2話/御子守(みごもり) (6/8)
6.
関緋は身を清め、ゆったりとした着物に着替えた。
大志摩の助言を胸に、実鈴の牢屋へ向かう。
(『何があっても怒ってはならない……』か。
戦では怒りが力だ。
どうしてもその癖が抜けん……。)
関緋は鴇羽を追い払うと、2人きりになった。
実鈴は体調不良を理由に、手足の拘束を解かれていた。
寝台に横になっている。
まだ食事を断っているのか、顔は以前よりもやつれていた。
顔にかかった髪と、髪の間からチラッと見える怠そうな目。
顔の横に置いた手。
体に力が入らず、ぐったりとした体勢。
腕から腰、足先までの曲線が美しい。
(な……んと……!)
関緋はあろう事か弱っている彼女に劣情を抱いてしまった。
弱った獲物は直ぐに仕留められる上、手間をかけずに食せる。
彼は今すぐ力任せに抱きたいのを堪え、側の椅子に座った。
実鈴は彼に気付いてビクッとする。
(嫌……こ、ないで……。)
「姫……。いや、『実鈴』というのだな。良い響きの名だ。
この前はすまなかった……。
ただ、怪我をさせなくて良かったとホッとしている。」
飢餓と恐怖で体が動かない実鈴。
(逃げた……い。けど、体が重……い。)
「実鈴よ……。まずは何か食べてくれぬか?
俺はそんなに弱ったお前を見たくない……。」
彼は机の上にある血の入った器を手に取り、彼女の口元に持って行く。
実鈴は顔を逸らして拒否する。
思わず、眉間に皺を寄せる関緋。
しかし、堪えてぎこちない笑みを作る。
女に媚びへつらう、鬼王にあるまじき情けない姿。
「侍女や大志摩から聞いた……。
あの『泰寒』という長は、お前の夫だったそうだな?」
「!!!!」
初めて関緋と目を合わせる実鈴。
彼女の必死な表情に、関緋は眉をヒクッと痙攣させる。
(話は本当のようだな……。)
彼は続ける。
「奴の事は大志摩がとてもよく褒めていた。
『体を半分食われようとも、死んだ後も相手の首に絡み付いていた。
一族を守る長の鏡だ』と。」
実鈴は思わず涙を溢れさせた。
彼の最期の姿を思い出した途端、嗚咽が止まらなくなる。
(泰寒様……!
ボロボロになるまで私達の為に戦ってくれた!
今すぐ会いたいっ……!『頑張りましたね。ありがとう』と、その体を抱き締めてさしあげたい……!)
頬を染めた、男を想う女の顔。
「ああ……あああ……!……い、一緒……に……逝きたかった……。1人に……しないで……欲しかった!泰寒様ぁ……!」
関緋に言っているのではない。極度の疲労で一番強く望んだ言葉が自然と零れる。
だがそれは関緋の心を逆撫でした。
(何故そんなにも……。そんなにも強くそいつの事を……!?)
堪えて「その男を愛していたのだな」と合わせるつもりが、その理性は飛んでいた。
(違う……!そいつ(泰寒)を見るな!
お前は……俺 だ け の 女 だ っっっ!!!!!!)
彼は嘲笑った。
「ハッ!!愚かな!!
一緒に逝く……?負けた男に何故そこまでしてやるのだ……?!」
「っ!!」
キッと睨む実鈴。
「俺に……、そんな目を向けるなぁっっっ!!」
彼女の頬を鷲掴みし、無理矢理引き寄せる。
完全に血が上っている。
「愚かな女が!何故そんな男と一緒に死ぬ必要がある?!好いた女と一族を守れない弱い男の為に!」
実鈴は怒鳴られながらも牙を見せた。
「貴方などにはきっと分からないでしょうね!
あの方だけが私を理解してくれた!あのような方とは、もう2度と出会えない……。
んっ!あぅっ!!」
関緋は彼女の口を掴んで塞ぐ。
「そんな舐め合いに何の意味がある!?
負け死んだ者は何もできん!生者の生きる道を縛るだけだ!!
現に奴(泰寒)はお前を感情的にさせて死へ導こうとしている!」
「んん!!(放して!!)」
「俺には力がある!それも酒呑童子と呼ばれるだけの!
