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エルビナは、馬車の中でこれからのことをあれこれ考えながら、宿に到着した。
馬車を降りると、マチルダが駆け寄ってくる。
「エルビナ様、お客様が見えております」
「お客様?」
「はい、あの方が・・・」
「・・・やだ、また?なんで私がここにいるってわかるのかしら?」
二人して首をかしげる。
「仕方ないわね。本当は時間もないから早く帰りたいんだけど・・・」
ため息まじりに、エルビナは宿の中へと足を踏み入れる。
「マチルダ、お茶は出している?」
「もちろんです」
自室の扉を開けると、ソファには男がひとり、悠々と菓子をつまんでいた。
「殿下・・・また抜け出してきたのですか?」
「エリーナ・・いや、今はエルビナだったか。今日も国一番の美貌だな」
にっこり笑うその男は、この国の騎士団長にして第二王子・・・いや、第二王子にして騎士団長と言ったほうが正しいかもしれない。
カミーユ・フォンベルク。
スカイブルーの瞳に金髪、高身長でほどよく鍛えられた体つき。剣技大会では常に女性たちの黄色い声を独占する美丈夫。
・・・にもかかわらず、遊び人で職務からは逃げまくる残念な性格の持ち主である。
しかも妙に勘が鋭く、エリーナが身分を隠して“エルビナ”として街に出てくるたび、なぜか目の前に現れる。
正直、エリーナはこの気ままな王子に割く時間がもったいないと、いつも思っている。
「本日はどうなさったのですか?」
「いや、お前を見かけたと聞いてな。その美しい姿を拝みに来ただけだ」
また菓子をつまみつつ、ニヤリと笑う。
「では、もう私の姿はご覧になったので、そろそろお帰りになられては?」
「そんな冷たいことを言うな。昔馴染みの仲じゃないか。ここで一緒にお茶でも・・・・」
にこにこと悪びれもせず誘ってくる。
「殿下、いくら昔馴染みとはいえ、常識は大切です。いつも申し上げておりますが、誘いもせずに勝手に部屋へ上がりこむのはいかがなものかと。しかも、勝手に飲み食いまでするなんて、呆れます」
「エリーナ、相変わらず手厳しいなあいつも手厳しいな」
「殿下には、はっきり言わないとわからないでしょう?なので、言わせていただきますが、ここは城ではありません。勝手に来られて寛がれても困ります」
はっきりと告げると、殿下はまるで自分のことではないかのように笑っていた。
「はははっ! そんな口を利くのは、お前くらいだよ。やっぱりお前は面白いな」
まったく反省の気配がない殿下に、エリーナはぐるりと目を回して呆れ返る。
エリーナとカミーユの付き合いは、幼いころから始まった。
カミーユの母・王妃セリナと、エリーナの母・エミリアは同郷の幼馴染で、二人もまた子どもの頃からよく一緒に遊んでいた。
今でもこうして軽口を叩けるのは、その名残でもある。
だからこそ、カミーユはエリーナの秘密の生活を知る、数少ない存在でもあった。
「とにかく、私はもう帰ります。殿下も用が済んだなら、お城にお戻りください」
「え?もう帰るのか?送って行こうか?」
「いいえ、結構ですわ」
扉のほうに手を振って帰るよう促す。
「う〜ん・・・前から言ってるんだけど、あんな家に帰るんじゃなくて、俺と一緒に城にくればいい。遠慮があるなら、結婚してくれてもいいんだぞ」
相変わらず適当な事を・・・・
「私はこの生活が性に合っております。エリーナとしての暮らしは隠れ蓑になり、エルビナとしての活動は、令嬢がお金を稼ぐには打ってつけです。まあ、そういうわけで、不便は感じておりませんので、ご心配なく」
「結構本気なんだが?」
カミーユはなんともいえない顔をしてため息をついている。
「殿下、お迎えが参りました」
タイミングよく、マチルダが部屋へ顔を出す。
「迎え?」
「はい。剣聖のラグザ様が、表にいらっしゃいます」
「ラグザ・・・」
カミーユの顔色が変わるのは、この日が初めてだった。
ラグザ・フォンベルク。
剣聖と呼ばれ、王弟にして近隣諸国にも名を轟かす剣の達人。
かつては騎士団長を務めていたが、長年片思いしていたサラサ夫人とようやく結婚したのを機に、さくっと団長職をカミーユに譲り、あっさり退団。
今は騎士団の教育係の教官として「地獄の大鬼」などと恐れられているらしい。
顔を青くして固まるカミーユを見て、エリーナはくすりと笑う。
「殿下、ラグザ様がお迎えに来られたのです。早く行って差し上げてくださいませ」
「エリーナ、お前を愛している! 俺がここにいたことはラグザには内緒だぞ! ではまた!」
叫びながら、カミーユは窓から飛び出していった。
呆れて首を横に振るエリーナ。
「無駄なことを・・・・」
二階の窓から下を覗くと、すでにラグザ様が回り込んでおり、カミーユをしっかり確保しているのが見えた。
こちらに気づいたラグザ様は、軽く右手を挙げて挨拶すると、そのままカミーユを引きずって夜の街へと消えていった。
「さすがラグザ様。逃げられるはずないわよね」
エリーナはふっと笑うと、マチルダに声をかける。
「それじゃ、マチルダ。私も帰るわ。あとでお願いしたいことがあるから、手紙を送るわね」
「はい、かしこまりました。お気をつけて」
エリーナは、優雅に従業員たちに手を振りながら、オーランド亭をあとにした。