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「ここの前菜、すごく評判なの。どれも絶妙な味付けで、しっかり量もあるのよ」
アーデンが注文を済ませると、ほどなくして美しく盛りつけられた前菜のプレートが運ばれてきた。
サーモンのマリネには柑橘系のソースがかかり、隣には彩り豊かな野菜が丁寧に添えられている。
「・・・美味しいわね、これ」
サーモンの脂とソースの酸味が絶妙に調和していて、エルビナは目を見張った。
「でしょ?このあと出てくるメインも期待していいわよ」
食事は順調に進み、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。
そんな中、ふとエルビナの表情に陰りが差したことを、アーデンは見逃さなかった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないわ」
「そんなわけないでしょ?なにか考え事?」
「仕事の依頼内容だから・・・話せないわ」
「・・・・そうね、確かに仕事なら・・・・でも、友だちの悩みなら聞くわよ」
「アーデン・・・・」
アーデンはいたずらっぽくウインクして、赤ワインで煮込まれたメインディッシュの肉を口に運ぶ。
「ん~~!美味しすぎる~~!これは最高ね!」
その様子を見て、エルビナもフォークを手に取る。
「柔らかい・・・味付けも最高だわ。美味しい!」
「でしょ?このお料理はいつ食べても飽きないの・・・・・・それで?」
「ふふ・・・アーデンは本当に話を引き出すのが上手ね」
「ありがと。それで、なにをそんなに悩んでるの?」
「そうね・・・・掻い摘んで話すとね、リオン王国の王配に、もし位の低い人が候補として上がった場合、周りの貴族はきっと認めないでしょう?そういうときは、有力貴族の籍に入れるのが手っ取り早いらしいの。でも・・・どうやってその有力貴族を説得して、籍に入れさせるかってなると・・・・」
「いきなり難題ね・・・・」
「そう、複雑でしょ?」
「・・・・それって、あなたにとって大切なこと?」
「うーん・・・大切というか・・・・仕事で失敗したくないっていうか・・・」
会話がふと止まり、沈黙が落ちる。
アーデンはグラスの縁をなぞりながら、視線を窓の外に移した。
「ふ~ん・・・まあ、でも・・・できない話じゃないと思うわよ」
「え?」
思いもよらない言葉に、エルビナは驚いてアーデンを見つめた。
「・・・言ってなかったけど、私、リオン王国の生まれなの。実家は公爵家。今のシャルレイ公爵は、私の兄よ」
エルビナの目が見開かれる。
「えっ!?シャルレイ公爵ってあの名門の??・・・でも、アーデン、どうして・・・」
「昔ね、自由になりたくて家を出たの。裁縫が好きで、ドレスを作るのが好きだった。
でもリオン国では、まだまだ発展途上なところが多くて、男が女として生きるなんて無理だったのよ。だから、肩書きも何もかも放り出して出てきた。それ以来、一度も戻っていないけどね・・・・」
アーデンは小さく息を吐いた。そして、静かに微笑む。
「エルビナ・・・いいえ、エリーナ。あなたにはまだ恩を返せてない。一肌、脱ごうかしら」
「だめよ、アーデン。あなたが嫌な思いをして叶うものなんて・・・・・」
「ふふ、エリーナはほんと優しいのね。でも大丈夫。勝手に家を出てきたとはいえ、兄とは仲が悪かったわけじゃないの」
「アーデン・・・・」
「私が動けば、公爵家としての立場で後ろ盾になれる。その悩みの解決方法として、ほんの少しだけ現実味が出てくるかもしれないわね」
アーデンは、どこか晴れやかな表情でそう言った。
お腹がいっぱいになり、いつもの離れに戻ってきたエリーナは、風呂を済ませると、エルビナから元の姿に戻った。
なにげに、この時間が、一番好きなのかもしれない。
階段を上がって、自分の固いベッドに横たわり、あれこれ考え込む。
いろいろ、考えなくちゃいけない。
みんなにとって、何が一番いいのか・・・・
ため息をひとつついてから、エリーナはむくりと体を起こし、アデルのドレスを引っ張り出した。紫の刺繍糸を手に取ると、少し笑ってつぶやく。
「精神統一にはこれが一番!!」
針に糸を通し、もくもくと刺繍を始めた。




