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王族控室の扉を開けると、部屋の奥にサーシャの姿があった。大理石のテーブルに広げられた数枚の書類に目を通しながら、真剣な表情でペンを走らせている。
「エリアス、そこに座って少し待っていてくれ」
顔を上げずにそう告げると、再び書類に視線を戻した。
「はい」
エリアスは一礼して、ソファへ腰を下ろした。部屋には、サーシャがペンを走らせる音と、執事が静かに立つ気配だけがあった。
数分後、サーシャは最後の書類にサインをし、それらを手早く揃えると、傍らに控えていた執事へと差し出す。
執事が静かに部屋を後にすると、サーシャは表情を和らげ、ソファのエリアスの方へと歩いてきた。
「待たせたな」
「いいえ。夜会中なのにお仕事とは、相変わらずお忙しいですね……私は、ちょうどダンスを一曲踊ったところだったので、むしろ良い休憩になりました」
エリアスは微笑みながらそう応じた。サーシャも軽く笑みを返しながら、向かいのソファに腰を下ろす。
「エリアスが私以外とダンスを踊るのは珍しいな」
「そうですね……彼女にはお礼をしないといけないことがあり、そのお返しとしてダンスをご希望されたんです」
「ははは、令嬢は皆、エリアスを狙っているからな」
「それは買いかぶりです……」
「……さて、先ほどの話の続きだ。マルス王女からエルビナ宛にこちらが届いた。開けてみろ」
サーシャは大ぶりな封筒に入った数枚の書類をエリアスに差し出した。
「手紙……でしょうか?」
「まあ、読んでみるといい」
サーシャはどこか含みのある笑みを浮かべると、紅茶に口をつけた。その目は意図を隠そうとしない曲線を描いている。
エリアスが封筒を開けると、几帳面に折り畳まれた手紙と書類が現れた。彼はまず手紙を取り出し、目を通す。
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エルビナ様へ
先日は大変お世話になりました。
私たちは毎日忙しくしておりますが、エルビナ様のおかげでとても充実した日々を送り、幸せに過ごしております。
私がお願いしたのはレオスの捜索だけでしたのに、最終的にはエルビナ様のご配慮でシャルレイ公爵のご支援をいただき、レオスは貴族たちから正式に王配候補として認められました。
こんなにも穏やかで幸福な日々を送れるとは夢にも思っておらず、心より感謝申し上げます。
そこで、レオスと相談のうえ、ささやかではございますが感謝の印をお受け取りいただければと、サーシャ王女殿下にこの手紙と共に託しました。
報酬以上の恩をいただいた私たちからの、ほんの気持ちです。失礼かもしれませんが、どうかお気持ちとして受け取っていただければ幸いです。
エルビナ様のますますのご活躍を心よりお祈りしております。
マルス・リオン
レオス・カヴィル
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手紙を読み終えたエリアスは、ふと視線を横にやり、残る書類のひとつを手に取った。
目に飛び込んできた大きな文字にエリアスの目が見開かれる。
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譲渡書
マルス・リオンは、忠誠と功労顕著なるエルビナに対し、リオン王国アソシエール領を譲渡することをここに定む。
譲渡の範囲には、当該領域内に所在する邸宅、鉱山、並びに農地一切を含むものとする。
また、本人の希望あるときは、これを考慮し、特例として一代限りの子爵位を授与することを許可する。
本書は、リオン王国 国王エルデート・リオンの名のもとに認証されるものとす。
エルデート・リオン
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「……は?」
「すごいだろう。領地と子爵位までくれるそうだ」
「いや・・・これは、さすがに・・・エルデート陛下の署名まで・・・」
「まあ、私も正直やりすぎだとは思うが……それだけマルス王女は、エルビナを気に入ったのだろうな」
「ですが、私はエルビナではあっても、本当のエルビナではありません・・・。本名すら出せない者が、こんな大それたものを受け取る資格なんて・・・」
「その気持ちは分かる。だが、3枚目の書類を見てみろ。マルス王女は、なかなか抜け目がない」
促されるままに書類をめくったエリアスは、次の文面に目を通した。
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譲渡書
一、受領者エルビナは、リオン王国より譲渡されたアソシエール領内の邸宅、並びに当該領域に属する鉱山及び農地につき、これを不要と認むるに至った場合には、自己の裁量により第三者に対し譲渡することを妨げられないものとする。
二、ただし、前項に基づく譲渡を行うに際しては、当該譲渡に関する必要事項を本書に明記し、所定の手続きを経て、速やかにリオン王国の政庁に届け出なければならない。
三、右の届出を怠ったときは、譲渡の効力はこれを生ぜず、当該権利の承継は認められないものとする。
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「……」
「・・・つまり、エリーナとして受け取ることができる。仮に今後、家を離れることがあっても、リオン王国内で困ることはない。悪くない話だろう?」
「しかし……」
「マルス王女は本当に押しが強い。ここまで準備されてしまっては、断る段階ではない。領地譲渡なんて、すでに国側の手続きは終わっているだろうしな。いずれにせよ、一度は受け取るしかないと思うが?」
「……これは、困りました……」
「とりあえず受け取っておいて、どうするかは後から考えればいい」
「……なかなかに重いお礼のお品です。少し考えさせてもらいます……」
「そうだな」
二人はしばらくテーブルの上にある重要な書類を眺めていた。




