6話/紅の刃を託して(6/10)
6.
緋寒は彼の自室に運ばれた。
自室と言っても、侍女の部屋と変わらない小さな空き部屋だ。
緋寒は野外で寝ているのであまり使われていない。
緋寒は筵の上に仰向けで眠っていた。
鬼の回復能力で傷はもう元通りに塞がってきていた。
そんな彼の血を拭いたりして世話する鴇羽。
彼女の隣には何やら驚いた顔で後ろを振り返って見ている実鈴と元実、大志摩。
何かを強くひっ叩く音が響く。
「何処まで愚かなんだ!!!お前は……!!!!」
涙を浮かべている白妙。
関緋は不貞腐れたように、赤く腫れた自分の頬を撫でる。
たった今、白妙は関緋を引っ叩いた。
話は少し戻る。
緋寒を部屋に運ぶ際、実鈴は我が子に付き添った。
その直後、関緋がまたやって来たのだ。
信じられない事に、弱った緋寒に「出来損ないが……!」とまだ嫌味を浴びせてきた。
実鈴は聞き流す努力をして、ただ緋寒を励まして見守る。
その時、噂を聞いた白妙が丁度到着したのだった。
白妙は虚しそうに怒りを抑えようと荒い息をする。
「馬鹿だよ、お前……!
確かにお前は子供の頃、親に愛して貰えず、それどころか酷い暴力を振るわれた。
それで緋寒達に嫉妬する気持ちも、誰かを正しく愛し愛される方法が分からないのも理解出来る。
だからと言ってこんな事続けたら、いつか1人ぼっちになってしまうんだぞ!
お前……1人ぼっちは一番嫌いだろ?」
鬱陶しそうにする関緋。
元実と緋寒が生まれてからというもの、白妙の心は既に関緋から遠くなっていた。
それも内心気に食わなかった関緋。
その不満が今ここにきて溢れ出る。
「首を突っ込むな!!
……俺の妻にも母にもなれなかったくせに!!」
険しい顔をして黙る白妙。
彼女の心の傷を深く抉る発言。
彼女は難のある関緋を心から受け入れ愛していたが、病が原因で母になれず、関緋と別れざるをえなかった。
それを考えれば、何があろうとも絶対に言ってはならない一言だった。
事情を知っている実鈴や大志摩は、信じられなそうに「何て事を……」と漏らす。
白妙は関緋の胸に両手を突き、震えながら膝を着いた。
「関緋……お前は親に酷い事をされた時、悲しいと感じると同時に、どうして貰いたかったんだ?」
「……。」
彼は彼女と目を合わせない。
「お前がして貰いたい事を誰かにして貰うために、その方法をちゃんと探したか?
誰かに相談して……!」
「した……!」
「言われた通りに全部やってみたか?上手くいくまで!!」
「した!!でも……叶っていない!
だから憎い……!!!何もせず、無条件に愛される奴らが!!」
関緋は怒りで手を震わせる。
白妙はその手に爪を立てて握った。
「それでも!!過去の傷を言い訳にして逃げるな!!
お前は緋寒や元実を自分と同じ目に遭わせているんだぞ!
辛さが分かるなら、それを絶対に他の誰かに与えるな!」
「そうして己を満たして何が悪い!?」
「……もしも緋寒と元実が将来お前と同じようになったらどうする?!
親のお前から与えられた痛みを自分の子供に与え……、そしてその子供達がまた同じように自分の子供達に痛みを与えたら!?
何処かで終わらせなければ、痛みの連鎖は永遠に続く!
いわば『呪い』なんだよ!!
誰かにそんな重い呪いをかければ、それ相応の報いを受けるだろう!!……頼むから考え直してくれ!!」
関緋は遂に痺れを切らした。
(では誰が俺の心を埋めてくれる……?!緋寒達への憎しみを忘れる程の抱擁を……!
……そんなものはいなかったではないか!)
