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「そうそう、それでね、エリーナから預かった、あの、リオン国の王女様からの贈り物だけど‥‥‥あれ、かなりすごい土地だったわ」
リリエラがふと思い出したように話し出す。
「すごいとは‥‥‥?」
「リオン国の南にあるアソシエール領という領地なんだけど、そこには金の採れる鉱山がひとつあるの。それに、気候にも恵まれていて、領民は小麦を栽培しているらしいのよ。その小麦がまた上質で、アソシエール産として高値で取引されているの。二年前、そこを治めていた伯爵が病に倒れて、独身だったこともあって、領地を国に返還したそうよ。そして今回、その土地がエリーナに譲渡されたというわけ」
ノワールは話を聞きながら、感心したようにエリーナを見た。
「それは‥‥‥すごいな。どうしてそんな経緯になったんだい?」
「うーん‥‥‥仕事で色々とあって?」
「なるほど、そこは、守秘義務か」
「ええ、そんなところ。でもね、正直なところ、そんな大層なもの、貰っても困るのよ。強制的に受け取らなきゃいけない状況で‥‥‥」
「エリーナは、欲しくないの?かなりの財産になりそうだけど」
皮目を香ばしく焼き上げた魚料理を切り分けながら、エリーナは首をかしげてノワールを見る。
「うん、確かにお金にはなると思う。でも、領地の管理って、そう単純な話じゃないわ。自分のことだけじゃ済まないし、領民の暮らしにも責任が生まれる。今の私は、そんな責任を担える器じゃないわ」
ノワールは、ふんわり焼き上げられた白パンに手を伸ばし、一口分をちぎって口する。
「‥‥‥すごい贈り物だね、ほんとに」
「そうなのよ‥‥‥」
エリーナが肩を落としていると、叔母が穏やかに提案する。
「まあ、とりあえずは、うちから管理できる人を派遣するにして、名義だけはエルビナからエリーナに譲渡の手続きをしておきましょう。書類は私のほうで進めておくから、それでいいかしら?」
「叔母様、ありがとうございます」
「可愛い娘のためですもの。なんてことないわ」
そのまま食事はお開きとなり、パドレスは「先に失礼するよ」とウキウキした様子で、本を大切そうに抱えて自分の書斎へと引きこもっていった。
「あ、エリーナ。明日の予定なんだけど、何か考えているのかしら?」
「午前中はゆっくり過ごそうと思っています。午後はまだ未定です」
「ちょうどいいわ。午後、ご婦人たちと、ここでお茶会を開く予定なの。参加しない?ユラナス・ハインド侯爵の話が聞けるかもしれないわよ」
「それはありがたいです。叔母様、エリーナとして参加したほうがいいでしょうか?」
「そうねぇ‥‥‥エリーナは、あまり人前に出したくないのよね?」
「はい。今回は仕事で来ているので、あまり目立たないほうがいいと思っています」
「わかったわ。じゃあ、エリアスとして参加なさい」
「えっ? いいんですか?ご婦人のお茶会なのに、男性の姿で参加しても?」
「いいのよ。前回、エリアスが夜会に顔を出したあと、こっちの社交界は大騒ぎだったの。エリアスはどこに住んでいるのか、どうすれば連絡が取れるのかって‥‥‥。私の謎の親戚はセンセーショナルに登場して、颯爽と去って行ったから、いまだに伝説扱いされているのよ。リオン王国に留学中って説明してあるから、ちょっと帰省したってことにすれば自然でしょう? まあ‥‥‥別の意味で騒ぎになる可能性もあるけど」
「‥‥‥ああ、ノワールも参加しなさいね?」
「え?僕もそのお茶会に参加しなきゃいけないんですか?」
「当然でしょう?エリアスの正体がバレないよう、しっかりフォローしてちょうだい」
「‥‥‥まいったな。まさか、また、お茶会に参加することになるとは‥‥‥」
「また‥‥‥?」
ノワールが、うんざりした顔でつぶやいた。
「‥‥‥また、あんな目に遭うのか。母上、前回のこと覚えているでしょう?」
「ええ、もちろん。忘れられるわけないじゃない。あのお茶会、あなた、まるで商会に並ぶ希少な商品みたいだったもの」
「商品って‥‥‥」
「だって、面白かったのよエリーナ。ノワールが席に着いた途端によ?会場の半数以上がノワールににじり寄って来るのよ、奥様方が『うちの娘、ピアノも嗜むんですの』とか、『貴族院では優等生でして』とか」
「‥‥‥まるで賑やかな市場だったな」
「本当、あなたのこと『ノワール様は、優秀で顔もよくて、リリエラ様のご子息なら間違いない』って、それはもう、こぞって売り込んできたわ。中には『娘を今すぐ呼びましょう』って人までいたじゃない」
「いましたね‥‥‥しかも、本当に呼んだ人もいた‥‥‥」
「そうそう、赤いドレスの子。ちょっとしたファッションショーみたいに登場してきて。ノワールが笑顔で挨拶したら、もうその場の空気が溜息だらけで‥‥‥あれはノワールが悪かったわね」
「悪かったって‥‥‥。普通、挨拶くらいはしますよ」
横で聞いていたエリーナは、叔母と従弟のやりとりに、堪えきれずクスクスと笑っている。
「それでね、皆が帰る頃には『ご婚約の予定は?』とか、ノワールが『いつ頃、公爵を継ぐのか?』とか、質問攻め。しまいには、『うちの家系図、お渡ししても?』って‥‥‥さすがにあれは、私もちょっと動揺したわよ」
「母上‥‥‥そのとき、大笑いしてましたよね?」
「もちろん。可愛い息子が、あんなに引っ張りだこだったんですもの。誇らしくって、笑いが止まらなかったわ」
「苦しんでた息子をよくそんな‥‥‥」
「でも安心して。今回は、そういう『花嫁売り込みの会』じゃないわ。あくまで情報交換と親睦の場よ。メンバーもちゃんと選ばれた方ばかりだし」
「エリアスが参加する時点で、平和に終わる気がまったくしないんですけど‥‥‥」
「ふふ、じゃあ今回はふたりとも『婚約者がもういる』って言っとく? 誰か名前をでっち上げておこうかしら。『遠方にいる許嫁』とか」
「母上、楽しんでますね‥‥‥。それ、むしろ余計に興味を煽るパターンですから、やめてください」
「ふふふ、エリアスとノワールに挟まれて座ったときの、周りの反応が今から楽しみだわ!」
「母上が一番楽しんでるますよね、それ」
「当然じゃない。社交界なんて、楽しんだ者勝ちよ?」
そんなやり取りに、だんだんエリーナは不安げになっていく。
「エリーナ、大丈夫よ。そうなったらそうなったで、きっとノワールが自分を犠牲にして助けてくれるわ」
「そうならないように、母上がしてください!」
「‥‥‥ノワール、そうなったら私を助けて、お願いね?」
「エリーナまで、僕を犠牲にしようとしてない?‥‥‥まあ、どうしようもなくなったら逃げるけどね」
「‥‥‥さあ、話はその辺で。そろそろ部屋に行きましょうか。明日も忙しくなるかもしれないから、それぞれゆっくり休んでおきましょう」
そう言って、リリエラは口元に笑みを浮かべたまま、ダイニングの出口へと歩いていった。
その晩、エリーナはベッドに横たわると、気絶するように深い眠りに落ちていった。




