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神殿にて

 拝殿の中に入ると、音はさらによく聞こえた。神社の建物周りを、すでに板戸で閉じてしまっていたからだ。まあ、スカスカなんだけどね。

 神社に暖房はないので、一応、火鉢とストーブがある。当番はストーブをつけてもいいことになっているんだけど、神宮様は使わない。暑くも寒くもないのだそうだ。ユキさんも使わない。そうはいっても放置してるみたいな感じになるので、神宮さまのところには火鉢がある。今は暖めるものはそれしかないので、神社内は、つんと、冷え切っていた。

 その中を、笛の音が満たしている。

 なんというか、ユキさんの笛の音は、生々しいんだよね。表現がおかしいのはわかってるけども。

 ピーとかヒャーとかいう音が、ぴやぁぁんとか、ひゅわぁぁん、とか。密度が濃いのにやわらかいというか。みっちりでっかくて固めの蒸しプリンみたい。

 そう母に言ったら、何言ってんのよ、と言われたあとに考え込まれて、まあ、近い、わね、と言われた。

 甘くておいしそうなうえに腹持ちもよさそうでしかも量がある。土鍋プリンみたいな感じ。

 私はとっとと単衣に着替えて水路を渡る。

 この季節に水に入りたい人はいない。でもまあ、慣れはある。今はまだ水温と気温の差があまりないけど、真冬になると、十五度と言われる水温の方が温かいしね。

 拝殿から人が出入りしたのは、音の変化でわかったと思う。私が水路から這い出たところで奥の間の方を見ると、神殿の先の渡り廊下の先で、ユキさんが笛を吹きながらこちらを見ていた。

 来るなという感じはないので、私は白の上下に着替えて頭を良くふいて、渡り廊下の手前まで行く。

 そこで一度平伏して、渡り廊下を渡って奥の間に入ってからあらためて神宮様に平伏する。

 神宮様が小さく、扇を鳴らした。それで顔を上げると、神宮様がうれしそうにしていた。

 私は立ち上がり、棚の中にしまわれている扇を出した。

 扇を前にして平伏したうえで、扇を持って立ち上がる。ユキさんが、笛を吹きながらこちらを見る。

 ユキさんも、楽しそうになってきたような顔をして、踊りの笛に変える。

 私は、舞い始めた。

 普通に、巫女舞だ。

 長いバージョンだと三十分くらいになる。五種類ほどあるのでね。

 一人で吹ききるのは大変なはずだけど、ユキさんは平気らしい。昔大ケガした時に肺の一部がダメになって少し取ったと聞いたことがあるんだけど、山で修行したおかげで、もともとの肺がかなり強かったらしい。

