3話/貴方の良き妻に(6/8)
6.
数日後、侍女の鴇羽が実鈴に『その時』を告げる。
とても心苦しそうだ。
「奥方様、先程戦から関緋様がお帰りになって、お会いしたいと……。
『こちらから向かえに行く』だそうです。」
(この時がやってきた……。)
手が震え出す実鈴。
それは丁度腕に抱いた元実にも伝わり、彼も同じように怯え出す。
一方、緋寒は何も分かっておらず、実鈴の顔を不思議そうに覗き込む。
「ははうえ?さむい?」
彼女の手を自分の両手で包んで、その上頬も寄せて温める。
彼女はその姿を見て冷静になる。
(関緋様を拒めば、またこの子達が巻き添えに。
特に、実子でない緋寒はもっと酷い目に遭う……。
私が……戦わなきゃ……。)
実鈴は鴇羽に告げる。
「自分から関緋様にお会いします……。」
「奥方様……」と鴇羽。
「お供します!私は……緋寒様が怪我をされた時、何も出来なかった事を悔いております……。」
「いいえ、貴方は悪くないわ。
貴方はただの侍女で、関緋様には逆らえない
それよりも子供達をお願い……。」
実鈴は子供達を椅子に座らせると、しゃがんで目を合わせた。いつも2人を寝かしつける時の優しい顔。
「ちょっと、父上の所に行ってきますからね。
お利口にしているのですよ。」
別れ際に2人を抱き、彼らの頬に自分の頬を合わせる。
行く前に彼女は化粧をした。
筆で唇やアイラインに色を付け、軽く白粉をし、角先にも色を塗る。
髪も丁寧に梳いて艷やかにし、着物には香を焚いて甘い香りを移す。
柔和な母の顔から、艶っぽい女へ。
今の彼女には戦化粧とも言える。
彼女は案内されて、関緋の寝床に向かった。
族長らしい大きめの部屋。
装飾は金、石畳や柱は翡翠の硬玉で作られており豪華だ。
奥には鬼サイズの大きな寝台。人間8人が同時に寝れそうだ。
待つように言われ、寝台に腰掛ける。
程なくして、甲冑の靴音が近付く。
(来た!!)
手に汗を流す実鈴。
姿を現す戦帰りの関緋。
例によって返り血は洗い流してない。
彼は泣きそうな顔で彼女に歩み寄る。
巨体に影を落とされ、実鈴は寝台の隅へ逃げ出したくなる。
目を合わせられない。
子供を授かる前、この巨体が覆い被さってきたのを思い出してしまっていた。
力任せに手足の自由を奪い、望まない愛撫でをして、彼女が痛がるのに気付かないまま事を終えた。
記憶から消え去って欲しい秘め事。
彼女は「来ないで!」と叫びそうになった。
しかし、子供達の顔を思い出して、奥歯を噛む。
(他に誰があの子達を守るの?
一緒に怯えて泣いて、そしてあの子達が傷付く姿を見て泣いているだけなの?!)
一方、関緋は自分を嫌っていた彼女が、先に自分の部屋に来てると聞いて困惑していた。
(憎しみのあまり、俺を罵倒しに来たのか?
いずれにせよ、大志摩が言うようにしてみるしかない。)
彼は彼女の膝下に跪いた。
反射的にビクッとする実鈴。
関緋は恭しくこうべを垂れる。
「実鈴……すまなかった。
子供に手を上げた事を侘びさせてくれ……。」
跪いても小さくならない巨体なのだが、落ち込む顔のせいで背中がやけに小さく感じられる。
母親に叱られるのを待つ子供のようでもある。
それを見て実鈴の恐怖心が少し薄くなる。
(おかしな方……。
何故いつも血を拭かずに会いにくるの?相手が怖がるって気遣えないのかしら?
それに謝罪も……どうして暴力を振るったのかとか、二度ともうしないとか、もう一言あってもいいと思うのだけど……。)
しかし、それは口に出さなかった。
白妙の助言をもう一度思い出す。
『お前が逃げて怖がればアイツは焦り、力加減もままならなくなる。
最悪、頭に血が上って何をするか分からん。
しかし、お前が自分から寄り添えば、きっと素直になる。
……それが“嘘の愛情表現”であっても。』
実鈴は意を決し、彼の頬にそっと触れた。白い肌が血で汚れる。
関緋は彼女に触れられ、ビクッとする。
実鈴は薄目で微笑んでいた。
「よく、謝ってくれましたね……。」
野花をくすぐる、そよ風のような囁き声。
薄目なのは恐怖から彼を直視出来ないせいなのだが、関緋にはそれが賢母の表情に見えていた。
「俺を……許してくれるのか……?」
縋るように彼女を見る。
彼女は先に心の中で答える。憎悪を込めて。
(許すものか……!
泰寒様の事も、私を無理矢理抱いた事も、子供の事も、一言で簡単に許す程単純だと思っているの?
馬鹿にしないで……!!)
金切り声として聞こえそうな心の叫び。
だが、口ではこう答えた。穏やかな笑顔で。
「ええ……。
ですが、もうあの子達に手を出さないでくださいね……。
お願いです……。関緋様。」
実鈴は前屈みになって彼の頭を両腕で包み、首元に頬を寄せる。
「じ!……つ……りん……。」
関緋は彼女の髪や襟元から香る甘い香りを吸い込むと、力が抜けたようになってしまった。
強い酒に酔ったように顔を熱くして、微睡の顔になる。
「……分かった。もうしない。」
「約束……ですよ。」
彼の頬から顎をするりと撫でる。
関緋は恐る恐る彼女の背中に手を回した。
彼が彼女を抱き締めた際、実鈴の白い着物に返り血が滲む。
実鈴は黙って腕に抱かれた。
酷く無感情な顔になっていた。
閉じた瞼の下の目は淀みのような重い色。
顔を合わせていないので、関緋がそれに気付く事はない。
(白妙様の仰る通り。
嘘でも……こうすれば、こうも簡単に大人しくなるなんて。
……愚かな方。)
一方、関緋は彼女の温もりに酔いしれていた。
(実鈴が俺を許した……。
これ程嬉しい事は無い……。)
長く苦しい嵐の後に、重い暗雲が晴れていくような清々しさ。
勿論、急に素直になった彼女に多少の違和感は過ったが、今の隙だらけの彼では、気に留めて問い詰めるまでには至らなかった。
体ばかりの幼い男である。




