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しばらくすると、抜けるような青空の下に、白い鳥がひとすじの旋回を描いてエリーナの離れへ舞い降りた。
足に結ばれた手紙を受け取ると、エリーナはその鳥を再び空へと放つ。
鳥は来たときと同じように旋回しながら、役目を終えて街の方角へと消えていった。
マチルダからの「準備が整った」との連絡だった。
「・・・それじゃあ、次は私の番ね」
エリーナは空を見上げ、「今日は洗濯日和だなぁ」と思いながら、洗濯場へと歩き出した。
夜になると、城の近くに建つ白亜の屋敷は賑わいを見せていた。
今日はバリュー侯爵家の長男であり、次期侯爵と目されるカインの結婚祝いの夜会が開かれている。
バリュー家には二人の息子がおり、次男のイアンもまた、まもなく伯爵家に婿入りするというのはよく知られた話だ。
夜会も中盤に差し掛かり、会場の熱気が高まる中、本日の賓客が姿を現すと、その熱はさらに高まった。
「サーシャ・フォンベルク王女のご到着です!!」
扉が開かれ、シャンデリアの輝きにも劣らぬ二人が姿を見せる。
一人は、先日成人を迎えたばかりの赤髪にアイスブルーの瞳を持つサーシャ姫。
もう一人は・・・・・
「キャァッーーーー!エリアス様よ!!」
「今日ここに来られるなんて聞いていないわ!!」
「なんてラッキーなの!?」
「ああ・・・今日も麗しい・・・・」
「ああ、私もサーシャ王女殿下のようにエリアス様にエスコートされたい・・・・」
女性たちの熱狂が最高潮に達する中、サーシャはエリアスにエスコートされ、ゆっくりと会場に入っていく。
「相変わらず、すごい人気だなエリアス」
「ありがたいことに・・・」
「人気すぎて、エスコートされるこちらが身の危険を感じるぞ」
「万が一何かありましても、私がお守りいたしますよ」
エリアスが色気を帯びた微笑みを浮かべサーシャに目をやると、それを見た令嬢たちが、また数人、音を立てて崩れた。
サーシャはそれを横目で見ながら、歩調を緩めることなく進む。
「まったく、こと女性に関しては、エリアスは歩く凶器だな」
「そんなことはありませんよ。サーシャ姫の美しさにやられただけでは?」
ふっと口角をあげて、サーシャにウインクすると、また近くの令嬢が倒れる音が聞こえる。
「ほらな。エリアス、死人が出る前にやめろ」
「はは、悪ふざけがすぎましたか・・・それより、今日は私の願いを聞いていただきありがとうございます」
「いや、楽しいからよい」
「本日のこの夜会にどうしても出席したかったので助かりました」
声を少し落とすと、エリアスはすぐ真面目な表情を見せる。
「今夜は、相手の懐に入るか、もしくは対象に近しい人物から話を聞ければと考えています」
二人は会場の奥、バリュー侯爵家の面々が集う一角へと向かった。
そこには侯爵夫妻、長男のカイン、そして新たに夫人となったホーリーの姿がある。
「サーシャ王女殿下! 本日はカインのための夜会にご臨席賜り、まことに光栄にございます!」
王族の来訪に興奮を隠せぬ侯爵は、大声で喜びを表す。
その様子は、王族が夜会に来たことを周囲に見せびらかしているようにも見える。
「私が成人して、初めてのおめでたい夜会だったからな。来てみたかったんだ。カイン、ホーリー夫人、おめでとう」
カインとホーリーは慌てて礼を取った。
「サーシャ様、本日はわざわざ足を運んでくださり、大変光栄です。ごゆっくり楽しんでいただければ幸いです」
「今日は、エスコートに私の友人のエリアスを伴わせてもらった。エリアス・・・」
「バリュー侯爵様、アリス様、カイン様、ホーリー様。ご結婚、誠におめでとうございます。・・・カイン様、よろしければ後ほど、ホーリー様をダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか?」
カインは横にいる、目を輝かせる妻を一瞥し、苦々しい表情を浮かべながらも、サーシャの手前、申し出を受け入れざるを得なかった。
「お噂のエリアス様からの申し出、ありがたくお受けします。一曲だけ・・・ホーリーと踊ってください」
本音では、妻が他の男と楽しそうに踊るなど見たくはなかっただろうが、ここは侯爵家の体面を優先したのだ。バリュー侯爵家の長男は、なかなかに老獪な性格のようだ。
一方ホーリーは、隠しきれぬ笑みを浮かべている。
「では侯爵、今夜は存分に楽しませてもらうぞ」
「はい、サーシャ様、ぜひお楽しみください!精一杯おもてなしさせていただきますので、何なりとお申し付けを」
侯爵は、王族の来訪と、話題のエリアスが息子の嫁と踊るという事実にすっかり上機嫌だ。
明日の新聞が華々しく飾られるのは、もはや目に見えている。
来賓席へと案内されたサーシャとエリアス。。
「エリアス、わざわざ踊らずともよかったのではないか?」
「いえ、ホーリー様が、一番喋ってくれそうでしたからね。ダンスなら有意義なおしゃべりが長くできます」
「エリアス、お前はなかなかに非情だな」
「どうしてです?」
「新婚の女性が、お前のような男と踊ったら、夫が霞んで見えてしまうぞ。これからのカインが大変だ」
エリアスは、「まさか」と言って笑っているが、サーシャはエリアスが思っているより、何百倍も女性たちの目が本気である事を知っていた。
「エリアスには呆れるが・・・せっかく来たのだから、私とも一曲踊ろう」
「はい、サーシャ姫、お手を」
サーシャとエリアスは、注目される中ホールに進んで行った。