 神宮様はご機嫌だ。一升瓶から茶碗酒しつつ、時々、片手だけ、腕の振りだけ踊りを真似したりもされていた。

 外のじじばばたちも、踊りの長さだけ、長くユキさんの笛を聴けただろう。

 みっちりつまっていてとっても甘い土鍋プリンを食べたら、みんな、幸せな気分になれる。

 私はでっかい土鍋プリンを作るお手伝い。スプーンですくってお口に入れてあげるお手伝い。おかわりは? と聞いてあげるのもいいかもな。

 そんな気分で、舞いを舞った。

 とんだ巫女舞もあったもんだ。


 曲が終わると、私は再び、扇を前に置いて平伏する。

 特にお言葉はなかったけれど、ユキさんも笛を置いて手をついた。おそらく、神宮様がもう終わりにしていいよ、という合図をくれたのだろう。

 私たちは、神宮様のおそばのランプ一つだけを残して消灯し、ランプを一つ持って、奥の間を閉じて神殿に戻る。神殿の口も閉じて、水路の方まで下がった。

「外まで聞こえた?」

 ユキさんが訊いてきた。ユキさんは、神殿ではほとんど話すことはないんだけど。

「みんな、縁側で聴く気漫々で。宴会が始まるところでしたよ、ユキさんの笛で」

 ユキさんが、面白そうに笑んだ。

 私は更衣室に入り、単衣一枚に着替えなおした。

 更衣室を出ると、ユキさんは夕食の片づけをし終えたところだった。そうして、水路沿いの当番の控室の戸を開け、手招いてきた。

 そこは、三畳しかない小部屋だ。ちなみに、反対側には三畳間が二つ並んでいて、男女の更衣室になっている。

 当番の控室は、奥に棚板があって、その下に布団と藁座(わらざ)が突っ込まれている。上には、古い日本地図のようなものが飾ってあって、あとは目覚まし時計とランプ、そして小さなストーブが置いてあるだけ。夏はストーブが蚊取り線香になる。夏は水路脇側の下の戸を開ければ風邪を引くほど涼しくなる。冬はとても寒いんだけど、小さい部屋なのでストーブもまあまあ効く。

 でも、今はストーブも消えていた。奥の間から持ってきたランプが、あったかい。

「明日の話はどうなってるの?」

 ユキさんが、布団の脇にしまってあった藁座を出してくれた。それで、向かい合わせに座る感じになった。私は単衣一枚なんですけどね。

「この間届けを書いた部屋を御簾で仕切って、奥に布団敷いて、手前に八人待機だそうですよ。ユキさんがいるところに、私が後から入る手筈だそうです」

「へえ。御簾だけなの」

「一応布団のとこには几帳も二帳ありました」

「そう。まあ、形だけ、だしね」

 そう、一緒に過ごした実績だけ。

「…………一応、確認したいんだけど、いい?」

「はい、なんでしょう?」

 ユキさんが、一旦立ち上がって私の前に立ち膝になって降りて来た。近い。

「『七縛り』の配偶者の制限は知ってるんだよね?」

「はい。同じ七縛りか、全然わかんない人、ですよね」

「そう。同じ七縛りでも、ダメなこともあるらしい。だから」

 すっと、ユキさんが手を寄こす。私の顔の横に。触れる寸前のところに。

「明日、試す予定だったけど。今でもいい?」

「…………具体的には、何をするんでしょう?」

 いきなりなんですけど。まさか最後までじゃないよね?

「キスだけね。大丈夫そうなら、ちょっと長めで」

 長めのキスって、何さ………。

 いわゆる、舌を絡めてとかいう、やつでしょうか?

 我々は夫婦。本当なら、子作り始めたって誰も責められない。場所はともかく。

「ここで、ですよね?」

「ここで、今、ね。明日あの密室で試すと、またバタバタ倒れる人出るかもしれないから」

「ああ、あれ…………」

 二年前、ユキさんが怨霊退治のために大量の親族の幽霊を神社に送り込んできたことがあった。それを神宮さまが祀り上げて安らげてくださったのだけれど、その御神威に、集まった人たちがバタバタと倒れてしまったのだ。

 そこで平気でいたのが、元神宮の親父と、私。それ以来、私の代名詞が鈍感になったのだ。

「……わかりました」

 私の返事を聞いて、ユキさんが私の頬に触れる。

 ちょっと上を向けられて、すっと、ユキさんの唇が私の口に触れてきた。

 あ、今、キスしてる。

 一瞬、触れただけ。離れたと思ったら、また触れる。今度は、唇がつぶれるくらい。ついばむように、唇が動く。

 うひい。

 ユキさんの指先が、私の後頭部を引き寄せるようにしているので、主導権はユキさんだ。

 ちょっと長めのキスをして、ユキさんが離れる。

 離れてみて、なんか、狭い当番部屋の中に満ちるものがあることに気づいた。

 こまかい波動のようなものが、壁や床、天井に反射しながら部屋を満たしている。ぬるい微炭酸の温泉に浸かっているような感じがした。

「……大丈夫そうだね」

 言いながら私をみつめるユキさんは、まだ手は離してくれない。

「はい……」

 再び、ユキさんの唇が触れてくる。うひい、まだ続くんですか!?

 今度は最初から、がっぷりと合わさった。私の唇に、ユキさんの舌? 舌来た~~~っ!?

