6話/紅の刃を託して(3/10)
3.
次の日。
実鈴は約束の通り、彼にとある技を教えた。
森の中でだらんと構える緋寒。
ふと、一本の巨木が彼に向かって倒れた。
緋寒は素早く地面を蹴った。
鎌で自分の方へ刈り込むような動き。
猫か虎の引っ掻きより速く、木が勝手に3等分に割れて燃えたようにしか見えない。
彼は更にそれらを手刀で連続突き。
木はあっという間におがくずに変わった。
おがくずは風に流れた。
ここまで10秒足らず。
緋寒はこれらをやれた自分が不思議でならなかった。
暫く手の平を見つめる。
(ただあの女から口頭で『手足の爪を揃えて、それを刃に』と言われただけ。それをそのままやっただけだ……。)
一方、後ろから様子を見ていた実鈴。
何かに心が熱く震えている様子。
(思った通り……。
私は泰寒様の技を目で見ていただけで、深くは知らない。
でもあの子は、私が見た目のイメージを抽象的に口で伝えただけでそれを理解し技を出せた。
やはりあの子は、貴方の子です。泰寒様……。)
彼女の脳裏に、爪の斬撃を嵐のように放つ亡き夫の姿が浮かんだ。
音も姿も無く空を斬った彼の頭上から鮮血の雨が降り注ぎ、その血の化粧が彼をより妖しく見せる。
実鈴は夫の死を思い出して悲しい反面、子に彼の一部が受け継がれているのだと分かってとても嬉しかった。
思わず我が子の前で崩れるように跪く。
救いの神か何かのように、心酔した目を向ける。
「母は出来ると信じてました……。
妖術で熱風を爪に纏う、気高い赤鬼の斬撃を……。」
彼女は息子を胸に抱こうとした。
しかし、緋寒はそれをひょいとかわし、母へ蹴りと突きを2撃放つ。
同じくひょいと軽くかわして距離を取る実鈴。
緋寒は彼女を見据えて構えていた。
反抗期で不機嫌なのではなく、闘志を燃やす真剣な表情。
「まだだ!あんたは強い!
俺は最近ずっと、あんたが城に攻め入った人間や鬼と戦って苦戦していなかったのを知っている!」
「つまり?」
「あんたは父上には勝てないが、中程度の強さの鬼になら余裕で勝てるんじゃないか?
でも、そんなあんたに勝てないようじゃ、俺は一生父上に敵わないだろう!
親子という事を忘れ、本気で来い!
まずはあんた……いや、母上を越える!!」
緋寒は手刀と蹴りを交互に繰り出す。
実鈴は袖を揺らし、最小限の動きで息子の攻撃を避ける。
息子に攻撃されてショックかと思いきや、笑みを崩していなかった。
鬼にとって生きていくのに大切なのは『強さ』。
人間ならば『協調』。
鬼ならば強くなる事に貪欲である方が大切なので、彼女は息子の成長を喜んでいるのだ。
「ええ!越えてらっしゃい!
私の可愛い坊や……。」
2人は暫く、その身をぶつけ合った。
緋寒は覚えた技を使い、母に追いすがる。
一方、実鈴は妖術での攻撃を使わず、軽く浮いたりしながら合気道のような柔術で戦った。
緋寒は母に一撃も与えられ無いどころか全く触れられず地面に叩きつけられるが、素早く何度も起き上がる。
彼は母の守りをどう崩そうか、頭をフル回転させた。
焦りが消える程に熱中し、恐らく楽しくなっていたのだろう。
実鈴の方は夢のような心地になっていた。
(子供の頃、泰寒様とよくこうやって稽古をした……。
攫われない為に穴蔵で生活させられていた私を内緒で外へ連れ出し、私を女としてだけではなく、同じ一個人の鬼として接してくれた。)
彼女の脳裏に記憶の中の夫の声が響く。
まだ少年で、緋寒より少し歳が上だった頃だろうか。
『いいぞ実鈴!
