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「・・・なるほど。その可能性があるというわけか・・・」
サーシャも何かに気づいたように、ふっと納得した表情を浮かべる。
「まだ、わかりません。ただ少し気になることがあって・・・」
しばしの沈黙が流れ、二人は静かに紅茶を口に運ぶ。
「・・・まあ、その話は今はいいだろう。それよりもエリーナの最近の話を聞かせれてくれ」
「ああ、最近のことですね。今ちょうど謹慎中でして、自由に動き回れるので大変助かっています」
「また、あいつらに閉じ込められたのか・・・」
サーシャの機嫌が少し悪くなる。
「まあ、閉じ込められたとはいえ、実際には地下通路を使えばどこにでも行けるんですけどね」
「あいつらの貴族籍、剥奪してやりたくてたまらないな・・・」
「サーシャ姫、それだけはやめてください。私の隠れ蓑がなくなってしまいます」
「そんなもの、私が用意してやる」
「・・・それこそダメです。サーシャ姫はこんなくだらないことに関わらないでください」
「エリーナ・・・・」
「大丈夫です、サーシャ姫。私はいずれ、自分の力で抜け出します。今のままでいることが、今は私の望みなんです」
その言葉に、サーシャは何も返せなかった。
言いたいことはいろいろあったが、納得するしかない。
「わかった、もう、これ以上は言わない。ただ、困った時は・・・ちゃんと頼ってくれ」
「・・・サーシャ姫、ありがとうございます。その時は、遠慮なく」
エリーナはやわらかく微笑み、深く頭を下げる。
(あまり、心配をかけないようにしないとな・・・)
妹のように思っているサーシャの姿を見ながら、エリーナは静かに反省していた。
「ちょっと、起きなさいよ!あんた、こんな状況でよく呑気に寝てられるわね!」
(ああ、やっぱり来たか・・・)
わざと寝起きのふりをして、何が起こったのか分からないように動揺してみせる。
「ア・・・アデルさま?」
「いくら仕事しないでいいとお母様に言われたからって、いつまで寝てるのよ!」
アデルはエリーナの布団を勢いよく剥ぎ取り、そのまま床に投げ捨てた。
「起きなさい。仕事よ」
「・・・ですが、アデル様・・・奥様から離れから出るな、と・・・・」
「ここでやるのよ。出すわけないでしょ?」
「ここ・・・ですか?・・・いったい何を・・・」
「このドレスに薔薇の刺繍を入れなさい。薄い紫の糸でね」
そう言って、ドレスをポンと投げてよこす。反射的にそれを受け取る。
「刺繍?・・・ですか?・・・」
「そう。カヴィル様の目のような黄色のドレスを選んじゃったんだけど・・・もう、彼は好きではないし・・・やっぱり、エリアス様よね!」
「エリアス・・・・」
「なに呼び捨てにしてるのよ!?あんたが口にしていい名前じゃないわ!」
「あっ、す・・・すみません!」
「いい?来週中には仕上げなさいよ。薄い紫の薔薇の刺繍よ?わかったわね?」
「薔薇の刺繍・・・・あの・・・糸はどうすれば・・・・」
「・・・・私は優しいから、あとで持って来させてあげる」
「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・」
エリーナは、ドレスをそっと畳みながら手元に目を落とす。
(もしかして・・・・)
「必ずやるのよ!」
アデルはそう吐き捨てるように言い残して、部屋を出て行った。
エルビナは、とあるサロンに招かれていた。
「ご連絡ありがとうございます」
「サーシャ殿下から手紙をいただきました。何かありましたか?」
マルス殿下は手振りでエルビナにお茶をすすめる。
エルビナはぺこりと頭を下げ、お茶に手を伸ばした。
「いくつか、お伺いしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「まずは、マージについて」
「・・・・」
「なぜ、あの夜マージに?」
「・・・・」
マルスはふうーっと、長い吐息を漏らし、それからエルビナをまっすぐに見た。
「やっぱり、バレていたのね」
「どれだけ少年の格好をしても、立ち居振る舞いや、ふとした表情まではごまかせませんでした。マーズはあなたですね?」
「ええ、そうよ。これでやっとお礼が言えるわね・・・あの夜は助けてくれてありがとう」
にっこりと微笑みながら、マルスは礼を述べた。
「・・・あの夜、どこにも立ち寄らず、ダムで何時間も過ごしていたと伺いました。理由を教えていただけますか?」
「・・昔、約束したの。結婚できる年齢になったら、またあの場所で会おうって・・・・」
