最終話/忌み子は父を抱く(8/9)
8.
その頃、緋寒。
割れた天井の隙間を進んでいると、鴇羽が声を掛けた。
「緋寒様!こっちです!」
鴇羽は緋寒を城の外へと案内する。
無表情でどこか上の空の緋寒。元気が無さそうだった。
鴇羽は彼を慰める。
「緋寒様……。父殺しを後悔されているのですか?
心配は要りません。
貴方は実鈴様と『亡きお父様の敵』を打ったのですよ……!」
「な、に……?」
「貴方は実鈴様のお子でこそありますが、関緋様とは血は繋がっていません。
それどころか、貴方の本当のお父上を殺した相手が関緋様なのです……!」
だが緋寒、無反応。
こんなにも重大な事実を聞かされたにも拘わらず、興味が無さそうだった。
「それでも……俺を強い鬼にしたのは父上(関緋)だ。
死んでしまっている方の父上はどう思いようもない。顔も知らぬからな……。
だが、今殺した父上は、戦ってみて楽しい相手だった。」
「お母上様の敵打ちとして戦ったのではない、と……?」
「そうだ。母上は俺に一度も『復讐の為に生きろ』とは言ってないからな。
……まあ、確かに戦い以外での父上は嫌いだった。
母上に溺れて、大人になれず、無様ばかりを晒して……。
折角築き上げた強く立派な己の姿を、自分で貶めているのが我慢ならなかった。
だがそれよりも嫌いだったのは、母上に守られてばかりの弱い俺自身だった……。」
彼は顔を歪めた。
「他人を恨まず、己の弱さと向き合い、ただ上を目指す……。
貴方は……生粋の鬼なのですね。
関緋様も、どんな相手でもまず話し合う心の広さと、執着を手放す勇気があれば、貴方とだけは分かり合えたのかもしれません……。
強さを高め合える親子として……。
それなら奥方様も自由にさせて貰えたでしょう。
皮肉な事です……。」
「しかし、お前は今までもそうだったが、何故俺達に尽くす?
父上の人鬼なのだろう?」
見ると、鴇羽の腕は半分無くなっていた。
彼女の通った跡には鱗のようなものが落ちていた。
「……お前、死にかかっているな?
それはそうか、お前は人鬼。
主人である父上が死んだのだから、奴に依存した存在であるお前も直に力尽きる……。」
「そう……ですね……。
先程の質問に答えるついでというのは何ですが、最後に私の事……話しても良いですか?
忘れても構いませんから……。」
――私は、奥方様を愛していました。
誰にも、本人にさえも、それを隠しながら……。
優しさ、強さ……絵に描いたように完璧で美しい母の姿であるあの方が眩しくて……、憧れていました。
女の私が何故そう思うようになったのか?
理由は私が完璧な母ではなかったからでしょうね。
私がまだ人間だった頃の話です。
私もまた誰かの妻であり、母親でした。
しかし、良い妻でも、母親でもありませんでした。
夫は言葉でも体でも暴力を振るう方でした。
家の外では良い人を装っていましたが、家では鬼のような、いや、鬼より酷い方でしたね。
私がどんな小さな失敗でもしたり、気に入らない事があれば、私を「駄目な女」「醜女」だとののしり、物で叩き、憂さを晴らしていました。
また、私が周りに助けを求めないように、力や辱めで脅したりもしていましたね……。
自分の存在意義を疑う日々。
唯一救われたのは子供といた時。
私は若かったにも拘わらず孕みにくい体質で、何度も流産を繰り返しました。
それでもやっと子供を授かった時は嬉しくて泣きました。
小さな男の子でした……。
産まれた時から弱い子ではありましたが、私の小さくて出の良くない胸から、一生懸命お乳を吸って、頑張って大きくなろうとしてくれました。
でも……、2歳になる前に命を落としました。
病でした……。
お医者様に診て貰いましたが一向によくならず、そのまま消えるように命を落としたのです。
素直で、いい子で、私が夫に叱られているのを見て、何度も心配そうに私に抱き付いてくれて……。
こんな私でも、あの子は私を「お母さん」って呼んでくれたんです……。
夫は私を何度も責めました。
「お前が駄目な女だから、あの子は死んだ」「丈夫な子を産めぬ女は、そもそも女として生まれて来るな」と。
私も……自分を責めました。
「丈夫に産んであげられなくてごめんね……」って、何度もあの子に謝りました。
その後、鬼が私の村に攻め入りました。
夫を含む男達は惨殺され、私を含む女は「鬼の奴隷になれ」と命じられました。
それが朱天鬼の方々との出会いでした。
私は自ら頭を下げました。夫を殺してくれたお礼として。
「ここも鬼の世界と変わりません。でもやり直す事が出来るなら……私を鬼にしてください」と……。
話し終わり、懐かしく、悲しくもある表情の鴇羽。
「お母さんに相応しい身ではないのにお母さんになって、先に子供を逝かせてしまった咎人……。これが私です……。」
緋寒は黙って聞いていた。男であり、鬼である彼には何とも言えない。
「私は人鬼になってから真面目に働き、やがて実鈴様と出会いました。
私とは違う、髪から足の先まで綺麗で、その上言葉遣いも丁寧で、他者への気遣いも忘れない完璧な女性……。
私はそんな方の側に居れて、手助けができて嬉しかった。
側に居るだけで、私を包んで肯定して、過去の傷が癒されていくような感覚でした……。
そんなあの方と一緒に、緋寒様達のお世話をするのはもっと幸せでした。
もう一度子供を育てるチャンスを貰えた……。今度は孤独な母親じゃなかった……。
それだけじゃない。実鈴様程の女性であっても、育児で悩んだり、子供の為に泣いたり、夫と上手くいかなかったり、苦しみを抱えるのだと悟りました。
人の世にも、鬼の世にも、神のように完璧なお母さんは存在しない……。
だからこそ失敗ばかりで手探りでも、子供の為に戦うお母さんは偉い。
そんな風に考えを改めて、過去の自分を少しだけ許せましたし、救われました……。」
鴇羽の腕は崩れてなくなっていた。
足が無くなり胴体が地面に転がる。
緋寒は無表情のまま彼女を胸に抱いた。赤子を抱くように。
非情な鬼になった彼には妙な行動だ。
しかし緋寒の脳裏には、幼い頃の2人の母との思い出が、ひらひらと舞い落ちる花弁のように煌めいていた。
嘘の笑みのまま凍った表情が、溶けて素の顔になる。
「誰も……母親に全てを委ねておらぬ。
この世に生まれ出た瞬間、生死の戦いは始まっている。
物心がついた俺達が進むのは、母親が選んだ安全な道ではない……俺達の選んだ道だ……。
お前も母も……他人の人生を背負い過ぎだ。
仮に他人がそうしろと言ったなら、猶更従う事はない。
……少しはこちら(子供)に任せろ。」
鴇羽は安心したように目を閉じた。
「もし『向こう』で奥方様に会えたら、その言葉、お伝えしますね……。
最後に……、お二人が生まれた時、奥方様がよく仰っていた事を、私からも伝えたいと思います……。
『生まれて来てくれて、ありがとう』と……。」
鴇羽は「ご武運を……」と呟いて溶けた。
残ったのはシジミチョウの羽に似た、小さな鱗の山。