ずっと穴蔵にいてイライラしたろ?ここで全部発散しちまえよ。
ほれ!どんどん攻撃してこい!俺が全部受けてやる。』
何度も何度も攻撃を弾き合い、やがて四肢がもつれ、2人は地面に倒れた。
実鈴の上に、偶然泰寒が覆い被さって密着してしまう。
胸と胸が当たり、目と鼻の先に互いの顔がある。
まだ男を知らない子供の実鈴は、胸の鼓動や火照りの意味が分からず、恥ずかしさから顔を背けた。
そんな彼女の顔を、泰寒は鼻と唇で撫でた。
彼女の後ろ首に手を回して髪を梳く。
無抵抗に静かに声を漏らす実鈴を見て、そのまま先へ行くかと思いきや、手を止めて囁く。
『決めた……。
実鈴、大人になったら必ずお前をお嫁さんにする……。
その為に、絶対に強くなって俺が朱華の長になるからな!』
実鈴は過去の思い出に目頭を熱くしながら倒れた。
丁度、緋寒が彼女を地面に転ばしたのだ。
息を切らしてやっと母から一本取った緋寒は、彼女に覆い被さって手刀の爪を彼女の首に当てた。
「やった……!今度こそ俺の勝ちだ!
……って、何だ?そんな顔をして……。」
実鈴は目を細め、起き上がろうともせず、手を耳の方にやって無防備な体を晒している。
緋寒は何故だかむずかゆくなって直ぐに母から離れた。
緋寒は母が起きるのに手を貸す。
「俺に負けたのがそんなに悲しいのか……?」
実鈴は「いいえ」と笑う。
「母は大人になっていく貴方が嬉しいんですよ……。」
「安心しろ……。
早く独り立ちして、あんたが手を焼かないようにする。」
「いえ……。そういう事ではないの。」
「?」
彼女は思った。
(泰寒様は生き続けている。この子の中で……。
この子の姿、前向きな生き方が、いつだって私に希望をくれるの。)
起き上がった実鈴は緋寒を見つめ、彼の汗だくの髪を撫でた。
気まずそうに顔を背ける緋寒。
しかし、彼女に負けておいて尚も突っぱねるのは格好が悪いと悟ったのだろう。触れるのを拒否はしなかった。
「俺の負けだ……。俺の方が汗を多くかいてるし、息が上がっている。」
「いいえ……、よく頑張りましたね。
そこの滝で汗を流してらっしゃい……。」
緋寒は裸になって、近くの滝で汗を流した。
その間、実鈴は彼の服を洗濯し、焚き火で乾かす。
緋寒は母に背を向けて川岸に座る。
服が乾くのを待っていると、実鈴が彼の髪を手櫛で梳き始めた。
「フフ……。髪がこんなに長く……。
長い髪は妖力が強くなってきた証。
切ると力が減って良くないですし、かといって動き回ると邪魔になりますからね。束ねましょうか。」
「好きにしろ……。」
実鈴は息子の髪を撫で、昔を思い出す。
泰寒と互いの髪を手に絡ませ梳き合った、初めての交わりの夜。
緋寒は久しぶりに母の手に触れられ心地良さで思わず微睡んだ。
母が彼の本当の父親に思いを馳せているのを知らず。
実鈴が帰る頃になり、緋寒は珍しく彼女の後ろをついて歩いた。
緋寒は髪の毛先から中間までを緩く三つ編みにされていた。
母が編んだそれを握って、毛先を撫でたりする。
気に入ったのか、少し感心した様子だ。
「それにしても、今日母上が教えてくれたのは自身の技か?今まで一度も戦いで使っていなかった気がするが……。」
実鈴は暫く口を噤む。
振り返らず、我が子にこう伝えた。
「そう……ですね。
昔私が敬い、大切に想っていた方の技ですよ。
もうこの世にはいませんが……。」
暫く歩き、実鈴は「緋寒」と呼んだ。
「何だ?母上。」
彼女は振り返って微笑んだ。
「ずっと、ずっと……長く生き延びてね。私が死んだ後も……。」
緋寒は母の迫るような笑みが不思議でならなかった。
「ああ……。分かっている。
母上も安心して、もう好きな事でもして暮らすと良い。」
その日、緋寒は「母の背中が子供の時よりも小さく見える」とぼんやり考えながら帰った。




