしてるってだけ」

 つい、母に反発して本心を言ってしまう。

「じゃあいいな。悪いが、急でもなんでも、いやじゃないなら話を進めることにするぞ」

「みゆちゃん、いやならいいんだよ? 巻き込んでるのはこっちだから」

 ユキさんが言う。そう言われるのはちょっといやだ。

「おい、冬季。それじゃおまえは誰でもいいみたいだろうが。乙女心考えろよ」

 親父に乙女心を諭されるのは嫌だけど、残念ながら言うとおりだ。

「ああ、ごめん。七つも年が上だし、ほかの女の人と婚約してたわけだから、十七、八の女の子にはいやでしょう、普通」

 そこで、ユキさんは今回の事態の説明をしてくれた。

 ユキさんの婚約相手に、新しく恋人ができたのだという。ユキさんは傍系とはいえ三家筆頭神谷家の者。あちらは二屋という七家の者。立場はあちらの方が弱い。あちらが理由で婚約破棄となっては、二屋家やその育て親になる同じ七家の光井家に大きな影響がある。早い話『家格が落ちる』ことになるらしい。そうすると、下手な争いが水面下にも発生して、村全体の空気にもかかわるということだった。

 多分、空気どころじゃないんだろうな、と思う。田舎特有の閉じられた関係だ。どんな争いが勃発するかわからない。

 そこで、ユキさんと二屋家の婚約は、双方の婚約話を止めるための偽装婚約だったと、発表することにしたのだそうだ。どちらかに本当の結婚相手がみつかったら、適当なタイミングで解消する約束がもともとあったのだ、と。それが、今だということにしたいのだという。

「村の平和のために、それが一番だってことになった。そこで、あちらよりこちらの話の方が先にあったことにしたいから、急いでるんだ」

 親父が説明を補足する。

 まあ、事情はわかった。ようするに、棚からぼた餅。ユキさんが私のところに、棚から落っこちて降って来たわけだ。

「無理強いはしたくないけどね。ただ、『急な話だからイヤだけど、いずれって話ならいい』って言うことだったら、悪いけど、今にして」

 ユキさんも急かす。話からすれば、前の婚約は、本当の恋愛関係によるものだったのだ。それが、相手に裏切られたのに、相手のことや村のことを思って、穏便に収めようとしている。

 ユキさん、傷ついてないのかな?

 ユキさんの気持ちはわからないけど、縁を切ると決めているらしい。

 うーん、妥協ラインか? 今を逃したら、ほかの女が婚約者になって、もはや割り込めないということだし。

「ユキさんは、私でいいんですか?」

 自分で言うのもなんだけど、ただの田舎娘だ。神社育ちで巫女の真似事したりしつつ、村内でやってる習い事にあちこち行かされつつ、隙あらば部屋でごろごろスマホをいじってる私だ。見た目も地味だし、ダイエットにも興味ないから百六十センチの身長に平均体重だし。もちろん受験勉強はしているが、受かれば東京に行けるから頑張っているだけだ。

「そうだねえ。正直言えば特別好きでも嫌いでもないよ」

「おいっ!」

 正直すぎる。

「だって、長年別の人と婚約していたわけで。それでみゆちゃんを特別好きだったら変でしょう?」

 それもそうだけど。

「一応ね、好き嫌いはあるんだよ。みゆちゃんは嫌いじゃない。結婚相手として拒否感はない。もともと、前の人とのことがなければ、俺は見合い結婚だっただろうからね。その場合、みゆちゃんが候補に入るだろうくらいは想定してたから、それなりに人となりくらいは見ていたよ。そのうえで、俺はみゆちゃんならいいと思ってる。今はまだね、そこまで」

 ユキさんは、どこまでも誠実だ。

「とりあえず俺は、給料もいいし家事もできるし、寿命以外は悪くないと思うよ?」

「おい」

 父は、『おい』しか言わない。さっきまでと強さも違う。

 そう、七年祭の年に生まれる子供は、長生きしない。最高で六十三。四十九で病死する人が多い。

「俺だって、次の七年祭は四十九だ。祭りのあとぽっくりかも知らん。今なら、孫を見られる」

「それはそれで気が早いですよ、みゆちゃん大学行くんでしょ?」

「いや、どっちみち孫は遅くとも次の七年祭の年だ。あと三年ある、おまえらは七年祭が二人目くらいでいい」

「おいっ!」

 私がおいと叫ぶ羽目になる。

「まあ、そういうのはまた考えるとして。とりあえず、俺と結婚する気があるかどうかだね、みゆちゃん」

「・・・・・・はい」

 まあ、即断しろというなら、答えは決まっている。

「いいです。ユキさんなら」

「だそうですよ、お義父さん」

「おまえ気が早すぎだろ!」

 母は、ただ溜息を落とした。落としつつ、脇に置いていた封筒を持ち出した。

「はい」

 それを、父に渡す。

「なんだ?」

 大きな茶封筒から、半分に折った紙が出て来た。

「・・・・・・・」

 父は、黙って座卓の上に置く。

『婚姻届』

「いっそ、入れちゃいなさいよ」

 さすがに、母以外、黙る。

「明後日、未冬は十八の誕生日。問題ないわ。ただの婚約じゃ、ひっくり返そうとたくらむ輩も出るかもしれないわ」

「それは、そうかも」

 ユキさんが言う。

「いやいやいや・・・・・・でも、ありか?」

 親父も言う。

 おい。

 本来、娘の結婚に反対する筆頭格であるはずの親父まで・・・・・・。

 そして、その場で、サイン会となった。

 苗字はどっちも神谷だから、神谷。保証人は、同席している私の両親。新たな本籍は神社所在地。

「じゃあ、この紙が狙われないとも限らないから、俺が預かって明後日東京で出しますね」

 ユキさんが、婚姻届を持って帰って行った。

 部屋にいたのは、三十分足らず。

 それで、私の人生は決まった。

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