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シャルレイ公爵家は、リオン国でも屈指の名門であり、強大な影響力を持つ家柄だ。
その公爵家が、レオスを後ろ盾とする。
それが事実なら、これほど心強いことはない。
信じがたい展開に、マルスは呆然と立ち尽くし、言葉を失っていた。
一方のカヴィルは、なぜ自分の名前がこの場で挙がったのか、そして何が起きているのかを、必死に理解しようとしていた。
アーデンは、手にしていた書類をテーブルの上にそっと置く。
そこには、シャルレイ公爵の署名がしっかりと記されており、文書が正式なものであることが一目でわかった。
「な・・・・なぜ・・・・シャルレイ公爵が・・・・?」
マルスが戸惑いを隠せない声で尋ねる。
「・・・なぜと言われれば・・・そこにいるエルビナが、心を痛めていたからだよ」
アーデンは顎でそっとエルビナを示す。
「エルビナ様・・・?」
マルスは、これでもかというほど大きく目を見開き、エルビナに視線を向ける。
いきなり話を振られたエルビナも驚いた様子を見せたが、ひとつ咳払いをした。
「最終的に、どちらをお選びになるかは、お二人でお決めください。私はアーデン様にご協力いただき舞台を用意しただけです」
エルビナは静かにマルスの目を見つめた。
「それでは、マルス王女殿下。今回のご依頼、満足いただけましたでしょうか?」
「ええ・・・エルビナ様、本当にありがとうございました。依頼料はサーシャ王女にお渡ししてありますので、のちほどご確認ください」
エルビナは小さく頷く。
「・・では、これをもちまして契約は終了といたします。今後、私を見かけても他人としてお振る舞いください。お約束どおり、お願いいたします」
その言葉に、マルスはどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「・・・わかりました」
「マルス王女殿下、お渡しした契約書の控えはお持ちですか?」
「はい、こちらに」
マルスから控えを受け取ったエルビナは、それをバッグにしまい込み、ゆっくりと立ち上がる。そしてマルス王女とカヴィルに向き直って、微笑んだ。
「これからのリオン王国に、幸多からんことを」
妖艶な微笑みを湛え、その言葉を残して、エルビナはアーデンとともに城をあとにした。
「エルビナ!!」
名を呼ばれて振り返ると、カミーユが立っていた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
「・・・その、ありがとう・・・」
「殿下にお礼を言われる筋合いはございませんが?」
アーデンがそのやりとりを横目に見て、口角を上げてにやりと笑う。
「エルビナ、私は先に馬車へ向かっている」
「え? ああ、はい・・・」
アーデンは一瞬だけカミーユと目を合わせ、その場を離れた。
「さっきも言ったが、俺はマルス王女と結婚するつもりはなかった。あのままだと、隣国に無理やり送られていたかもしれない」
「まあ、そうですよね・・・やはりお詫びしておかなければなりませんね。今回は殿下のご縁を、こういう形で潰してしまいました。本当に申し訳ありませんでした」
エルビナはカーテシーで深々と頭を下げた。
少なくとも、隣国の王女との縁を断ち切ってしまった責任はある。謝罪はしておこう。
「・・・聞いているか?俺はマルス王女と結婚するつもりはまったくなかった。むしろ、エリーナには感謝しているんだ」
「そうですか・・・じゃあ、よかったです?」
「・・・・それでな。先ほども言おうと思っていたんだが、俺が結婚したいのは」
「エルビナ様!!!」
カミーユの言葉の途中で、外に走り出てきたカヴィルから声がかかる。
「・・・カヴィル様、どうなさいましたか?」
カヴィルは息を切らせながら走ってきて、二人の前で深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
と深々と腰を折った。
「・・・あの、今日はエリアス様は来られないでしょうか?」
「エリアス様?」
「はい。今日、私をここに呼んでくださったのはエリアス様です。本日の話し合いにはお立ち会いになりませんでしたが・・・とてもお世話になりまして・・・・」
「ああ・・・エリアス様は本日ご都合が悪く、こちらには来られません」
「そうですか・・・エリアス様にお会いできず残念です。私も、準備が整い次第、リオン国へ向かうつもりです。そのせいでエリアス様にご挨拶もできないかもしれなくて・・・。エルビナ様、もしエリアス様にお会いになる機会があれば、カヴィルが感謝していたとお伝えいただけますか?」
「ええ、わかりました。エリアス様とはすぐに会う予定がありますので、その伝言、確かに承りますわ」
「ありがとうございます。それと・・・・」
そう言うとカヴィルはカミーユの前で膝をつき、深く頭を下げた。
「カミーユ王子殿下。先ほどは殿下のお言葉を遮ってしまい、誠に失礼いたしました。心よりお詫び申し上げます」
(・・・いや、今もお前は俺の言葉を遮って入ってきたけどな・・)
そう内心で思いつつも、この青年のおかげで望まぬ結婚話が立ち消えになったと思えば、感謝してもしきれない。
「レオス・カヴィル。これからは隣国の王配として、マルス王女を支えてやれ」
カミーユは膝をつくカヴィルの肩をポンと叩いて、エールを送った。
「はい。カミーユ殿下のご期待に応えられるよう、マルス王女殿下を全力でお支えいたします」
そのとき、エルビナはカヴィルの琥珀色の瞳の中に、虹のような輝きを見た。
・・・ああ、この選択は間違っていなかった。
そう思うと、胸が温かくなった。
結局、カミーユは騎士団からの逃走を図ってあの場に現れたらしく、即、不意を突いたラグザに捕まり、犯罪者のように縄でぐるぐる巻きにされて連行された。
今回のラグザはとんでもなく怒っていたので、カミーユが無事で済む可能性は低い。
・・・とはいえ、カミーユは今回、見事なまでの「かませ犬」として役に立ったのだ。
エルビナはひとまず彼の無事を祈ることにした。
翌日、サーシャが言うには、リオン国へ旅立つマルスの顔は幸せに満ちており、女性として輝いていたそうだ。見送りに来たカヴィルとなかなか離れられずに出発が遅れたそうだ。
一方、エルビナはというと。
謹慎が解けたその日から、エリーナは朝から洗濯場での仕事に勤しんでいた。
この日も、洗い終えたシーツを両手に抱えて、干し場へと向かう。
「これを干したら、次は・・・じゃがいもの皮むき、だったかしら?」
そんなことを言いながら、エリーナはシーツをばさりと広げた。
白い布が風をはらみ、空へ向かってやさしくたなびく。澄みわたる青に、ふわりと浮かぶ雲の白。
まるで絵の中に迷い込んだような空を、二羽の鳥が寄り添いながら、ゆったりと飛んでいく。
洗いたてのシーツの香りに包まれながら、エリーナは一人黙々と作業を進める。
変わらない風景。変わらない空気。
今日もまた、エリーナのいつもと変わらぬ日常が穏やかに始まっていく。
第二章が終わりました。
アーデンとカヴィルのその後も興味あります。
もう少ししたら書いてみたいなと思ったり・・・
第三章もお付き合いいただけると嬉しいです。