「分かった口をきくなっ!!!」
関緋は膝で白妙を蹴り飛ばした。
偶然子宮のある下腹部に当たってしまう。
「あぅっ!!」
彼女の苦痛の顔に、関緋は一瞬だけ後悔する。
だがもう遅い。
彼女にとって子宮への蹴りは完全否定の証に感じられただろう。
元実が心配そうに肩を抱く。
「白妙……。平気か?」
関緋は実の我が子と白妙の仲を見て舌打ちした。
そう何度も怒り切れず、踵を返す。
「大志摩!行くぞ!」
しかし、大志摩は返事をしない。渋い顔をして跪いているだけだ。
関緋は唇を噛み、黙って一人で去った。
大志摩は唯一関緋を許してくれる友だ。
そう、彼に見捨てられたら最後。
だが関緋は周り全員への不信から苛立ち、開き直りを選択した。
開き直りは辛い時に心を楽にしてくれる事もある。
しかし、中には開き直ってはならない時、一線を越えてはならないものが存在する。
特に周りの存在を無視するような心の解放の仕方は、ただ孤立を生むだけだ。当たり前の事ではあるが。
その直後か、緋寒の看病をしていた鴇羽が声を上げる。
「ひ、緋寒様!何処へ?!」
振り向くと、丁度緋寒が出窓から飛び出る所だった。
鴇羽が引き戻そうと立ち上がるが、実鈴はそれを止めた。
「いいわ……。行かせてあげて。
もはやあの子にとって、ここにいる方が危険でしょうから……。」
***
緋寒は森まで逃げた。
途中、体を回復させる獲物を捕まえて血肉を食らいながら走る。
もう自分の面倒は自分で見れるようにしている。
辿り着いたのは小川。
緋寒は川に自分の姿を映した。
いつもの冷ややかな真顔を二イっとさせる。
今度は口の端を両手の指で摘まんで左右に引っ張って上げ、もっと大きな笑顔を作る。
笑ってはいるが、覗く牙や、怠そうで無感情な目つきが不気味だ。
心からではない、冷ややかな笑顔。
「ここまで笑えば、きっと父上も怒らないな。」
彼は父の「そのしかめっ面が気に入らない」と言う言葉を気にしていた。
父を恐れてというよりも、不貞腐れて気まぐれでそうしたのかもしれない。
彼は笑みを崩さないように指で口角を上げたまま河原に寝っ転がる。
「それにしても、不意打ちで反撃した時の父上の驚いた顔!!アハハハハ!!」
楽しそうにケラケラ笑う。
笑う事で父から与えられた痛みや恐怖を和らげようとしているのか?
いや、違う。本当に楽しいのだ。
強い酒呑童子の父を一瞬でも翻弄できた。
一人森を駆け回って鍛え、母に技を教わり、その努力が小さくとも結果になったのが嬉しいのだ。
「皆は父上が一番強いという。でも、俺はそうは思えなかった。
母上に気が散って隙だらけだったし。
案外、父上って倒せるんじゃないか?
あの父上に勝てたら……どんな気持ちになれるんだろう?」
彼の瞳孔がキューっと細くなる。
無邪気な鬼の子の顔。
しかしきっと人間には邪気に満ちていると感じられる事だろう。
緋寒は関緋の体を爪で切り刻んで倒すのを想像した。
血を流しながら、緋寒に恐れの表情を向ける父。
その妄想は恨みによる殺意が原因かも知れないが、緋寒の場合、前向きな好奇心が多くを占めていた。
緋寒はワクワクして瞳を輝かせた。
「待っていて!父上!!
俺はもっと強くなるよ……。」
目の前を通った鳥を鷲掴みにして生き血を吸う。
鳥の痛ましい断末魔を聞きながら。
最早、母の為ではない。
自分の喜びの為。
親離れした彼を満たしてくれるもの。それは母の腕ではなく、「戦い」に変わっていた。