 どうすりゃいいの? 歯を食いしばっちゃダメよね? とりあえず、奥歯を開けるように意識した。そうすれば前も隙間ができるでしょ。って、開けたら舌入って来た~~~!?

 舌出すべきなのこっちも? とっさに引っ込めた舌をなんとか自分の歯の裏の方まで戻そうとしたら、ユキさんの舌が触れた。うひいぃぃぃぃ~~~っ。

 すうっと、ユキさんが引いていった。

 まだ、手は私の頭にある。

「大丈夫?」

「は、い」

 その七縛り的なうんちゃらは大丈夫なんですけどね。そっちは大丈夫なんですけどね。

「寒い?」

 なんか体が震えてきた。

「いえ、だいじょぶ。は、はじめて、なんで、なんだか、その」

 ぶるっと、私は震えた。なんか、体がおかしい。

「そうか、ごめん。そっちを気にするの忘れてた」

 忘れないでほしいですこっちは乙女ですこれでも。

 ユキさんは、立ち膝のまま、私の肩に手をまわして、抱き寄せてきた。うぎぃ。

 私の顔がユキさんの左肩の下にめり込む感じ。私は正座してるから、あとは下に行くほど開いてるので、なけなしの胸とかも当たらない。とはいえ、どうすりゃいいの。

「大丈夫、問題ないし、明日は前半のキスくらいにしとくから。それでも倒れる人出るかもしれないけどね」

 そう言って、ユキさんは離れると、そのまま横を向いて座り込んだ。そうして、長く息を吐く。

「あと、ついでだから、これも見ておいて」

 ユキさんは、袴の紐を解く。うええ?

 座ったまま袴の紐を緩めて、白衣と単衣を自分から引きはがした。上半身があらわになる。

「見て」

 こちらに右肩。奥に左肩。

 右の肩が歪んでいて、そこに、深い傷跡があった。

 その背中は傷だらけだった。

 肩甲骨より上、右側多め、一番深いのが右肩の傷、次に、右首から後頭部にかけての傷。ほかにも、荒く縫われた痕や、削れたあと、細い線状の傷や、化膿したのかいびつな傷痕などがあった。数えきれないほどの。

 四年前に殺されかけたときに、鉈でさんざん殴られたという傷痕だ。

「まだ痛むんだよ。肩の傷なんかはうっかりすると激痛でね。冬場はあちこち切れたりする。ちょっと取り扱い注意なんで、よろしく」

「…………はい。わかりました。薬とか塗ったりは?」

「冬場は保湿剤塗ってる、手が届くとこは。じゃなきゃ(さらし)巻いたりね、服が血まみれになることあるから」

「じゃあ、同居したら、私が塗りますね」

「……うん、頼むよ」

「お布団、敷いていきましょうか?」

「いいよ。そのまま一緒に敷いちゃいそうだからね」

 言っている意味がすぐに飲み込めず、一瞬おいて、うひぃとなった。

「じゃあ、明日ね」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」

 装束を乱したままのユキさんを置いて、私は控えの間を出た。そうして、水路を越え、着替えて、拝殿を出る。

 家に帰ると、演奏が終わってから時間も経っていたので、ほぼ人ははけていた。最後に雨戸を閉めたりしているところだった。

「神宮様方のご機嫌はどうだったい?」

「ご機嫌でしたよー」

 私は、それだけ答えてとっとと家に入って自室に戻る。新しい鍵は快調だ。

 ああ、ファーストキス。もはや何回分かわからないキスをした。明日もするらしい。やべえ。

 私は、布団にへばりつく。

 いくら鈍感な私だって、鈍感なのはあくまで霊感耐性とかそんなやつの話だ。

 私は、ちゃんと、乙女に、鋭敏なんだよーー!!!!!

 乙女な私は、一人バタバタと布団のうえでひとしきり暴れると、またユキさんとのキスを思い出し、また暴れるということを数度繰り返し、疲れてからようやく、寝た。

 乙女の夢は、結構ヤバかった。

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