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「わあ〜!」
店内に足を踏み入れた瞬間、エリーナの口から年相応の感嘆がこぼれた。
華美すぎず、けれど洗練された内装。
淡いアイボリーと木目の調和が落ち着いた空気を生み出し、ふとした香の演出まで計算されているような空間だった。
思わず視線を巡らせるエリーナの反応に、後ろからついてきたリリエラが、口元をきゅっと上げてにやりと笑う。
「エリーナが好きそうだと思って、作った個室なのよ」
「え?」
ノワールが、片方の眉をくいっとあげ、イタズラが成功したように、ニヤリと笑い、エリーナを椅子に座らせる。
「このカフェは、エリーナがいつでも遠慮なく、好きなものを好きなだけ食べれるようにと母上が建てた店なんだ。お店の名前は『エミリアーナ』だ」
「・・・・・・お母様の名前と私の?・・・・・・」
「そうなの、このカフェではあなたはVIPよ。好きなものを好きなだけ食べてね。あ、食べたいものがあれば、作ってもらってもいいし・・・・・・もし、店内を変えたいのであれば・・・・・・」
リリエラは、照れているのか、少し早口で捲し立てるように話している。
(そうか・・・・・・叔母様は、私が家でどう扱われているか知ってるんだ・・・・・冷遇されていることは知っているとは思っていたけど、年中、罰と称して食事を抜かれたりしていることは気づいていないと思っていたけど・・・・・・)
「叔母様、本当に感謝しかありません。確かに家では食事を抜かれたりすることはありますが、私には母が用意してくれた隠し扉で家を抜け出して城下町にいけば食事に困ることはありません。心配かけてごめんなさい・・・・・・あと、このお店、さすが叔母様、とっても素敵なお店です。メニューだって、どれも美味しそう!食事も楽しみです!・・・・・・お店の名前、母と私の名前を入れてくださったんですね・・・・・・とても・・・・・・とても嬉しいです」
エリーナは、おもむろに席を立ち、母と似た面影を持つリリエラをぎゅっと抱きしめて、ポロポロと涙を流す。
ちゃんと見てくれている人がいるのがこんなにも心強いと知った。
リリエラも、エリーナの背中に手を回し、ゆっくりとさする。
「エリーナ、私はあなたを本当の娘だと思っているわ。大人だとわかっているけど、親が子を心配するのはいくつになっても当たり前のことだもの。本当はうちにすぐにでも帰ってきてほしいけれど、あなたがそれをすぐには望んでないのもわかってるつもり。でも、こちらに帰ってきた時には誰の気兼ねもなく、お腹いっぱいご飯を食べて・・・・・・あなたが、本を読むのが好きだとお姉様からきいていたから、一階には読書コーナーもあるのよ。あとで見てほしいわ」
優しい声でそう言ってくれる。
叔母は、母が亡くなってすぐ、叔母の邸にくるように言ってくれた、唯一の親戚。
母が亡くなるとすぐに養子縁組を希望してくれた。
だが、エリーナは、母が亡くなる前に、母はしきりに自立して、父親を頼らずとも生きれるようにと毎日言われていたことを守り、自分が自立することが母の希望だと思い、ただがむしゃらにここまできてしまった。
今は、お金を稼ぐことも、仕事も気に入っているので、なかなか叔母に甘える機会がなかった。
(‥‥‥叔母様も私を見ていて、辛い思いをしたかもしれない・・・・・・)
「さあ、二人とも。感動のシーンだけど、食事が運ばれてくるよ。エリーナ、このハンカチを使って。母上、エリーナが喜んでくれてよかったですね」
しんみりした空気を破るように、ノワールが声を上げた。
入口に気配を感じて振り返ると、皿を持ったままの従業員が、戸惑いの色を浮かべて立ち尽くしている。
どうやら、気を遣って入れずにいたらしい。
「ありがとう、ノワール・・・・・・」
そう言って、エリーナはノワールから差し出されたハンカチを受け取り、そっと目元に当てて涙を拭った。
そのとき、扉の外から慌ただしい声が聞こえてきた。
「困ります!ハインド侯爵!!」
何事かと振り返ると、バンッと勢いよく扉が開いた。
背の高い男性が堂々と部屋に入ってくる。
「これはこれは、ミューラー公爵夫人に、ノワールではありませんか。ご機嫌麗しく」
大袈裟で芝居がかった挨拶に、エリーナは目を丸くした。
「‥‥‥ハインド侯爵、急にどうなさったのですか?戦地に行かれていたのでは?・・・・・・私たちに何かご用かしら?」
リリエラが、温度の低い声で問いかける。
ノワールはすっとエリーナの前に立ち、彼女を自らの影に隠すようにして、ハインド侯爵から視線を遮った。
(えっ、今「ハインド侯爵」って・・・・・・? この方がアリア様の婚約者で、タリファ様の駆け落ち相手・・・・・・!?)
「いえね、下の階でご令嬢たちが、ノワールが婚約者を連れてきたと騒いでいたもので、気になりましてね」
そう言いながら、ハインド侯爵はちらりとこちらに視線を向けた。
すかさず、ノワールが一歩前に出て、きっぱりと口を開く。
「ハインド侯爵、今の状況をご理解されていますか?私たちはプライベートでこの場におります。まったく関係のないあなたが押し入ってよい場所ではありません。騒ぎが大きくなる前に、お引き取りいただくことをお勧めします」
「相変わらず、ノワールは堅物だな。じゃあ・・・・・・そちらのお嬢さんにご挨拶したら、帰るとしよう」
「ハインド侯爵!」
温厚なノワールにしては珍しく、ぴしゃりと厳しい口調だ。
エリーナは「やれやれ」と心の中でため息をつくと、自らノワールの背後から一歩前に出て、美しい所作でカーテシーをした。
「ごきげんよう。エリーナと申します」
あえて名だけを名乗る、簡潔な挨拶。
失礼な侵入者であることに加え、叔母とノワールの態度を見れば、この客が歓迎されていないのは明らかだった。
(いずれ接触すべき相手ではあるけれど・・・・・・今はその時ではない‥‥‥)
「エリーナさんか、よろしく。ノワールは真面目すぎて退屈だろう?つまらなくなったら、僕に声をかけて」
(この人・・・・・・アリア様から聞いたような残虐な性格には見えない。むしろ、タリファ様に駆け落ちの手紙でも送っていそうな軽さ・・・・・・どちらが本当の姿?)
「それで、君はノワールの婚約者なの?」
「・・・・・・正式なご挨拶もなく、あなた様がどのような方かもわからない状況で、私からそのような問いにお答えするべきでしょうか?」
「・・・・・・確かにな!はははっ!面白いお嬢さんだ。私はユラナス・ハインド。ノワールとは同じ学び舎を出た仲だよ。私のほうが一つ上だがね」
「左様ですか」
エリーナはそれだけ言うと、もう話すことはないと言わんばかりに、すっとノワールの背中へと身を引いた。
その仕草に、ノワールがくすりと笑う。
ふと、叔母を見やると・・・・・・その表情は明らかに怒っていた。
「では、ご挨拶もできたし・・・・・・ミューラー公爵夫人、お邪魔いたしました」
そう言って、ハインド侯爵はリリエラに深々と一礼する。
「侯爵。あなたの行為は、礼節を著しく欠いたものであり、非常に遺憾です。私の大切なお客様に対して、このような無礼は看過できません。後日改めて正式に抗議させていただきます」
リリエラは怒りを隠そうともせず、明確に抗議の意思を示す。
エリーナは、ノワールの背後からそのやり取りをじっと見つめていた。