マルスは両手を膝の上で組み、ぎゅっと指を握りしめながら、静かに語り始めた。
「私はずっと、誕生日が待ち遠しかったの。十六歳になれば、きっと彼に会えるって、そう信じて過ごしてきたのよ。自分が王女だから薬屋にはなれないって知ったのは、十歳で帝王学の勉強が始まったころだったわ。その時は本当にショックで・・・何日も寝込んでしまったの。「薬屋にはなれない」って分かってからも、彼に連絡を取る手段もなくて、ただ時間だけが過ぎていった・・・・あなたと街で出会った日、私はちょうど十六歳の誕生日を迎えたばかりだったの。いてもたってもいられなくて、何とか理由をつけて、この国に来たの・・・あの場所が今はダムになっているってことは、お父様から聞いて知っていた・・・それでも、どうしても、あの日にあの場所へ行きたかった」
「そうでしたか・・・・」
「あの日は、私の最後の希望だったの・・・・でも、残念ながら、約束の相手は現れなかった」
マルスは寂しそうに微笑んだ。
「時間の約束はしていなかったのですか?」
「ええ。子どもの約束だもの、時間なんて決めてなかったわ。朝からダムに行って待とうと思っていたんだけど・・・そういう日に限って、どうしても抜けられない用事が入るのよね・・結局、抜け出せたのは、あの時間だけだった。でも、もし相手が来ていたなら、何か痕跡があるかもしれないと思って探してみた・・・けれど、何も見つからなかった」
「それは、残念でしたね・・・」
「ええ。本当に、残念だったわ」
「・・・あの日、あなたが助けてくれたでしょう?あのときのあなたが、あまりに綺麗で、女神様かと思ったのよ。特にあの街灯の下のあなたは、まるで幻想のようだった。だから、これはきっと女神さまの導きで、絶対にあの彼に会えるんだって信じてた・・・でも、あなた、生身の人間だったのね。ちょっと、残念」
何かを諦めたような表情で、マルスはふっと微笑んだ。
「・・・・もう、会えないかもしれないわね」
「・・・いいえ、まだこの依頼は終わっていませんよ?そんなに早く諦めてしまっていいのですか?」
「・・・諦めたくはないの。でも、諦めないといけないのかもしれないわね・・だって私は王女なのだから・・・」
「・・・マルス王女殿下。もし、あの日、彼を見つけ出したら・・・どうするおつもりだったのですか?」
「さあ、自分でもよく分からないの・・・初恋にけじめをつけたくて探しているのか、それとも・・・あの結婚の約束を、本当に守りたいのか・・・・」
「そうですか・・・・位の低い者を王配にするには、貴族たちの賛同を得たうえで、その者を高位の貴族家に入籍させる必要があると聞きました・・・」
「ええ、そうね・・・」
「正直にお答えください。もし、そのお相手が見つかったとして・・・そのすべてを、あなたのお力で実現できるのでしょうか?」
「・・・・難しいでしょうね。貴族たちはみな、自分の血縁を王族と結ばせ、家名を高めたいと思っている。どこからともなく現れた、名もない王配候補なんて・・・誰も受け入れようとはしないわ」
「そうですか・・・」
「それに、あの頃ほんの数日一緒に過ごしただけの女の子に、『私は王女だから、王配になって』なんて言われたって・・・普通なら戸惑うでしょうし、断るのが当然よね。きっと、彼はもう私のことなんて忘れている。わざわざ苦労の道を選ぶような人なんて、なかなかいるとは思えないし・・・」
「・・・失礼ですが、思った以上に、現実はよく見えていらっしゃるんですね」
「ふふ、ただの夢見がちな王女だと思った?まあ、無理もないわ。こんな依頼を出すくらいですものね・・」
「・・・では、やはりカミーユ殿下と?」
「・・・私と結婚する気がまったくないカミーユ殿下には申し訳ないけど・・・・それが一番収まりがいいとは思っているの」
「そうですね。ちゃらついていて逃げ癖もありますが・・・第二王子であり、騎士団長という肩書きなら、誰も文句は言えないでしょう」
マルスは、自国の民にそう言われる第二王子を思い浮かべ、思わず苦笑いを浮かべた。
「・・・本音を話したら、なんだか少し気が楽になったわ。このまま彼が見つからなくても、諦めがつきそう・・」
そう言いながらも、マルスの横顔にはほんの少しだけ寂しさがにじんでいた。
「・・・私が帰国するのは一週間後よ。たとえ彼が見つからなかったとしても、報酬は全額支払うつもり。だから・・・無理に探さなくても大丈夫。私は、もう諦められると思うから」
「・・・・わかりました。・・・帰国は一週間後ですね」
「ええ。それまでの間は、あなたの報告をゆっくり待つわ」
二人の会話はそこで終わった。




