4話/枯れる揺り籠(10/12)
10.
幼い時の、いつの日かの記憶だろうか。
喧嘩に負けた帰り道。
傷だらけの体を震わせ、母と共同の部屋に帰る。
すると今度は母親に叩かれる。
『また朱黒に負けたのか!あの女の子供に!!
……くそう!旦那がそれを口実に、また私を殴るに違いない!』
母親は「勝つまで戻ってくんなよ!!」と、彼を部屋から放り出した。
関緋は血を垂らしながら、力無く彷徨う。
他の朱天鬼達は気まずそうに彼を見て見ぬふりした。
父親の方針で、助けるのを禁じられているのだ。
『助けて……。寒いよ。』
彼は我慢していた涙を流す。
泣くと母に叱られると分かっていても、傷に入って沁みると分かっていても、無駄に体力を消耗すると分かっていても————、止まらない。止まらないのだ。
その時、誰かが呼んだ。
『関緋様……。』
実鈴だった。
目の前には温かく大きな寝床があり、彼女はそこに座って待っていた。
赤ん坊の元実と緋寒をあやしながら微笑んでいる。
着物の破れを修繕するように、彼が悲しい記憶に幸福の記憶を縫い合わせたのだろうか。
関緋は泣きじゃくり、よろけながら走り、彼女の胸に飛び込んだ。
元実と緋寒の姿が消え、彼女と彼だけになる。
実鈴は穏やかな眼差しを向け、震える彼の頭や背中を撫でた。
真っ白な手ぬぐいと手桶を用意し、彼の血を拭く。
彼女は彼を抱いて寝かしつける。
『酒呑童子になるまでも、なった後も、ひたすら沢山戦って疲れましたね。
大丈夫ですよ……。
私はずっと側に居ます。』
関緋は彼女の髪を握り、顔を胸元に埋めながらしっかり抱き付いて眠った。
一方、現実の世界では——。
関緋は目の光を失って動かない。
「か、関緋様!」
実鈴は彼を気遣いながら、子供達の方を横目で見る。
元実達は朱黒達に踏まれないよう、安全な壁際に移動していた。
元実が緋寒を引きずりながら這ったようだ。
2人とも朦朧としている。
(出血が酷くて自分で回復が出来なくなっている……早く血を与えてあげないと……!
しかし、朱黒を倒さねば何も出来ない。
この場で戦えるのはもう関緋様だけ。なのに……。)
『実鈴が全て』の関緋だ。
彼女が関緋を必死で呼べば、きっと彼は手足を失ってでもこの盤面をひっくり返し、彼女を救い出そうとするだろう。
死にかけの老馬に餌を見せびらかし、尻を叩いて走らせるようなものだ。
褒められた事ではない。
だが、相手は昔の夫を殺した相手であり、癇癪を起こして大事な子供達を傷付けた男だ。
利用しようが心を痛める必要はない。
しかし、実鈴は躊躇った。
(また、騙すの……?
因縁があるとはいえ、脇目も振らず助けに来てくれたのに。
私が捧げてきた嘘の愛を、本物だと信じて……。
嘘を……『罪』を重ねれば、いずれ報いがある——。)
迷っている間に、子供達は失血と酸欠でピクリとも動かなくなっていく。
実鈴は甘い考えを消し去った。
眼光で黒目が消える。
(愛するあの子達の為ならば……殿方を色目で犬のように従わすような『悪女』にもなりましょう。)
彼女はただの母ではない。
『鬼母』だ。
彼女は息を吸った。
「立って!!関緋さまあ!!死んじゃ嫌ぁ!関緋様ぁああああああーーーー!!!!」
嘘の激励。
『実……鈴。』
意識を取り戻す関緋。
妻の叫びが走馬灯を掻き消す。
(俺だけの……————!!!!)
関緋は立ち上がり、朱黒にぶつかって行った。
頭の角を敵の心の腑(心臓)に向けて。
硬いもの同士がぶつかる轟音と、辺りの炎を薙ぐ程の衝撃波。
関緋の角を朱黒の爪が弾いたのだ。
「尻軽女めぇ!!余計な事を!」
関緋は何度も角を振りかざす。
朱黒も何度も受け止めるが、爪はボロボロになっていく。
(受けるしか出来ない程の速さ!俺を倒した時の関緋だ……!
だが!)
朱黒は目の前に握った実鈴を突き付けた。
勝ち誇った顔をする。
しかし、関緋は止まらない。
実鈴ごと朱黒を強く抱いた。
朱黒の背中に突き刺さる両手の爪。
そして首を曲げ、角を突き通す。
それは彼女の横スレスレを通り、朱黒の喉に刺さった。
「ングっ!!」
鬼の角が高温で緋色に染まり、発火して相手の頭を焼く。
もがき苦しみ、言葉を失う朱黒。
洞窟に響く低音が軋むような断末魔。
関緋は痙攣する相手の背中の肉を力任せに全部剥いだ。
実鈴を握った相手の腕を引っこ抜くと、それを腹に抱えたまま、口だけで相手の肉を全部噛み千切って吐き出す。
最後に残ったのは、潰された大量の果実のような粘つく赤いペースト状の何かと、まだ血肉がこびりついた化け物の骨。
関緋は腕から実鈴を解放してやると、元の人間のような姿に戻ってしまった。
関緋は裸の彼女に這い寄り、噛み締めるように胸に抱いた。彼女の骨が軋む程に。
「実鈴……良かった……。
だが、お前は……汚されてしまった。」
「関緋……様。
よく頑張りましたね。」
実鈴は早く子供達の所に行って血を与えたかったが、それを堪える。
目の前で嗚咽する鬼王の姿に、頭を撫でて抱擁仕返すしか無かった。
後ろめたさを胸に。