俺の力にひれ伏した鬼は数知れない!
その力でお前を全ての脅威から守り、満足な暮らしをさせてやれる!!
奴と違ってな!
それでもお前は奴を諦めないのか?!」
「強くならぬなら、死ね」と母に蹴られて育った関緋。
それ故、彼にとって強さは絶対。
苦しんで必死に強くなった身からして、弱い者が勝たずに良い思いをするのがどうしようもなく許せないのだ。
自分の理不尽な苦しみを嘲笑われているようで。
しかしそれは一方的な考えの押し付け。実鈴が納得する訳ない。
「怒ったのなら早く私を殺しなさい……!
私は……あの方の元へ逝く!泰寒様との思い出が詰まった、綺麗な心のままで……!」
関緋は吠え狂い、実鈴に血を飲ませようとする。
「飲めっっっ!!!飢え死にでそんな男の後を追わせるか!」
肩を掴んで上体を起こさせ、片手で顎をこじ開け、口に血を流し込む。
「ガボっ!!ぃや!!」
むせて吐いてしまう実鈴。
口から溢れた血が色白の頬を赤で汚す。
「……世話のかかる!」
関緋は自分の腕を噛んで血を吸い、口に含む。
そして暴れる彼女を抱き上げ、強く抱き締めると……――、
深く口付けした。
凍り付く実鈴。
目の前の現実から逃げるように、目を固く閉じる。
(やめて……こんなのっっっ!!!!)
彼は口移しで血を流し込む。
今度は彼女がむせても彼の唇が蓋をするので吐けない。
彼女の暴れる舌や、唇、体の感触、拒否の声、乱れる襟元。
彼はそれらに刺激された。
ある邪念に満ちた発想を浮かべる。
(そうだ……新しく塗り替えて過去を忘れさせれば……!
実鈴を生かし、前に進ませる為の行いだ……。
彼女の為を思っての事だ……!
俺の想いの強さに、きっと彼女も理解する……!)
それは都合の良い言い訳だった。
自分の劣情を正当化する為の、悪しき思考回路。
関緋は彼女を寝台に寝かせ、覆い被さる。
実鈴はそれからの事をよく覚えていない。
いや、「記憶しないように必死だった」が正しい。
嵐の中で、泰寒との思い出だけが彼女の心の拠り所になる。
(泰寒様との、初めての口付け……。
そして、優しく私の体を包んでくれた時の事も……。終わってから髪を梳いてくれた事も……。
あの時は本当に幸せだった。
願いが叶って、嬉しくて、「ずっと、このままでいたい」と思えた。
それが、消える……消えてしまう。)
心が踏み荒らされて砕けていくのが目に見えそうだった。
どれ位の長い嵐だったろうか。
彼女はやっと解放された。
天井を凝視する、動かない瞳。
あらゆる痛みや気怠さが、立ち上がる気力を奪っている。
体の震えは止まらない。
関緋は満たされていなかった。代わりにあるのは罪悪感。
(何故だ……。あれだけの想いがあったというに。)
振り返ると、実鈴が寝転がったまま彼を見ていた。
泥沼のような暗い瞳。
呪詛でも唱えたげな半開きの唇。
結び目が解けて、寝台中に乱れて広がった髪。
「いつか殺してやる」と、聞こえてきそうだった。
関緋は彼女の恨めしそうな顔を見て見ぬふりした。
今の彼女の気持ちを考えるのが怖かったからだ。
何故そうなる前に止まれなかったのか?
その自問自答も無視して去る。
***
その後、実鈴は牢屋の天井を見つめ、死んだように過ごした。
(泰寒様……。
私は綺麗ではなくなってしまいました……。
お願いです……私をそちらへ連れて逝っていただけませんか?
昔、私を穴蔵から連れ出してくださった時のように……。)
手を伸ばしても、そこに優しい手の平はない。
泣きたくても、涙は既に枯れていた。
関緋はあれからやって来なかった。
それから数十日後。
彼女は体調を崩す。
城の医師が実鈴の前でひれ伏す。
「腹に小さな気配を2つ感じます。
……『御子』を、宿しております。」




