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「まったく!エリーナ!遅いのよっ!!どこに行ってたのよ!!」
「いい?私たちが夜会から帰ったらすぐに着替えの手伝いに来てって言っておいたわよね!?そんなこともできないの!?本当にノロマなんだから!」
姉たちが帰宅すると、屋敷の中は一気に騒がしさを増す。
彼女たちは重たいドレスを一刻も早く脱いで楽になりたいらしい。
けれど決まって機嫌は悪く、いつも通り何かが「気に入らなかった」のだろう。
そもそも、二人の思い通りになんていつもならないのだから、もう夜会になんて行かないほうがいいんじゃないかと思う。
(っていうか‥‥‥この人たち、夜会が楽しかったこと一度もないんじゃない?)
「エリーナ! 聞いてるの!? 早く手伝いなさい!」
いつもは「触れるな」だの「近寄るな」だのとうるさいくせに、こういう時だけ「早く脱がせろ」と騒ぎ立てる。
まったく、どこまで自分勝手なのか。
「‥‥‥は、はい。ただいま‥‥‥」
より怒りの度合いが強いマルグリットのほうを優先して、彼女の背中に手を伸ばす。
ドレスのひもをそっと引くと、すかさず怒鳴り声が飛んだ。
「痛っ!ちょっと、エリーナ、何するのよ!?髪の毛がファスナーに絡まってるじゃない!もっとよく見てやりなさいよ!」
「そうよ、エリーナ!お姉さまの髪の毛はくせ毛で、あっちこっち跳ねてるんだから!ファスナーにすぐ引っかかるのよ!!」
「何よそれ!」
マルグリットがアデルに噛みつくように言い返す。
「アデル、あんたのドレス、また破れてたじゃない。さっき見たわよ。これで何枚目?もう少し大きめに作りなさいよ、もったいない!」
その一言で、アデルの手がぷるぷると震え始める。
「なによ!お姉さまなんて、今日誰からもダンスのお誘いがなかったじゃない!私は二曲踊ったわよ!」
(なるほどー。マルグリットは壁の花だったのね。だから機嫌が悪いんだわ‥‥‥)
「何の自慢よ!どうせその相手って、あんたの友達が連れてきた兄や弟でしょ?冴えない男爵家の次男と、子爵家の六男。何の価値もないわね」
(‥‥‥あらら、冴えない男とか言っているけど、しっかり相手はチェックしているじゃない?)
「一度も踊れなかったお姉さまに言われたくないわ!」
「踊れなかったんじゃなくて、踊る価値のある相手がいなかっただけよ!私は自分を安売りしないだけ!」
「何ですって!」
アデルがマルグリットを突き飛ばす。バランスを崩したマルグリットがとっさに手近なグラスを掴み、アデルに投げつける。
音を立てて割れる硝子。飛び散る水。乱れる装飾品と倒れる椅子。
もはや止める気力も起きず、エリーナはただ静かにその光景を見つめながら、いつものように心の中でツッコミを入れている。
どうせふたりがそれぞれの部屋に戻ったあと、このめちゃくちゃな部屋を片付けるのは自分の役目なのだ。
(‥‥‥いつものことだけど、『どっちもどっち』って言葉はこの二人の為にある言葉だと思うわ!)
エリーナはぐるりと乱雑な室内を見渡し、小さく息をついた。
(今日は二十一時にネグレス侯爵夫人と会う約束があるんだから‥‥‥早く片付けたわね‥‥‥)
そんな散らかった部屋を見回していたエリーナに、鋭い声が飛んできた。
「ちょっとエリーナ!早くしてよっ!」
マルグリットが先にドレスを脱いで部屋を出ていったことで、ひとまず姉妹の喧嘩は収まったようだが、今度はアデルが苛立ちまじりに「ドレスを脱がせて!」と騒ぎ出している。
部屋の隅にいる侍女たちも、こちらを見て目で「早くやれ」と訴えてくる。
(‥‥‥自分でやりなさいよ。あんたたち、侍女なんだから。なんで私を見るのよ)
だが、いったんこうなってしまったアデルは、誰彼かまわず八つ当たりを始める。
侍女たちはその矛先が自分に向くのを避けたくて、代わりにエリーナを差し出しているのだ。
(はあ~‥‥‥仕方ない‥‥‥今日は早めに終わらせたいし)
「ア‥‥‥アデル様‥‥‥後ろを向いてください‥‥‥お、お手伝いさせていただきます‥‥‥ので‥‥‥」
アデルは、じろりとエリーナを睨んでいるが、無言で後ろを向く。
「し、失礼いたします‥‥‥」
ファスナーをさげて、ドレスを脱がせる。ドレスの脇の部分がたしかに先ほどマルグリットが言ったように裂けている箇所がある。
マルグリットが言っていることは確かに的を得ている。アデルが頼むドレスのサイズがいつも小さいのだ。
(今、裂けていることを言うと、怒るだろな~‥‥‥)
と、思いながら、やや口角をあげて見ていると、振り向いたアデルと目が合う。
(あ、これは気づかれたか‥‥‥)
「なによ?」
「い、いえ、なんでも‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「このドレスあんたの刺繍、思ったほどよくなかったわ。捨てちゃって」
「え!?‥‥‥あ、はい‥‥‥」
アデルは、ドレスをエリーナに投げつけてくる。
やっぱり怒りは鎮まっていないらしい。
言わなくてよかった‥‥‥
「‥‥‥あんた、さっき笑ったわね?」
「い、いいえ‥‥‥そんな‥‥‥」
「バカにしたわよね!?」
「し‥‥‥してません‥‥‥」
面倒なので、怯えたふりをする。
最近では、二人の姉のおかげで、エリーナの演技力はぐんぐん磨かれている。
私はグズでノロマで、使えない妹。
姉には絶対服従している。
そう思い込ませておけば、早く解放されるし、誰からも余計な興味を持たれずに済む。
今日も私は完璧だ。
そんなことを考えていると、アデルが、手近にあった置き時計を掴んで投げつけてくる。
かなり大きく重たい時計なのに、片手で持ち上げて投げてくるとは・・・アデル、ほんとうに令嬢なのだろうか?
「っ!!」
ぶつかれば間違いなく痛いやつ!
けれど、悲鳴を上げれば相手はますます喜ぶとわかっているので、声は出さない。
今夜は外出の予定もあるし、あまり怒らせないほうがいい。
エリーナは白熱の演技で、わざと小さく震えてみせた。
「‥‥‥」
他の侍女は「今のうちに!」と速やかに部屋着に着替えさせているようだ。
アデルは、エリーナをじっと見て何か考えているようだったが、ラッキーなことに「疲れたわ」と言って、部屋を出て行った。




